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ワルツを君にあげる 3



私は仕事をするデスクの上にあまり物を置かない主義である。その為デスク上にあるのはPCにファイル2冊、それから空の花瓶。たったそれだけだ。しかし質素なその空間に1つだけある趣向品は、当事者の私から見てもどこか歪でちぐはぐな印象を受けた。形は至ってシンプルな一輪挿しで、表面には小さな気泡がいくつも入っている。その気泡が陽射しに当たると硝子の表面なのも相まって、きらきらと瞬く様がお気に入りだった。そもそも、どうしてこの花瓶のことを今こうやって考えているかである。ことの始まりはこうだ。


いつもの如く勝手知ったる顔でソファに腰をかけ本を読んでいた狡噛くんと、彼をほぼほぼ空気として扱い仕事に励む私。図書準備室のいつもの光景だった。狡噛くんは普段ここに来ても大体静かに本を読んでいるだけだし、私もあえて声を掛けたりしないので、大した会話も無く時間が流れることが常だ。しかしその日に限って狡噛くんの集中力が切れたのか、はたまた本に飽きたのか、つまりは狡噛くんの口がよく回る日だった。ちなみにこれは嫌味です。

「そこに飾ってある花瓶、なんで何も写さないんだ?」
「ああホロのこと?なんかこう、ホロの花って味気なくて。香りも無いし昔から苦手なの」
「名前は本当に現代に生きてるのか、と疑うことがよくある」
「苗字さんか先生って呼べって言ってるでしょ」

どこか腑に落ちなさそうにこちらを見る狡噛くんだが、まったく失礼な話である。確かに私はオートサーバーの食事も、電子書籍も、ホロの花も苦手だ。それは今の世の中で生きている人にとっては至極珍しい話だろう。もう好き嫌いの話ではない、それが常識で当たり前。私の苦手は本来趣向とは違う場所にあるのだ。でもこんな世界はとても便利で自由で、それからとても不便で窮屈だ。

「どうせ私は時代遅れですよ。全部そうやって触れもしないものを回りに置くのがちょっと気持ち悪いだけ。私は本は紙で読みたいし、花は枯れるから咲いている姿を楽しみたいと思うのよ」
「別に悪いとは言ってない。珍しいだけで、いいことだと思う」
「…それはどーも」
「で、その空の花瓶に何があるっていうんだ」
「だから何でもないってば。しつこい男はモテないって知ってる?」

結局そこに戻るのか。回り道をしたがどうやら狡噛くんの興味があるのはその一点だけらしかった。私が強い口調で冷やかに反論しても、彼は全く動じることなくこちらを直視するので、私も負けじと狡噛くんに視線を合わせる。普段こんな風に狡噛くんの顔をまじまじと見る機会なんて無かったが、さすが女子達に追いかけられるだけのことはある。すっと通った鼻に精悍な目元。思ったよりまつ毛も長い。いやいや…話を戻そう。
私が先ほどからこの話題から話を逸らそうと思ったのは、この花瓶はいわゆる元彼、というやつから貰ったものだったからだ。その人に未練があるという話は笑ってしまうぐらい無い。無いけれど、この花瓶にはその関係が終わったからと言ってすぐに捨てれるほど思い入れが無いわけでは無かった。そういうのを抜きにして、私はこの花瓶を気に入っていたのだ。本当にそれだけなのだが、何度か友人にも疑われたことがあるし、世間一般やはりそういった感情を持っていると考えられてもしょうがないことは分かっていた。だから狡噛くんに伝えるのはやはり憚られたのだ。何故って、私はここまであからさまに感情を向けられていることに“知らなかった”で通すのは少し白状な気がしている。だからできるだけその感情を逆撫ですることは勿論、決定的にもしたくないし、勿論言わせる気もなければ受ける気も無い。そして私は立場的にも、この子の色相が曇るようなことはできる限り避けるべきである。本を正せばこの気遣いが全て私の恥ずかしい妄想であることを祈るばかりだが。

