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ワルツを君にあげる 5



センターを後にしたのは14時を少し過ぎた頃だった。集中して本を選んでいたので気にならなかったが、外の空気を吸うと感覚が戻ってきたのかお腹は今にも鳴り出しそうだ。私ですらこうなのだから、食べ盛りの男子高校生である狡噛くんはさぞや腹ぺこだろう。なにが食べたいかを聞くと、少し考えた後に口にしたのは“ハンバーガー”というなんとも年相応な答えだった。いつも大人びた様子の狡噛くんが年相応の反応をする時、私は彼のことを心底可愛いと思うし、心のどこかで安堵する。「先生に任せなさい!」とウィンクをつけた返答に狡噛くんは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、気合を入れて探したダイナーはハイパーオーツ製とは到底思えないほどの美味しさで、狡噛くんが無心でハンバーガーを頬張るという貴重な姿を見れたので私はとても満足だった。


▽▲▽



ハンバーガーをすっかりお腹におさめ食後のコーヒーまで堪能した後、私達は帰りの交通機関までの道のりを歩いていた。道は高層ビルの狭間にあり、川岸と並木のホロが永遠と続いているようだった。夕焼けが沈む頃合いだったので、ビルの隙間から時折除く夕日で狡噛くんの顔は眩しいまでのオレンジに彩られ思わず目を細める。何が本物で、何が偽物なのか。何を取り繕って、何を隠しているのか。こんなにも自身が嫌っているこの世界の在り様が、まさに今の自分のようだと自嘲する。

「今日は付き合ってくれてありがとうね。やっぱり生徒の目線はとても大事だわ」
「俺もあんな風に本を選ぶ機会は無いから。面白かった」

そう穏やかに話す狡噛くんと目が合った。彼は聡い子なので、気取られないように口角を少し上げて、それからあくまで自然に、ゆっくりと視線を外す。

「狡噛くんに時間があれば来年は図書委員やるといいよ。そうすれば今度は正式に来れるでしょう」
「来年は職権乱用してくれないってことか?」
「朝も説明したじゃない。今年の子達はやる気無かったからだよ」

分かりやすくむっとした狡噛くんの声を聞きながら、それでも私はその目を見ようとはしなかった。そうだ、今回私は随分と狡噛くんに酷いことをした。あんなにも誠実に、けれど私がそれには応えないことを知っていて、それでも伝えてくれた彼の気持ちを散々弄んで無下にしたのだ。もっとやんわりと距離を取る方法なんていくらでもあった。それでも私が選んだのは、それでは無かった。

「俺は別にやる気あるだなんて言ってないだろ」
「社会見学の一種でしょ。先生と仲良くしてる生徒の特権みたいなものだよ」

我ながら無理のある言い訳だと思った。私の発言に、ますます狡噛くんの声色が怒気を孕んでいくのが分かる。そしていよいよ立ち止まってしまった狡噛くんに、私は振り向くこともできず、かといってそのまま置いていくこともできない。ただ2人の間には3歩ほどの、けれど私には遠い遠い距離が出来上がった。重い沈黙の中、今更彼のことを考える。狡噛くんはとても優秀で、将来のある生徒だ。彼はこれから様々な経験を通して成長し、そしてこの学校を卒業する頃には間違いなくシビュラの寵愛を受けることになるだろう。そしてそんな彼の輝かしい人生の、私という存在は謂わば若気の至り・気の迷いだ。司書と生徒の淫行だなんて、彼の経歴の汚点でしか無いし、私はそんな汚点になる気は毛頭無い。だから私は、

「じゃあなんで、わざわざデートなんて言葉使ったんだ」
「……」
「俺が一喜一憂するのが楽しかった?」
「そんなこと無い!」
「それならどうして」
「…ごめん。私が無神経だった。謝る」
「謝罪が聞きたい訳じゃない、……名前が何を考えているのかが分からない」

先ほどの怒気を孕んだ声と同じ人物とは思えない程、その声はあまりにも寂しげで、思わず振り向いてしまう。するとそのまま強く腕を引かれて彼の腕の中に抱き留められた。狡噛くんは、私が縮めたくないこの3歩を、その境界線をあまりにも不用意に越えてくる。けれど彼がそういう人だということは分かっていた。分かっていて私はこの純朴な青年を踏みにじることを選んだのだ。デートなんて、そんな言葉を使ったのも私が彼を留めたかっただけ。私は彼から逃げながら、けれどその手を伸ばしていた。結局のところこの関係を手放せないのは彼じゃない。私なのだ。

「狡噛くん、お願い。やめて」
「嫌なら俺を突き飛ばして逃げればいい」
「本当に、ねぇ。もう、」



全部終わりにしよう。



そう口にする前に、塞がれてしまった唇はあまりにも優しかった。こんなにも酷くしているのに、全てを赦すような温度にくらくらと眩暈がする。全部考えることを止めて彼を受け入れて、それから私もこの腕を伸ばせば、彼は笑ってくれるのだろうか。そんな馬鹿なことを一瞬だけ考えた。それから、腕を思い切り伸ばして唇を離す。すると存外簡単に私は彼から解放された。

「もう、準備室には来ないで欲しい」

そうはっきりと口にしてから、私は一度も振り返らずにその場から逃げ出した。狡噛くんがどんな表情をしていたかなんて、見れる筈も無かった。先ほどまでの夕焼けはいつの間にか鳴りを潜め、辺りはすっかりと夜の帳に飲み込まれていた。

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