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ワルツを君にあげる 2



そういえば最近あの生意気な秀才を見かけないな。ふと気付いたのは、ハイパーオーツ製の味気ない昼食に嫌気がさした頃だった。

基本的に私の一日は、この図書準備室と呼ばれる狭い部屋で完結する。図書室のカウンター奥にあるこの部屋には、広めの事務机と一般的なキャビネットにロッカー。廃棄が面倒な為に置いていかれた小さな向かい掛けの応接セットが1つ、それから持参したコーヒーポットでおしまいだ。日中一人で業務を片付けて、最後この部屋の鍵を掛けたら業務終了。そこまで人付き合いが得意では無い私にとってはまさに天国のような職場である。こういうところはシビュラ様様といった具合だ。その為本を借りに来る奇特な生徒が居ない限りは滅多に誰かと話すことも無いのだが、最近は例の生意気な秀才、もとい狡噛くんのおかげでなかなかに騒がしい日々を送っていた。

しかし、思い返してみれば一週間になるだろうか。狡噛くんはぴたりとここに来るのを辞めたのか、顔を合わせること自体が無くなった。小さな応接セットのソファに窮屈そうに横になっている姿はもう随分前のことのように思う。親しい友人でもできたのか、はたまたあの甘酸っぱい駆け引きに応じる気にでもなったのか、どちらにしてもいいことである。こんな湿った場所で友達も作らずに居るよりかよっぽど色相も穏やかになりそうだ。ここに来ることが無くなってからそんなことに気付くなんて、ほとほと自分に教職は向いていないのだろうななんて分かりきったことを考えながら、久しぶりにこの部屋で煙草の煙を吐き出した。


▽▲▽



「あれ?友達と彼女できたんじゃなかったの?」
「なんの話だ」

そりゃそうだ、どちらも100%私の勝手な想像である。あれからさらに1週間。狡噛くんはもう立派に青春を謳歌しているものだと思っていたが、用事で小一時間ほど準備室を離れて戻ってくると、案外すんなりと定位置のソファに収まって本を読んでいる狡噛君がそこに居た。

「2週間も来なかったからてっきりそういう身辺の変化があったのかと思って」
「別に何もないしそもそも友達は居る」
「じゃあこんなところに来てないで、友達と遊びなよ」
「人と一緒じゃ本読めないだろ」
「図書室で読みなよ。ここは生徒立ち入り禁止」
「騒がしいのは好きじゃない」
「え?今自分がモテるって自慢してるの?図書室に居るのがばれたらきゃーきゃー騒がれちゃうって?」
「喫煙」
「…いい性格してる!!!」

2週間ぶりだというのにも関わらず減らず口の狡噛くんにほとほと愛想を尽かした私は、今日はもう声を掛けてきても絶対に無視をすることに決めた。そもそもまだ私は就業中である。生意気な生徒に構っている暇も無ければ教職では無いので義務もない。苛立ちを隠すことも無く乱暴に椅子を引いて、ドカッと効果音が出そうな座り方をすると、後ろで咳き込む声がした気がするが決して後ろは振り向かない。もう彼は今から空気だ。そう心の中で独り言を言うと、ヘッドフォンをしてからデバイスにシャットダウンするよう話しかける。瞬く間に無音になった空間に満足すると、目の前のパソコンに集中しようとキーボードに手を掛けた。

どのくらい時間が経っただろう。思いのほかしっかりと集中できた私は、あくびと共に大きく伸びると、ヘッドフォンを外して机に置く。窓の外はすっかりオレンジ色に染まっており、目に刺さるような夕焼けがゆらゆらと沈むところだった。はたと後ろのソファに沈んでいた狡噛くんのことを思い出して振り向くが、ソファの上は空っぽで、勿論狡噛くんの姿はどこにも無かった。

「いつの間に帰ったんだ。一声ぐらいかけたっていいのに」

我ながら無茶かつブレブレなことを言うと思うが本心である。さすがに少しきつく当たってしまったかと反省して、そもそも生徒は立ち入り禁止なのだからここに居ることが間違いなのだと開き直ってみるも、元をただせば弱みを握られた私が悪いのか?なんてぐるぐると着地点の無い思考が頭の中を回る。その時だった。

「百面相してるがどうしたんだ」
「っこ、狡噛くんじゃん?!」

まさに思い浮かべていた人物に声を掛けられて、驚きのあまり上擦ったような声が出て恥かしい。声の方へ顔を向ければ、準備室の扉を開けた狡噛くんが何やら飲み物を持ってこちらを訝しげな目で見ていた。

「変な声。俺が帰ったと思ったのか?」
「今気付いたの。あーびっくりした」
「そういえばなんで2週間来てないって知ってたんだ」
「え?なんでって、来ないなーと思ったから普通に数えたの」
「普通に?」
「普通に」
「ふーん…」
「何、なんか怖い」
「別に。今はそれで構わない」
「今はって何!」

狡噛くんの質問に正直に答えると、狡噛くんは生返事のような、なんとも含みのある返事をしったきりそれ以上会話をする気が無いようで、そのまま私の横を通り過ぎそそくさと帰り支度を始めだした。私はなんのことかと眉を潜めるが、そんなことはてんでお構いなしだ。こういう時の狡噛くんはやたらと頑固なので、私は追及するのを諦めて自分も帰る支度を始めた。

「これやるよ」
「ん?さっき持ってたやつじゃん。買ったんじゃないの?」
「そういう甘いの好きだろ」
「……ありがと。遠慮なく頂きます」
「さようならセンセイ」

やはり今日の狡噛くんはもう私の問いに答える気が無いらしい。買ったのではないのか、という質問も華麗にスルーされ、私は受け取る以外の選択肢を潰される。まぁ甘いのは好きなので拒否する理由も無いのだけれど。それから狡噛くんは挨拶を言うのが先か扉を閉めるのが先か、という具合にあっさりと帰ってしまった。あまりの引き際の良さにあっけに取られて、暫く扉を見つめてしまう。どことなく、だけれどあんなに機嫌の良さそうな彼を見たのは初めてだったかもしれない。今日の狡噛くんはいつも以上によく分からない。まぁ年頃の、ましてや男の子の心情なんてそもそも分かりっこないと思考を頭の隅に置き、貰ったストロベリーショートケーキドリンクとやらを一口。口の中に広がるやけにねっとりとした甘味に、私は思わず顔を顰めたのだった。

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