「女性は嘘をつく時、相手のことを凝視するそうだ」
「は?」
「まばたきの数も多いな」
「狡噛くん、授業ではむやみにその知識を披露するべきじゃないって教わらなかったの?」
「俺に話したくないってことはさしずめ男ってとこか」
「言い方っ!」

口を開いたかと思えば、狡噛くんはこちらの配慮など微塵も汲み取らず、素知らぬ顔でぺらぺらと自分の知識をひけらかし始めた。私の配慮などゴミ箱にでも捨てれば良かったとふつふつと怒りが込み上げてくる。そして狡噛くんは私が隠したかった事実など最初から分かっていたのか勝手に結論を出すと、私の返事なんてまるで聞かずに帰って行った。あんまりだ。あんまりである。準備室の扉に立ち尽くしながら、私は心に強く誓ったのであった。

「当分この敷居はまたがせない…いくら女子から追っかけられたって助けてやるもんか」



▽▲▽



あんなに強く決意したのにあの日から一週間狡噛くんはこの部屋に来なかったので、私の誓いは肩透かしを食らっていた。そして日々狡噛くんを追っかけまわしている女子達と話をしたところ、どうやら技術室に閉じこもって何かを熱心にしているらしく、とても話しかけられる雰囲気では無いそうだ。そう聞いたのが今日の昼休みだった。
そして何かを熱心にしているらしい狡噛くんは今、そのでかい図体に似合わずちょこんという効果音が似合いそうな風体で準備室の前に立っていた。私はというと、その姿を見上げながら腕を組んで静かに臨戦態勢に入っていた。今日、私はこの敷居をまたがせる気はない。

「なにか?」
「…」
「な、に、か?」
「…まない」
「ん?」
「すまなかった」

徐々に消え入りそうになる声を拾えば、どうやらそれは謝罪らしかった。さすがに先日の非礼を非礼と思う心はあったらしい。“ちょこん”から“しゅん”という効果音に変わった狡噛くんは、すごすごと手に持っていた紙袋を私に持たせる。中には小さな瓶と、その小瓶の半分ぐらいのサイズの電子チップ。「今日はこれを渡しに来ただけだから」と言って、結局準備室の敷居をまたぐことなく狡噛くんは帰って行った。

「なんだあれ」

あまりのいつもの態度との違いを不審に思いながらも、席に座った私は袋の中身をデスクの上に置いて眺めていた。そこで私ははたと先日の、この謝罪の原因となった会話を思い出す。……まさかね。いやいや、そんな手の込んだ面倒くさいことを。そう思いながらも私は勢いよく立ち上がると、空の花瓶に水を入れ、貰った小瓶を開けて1、2滴花瓶の中へ垂らす。そして電子チップを水の上に浮かべると、音も無く浮き上がったのは綺麗なカンパニュラの花が一輪。小瓶の正体はおそらくアロマオイルで、甘い花の香りが鼻孔をくすぐった。
ひとしきり眺めていると、段々と紫の花の色がピンクへと変わり、またやがて白へと移っていく。どうやら時間が経つと色が変わる仕組みのようだ。それを目にしながら脳裏をよぎったのは、あまりにも恥ずかしく受け入れがたいことだった。

「紫の、カンパニュラの花言葉は、後悔…」

そこから感謝、節操、共感など思いつく限りの単語をぽつぽつと口にしていく。けれどそれら以外の言葉はとても口にできなかったし、結局私はこの日から1週間狡噛くんを準備室から出禁にした。
私は“知らなかった”で済ますほど白状にはなりたくないし、だからといって受ける気はさらさらないのだ。なのに狡噛くんときたら、そんなことお構いなく人の領域に土足で踏み込んできて、私の考えていることなんてお構いなしに振り回す。それを、どこかで受け入れてしまっている自分がいる。

「勘弁してよ…」

一人準備室で吐き出した言葉は、カンパニュラの香りに溶けて消えた。






カンパニュラの花言葉「思いを告げる。誠実な愛。」

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