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君の祈りになる頃 4



近頃町の様子がなんだか忙しなく、どこか緊張した面持ちなのは私の取り越し苦労では無いだろう。これは近々近くで紛争が起きる。町には見慣れぬ傭兵と思わしき男達がうろつくようになり、貧しいながらも活気のあった市場は鳴りを潜めるように店を閉める店主も多くなった。この嫌な空気は、私が生まれてから幾度となく経験してきた空気だ。

「近々この周辺で紛争でも起きるのか」
「分かるの?」
「経験からくる嗅覚ってやつだ。一週間ぐらい前からこの町の人間じゃない奴もよく見かけるしな」
「うん、多分近々なにかあるんだと思う。今までもこういうことはよくあったの。でもこの町は奪うような価値も無いただの田舎町だから、ここが標的になることはきっと無い」
「…それならいいんだが。念の為外に出る時は俺も行くからちゃんと言えよ」
「狡噛は大げさだなぁ。私生まれも育ちも紛争地帯のど真ん中よ?」
「何も無いならそれでいい。だが前みたいなことがあったら、自分の身一つだって守れないだろ」
「…確かに、そうだけど」
「事実だ。だからちゃんと言えよ」
「別に今までだって、何度もこういうことはあったよ」
「今まで無事だったのは運が良かっただけだ。そんなこと、」
「そんなことっ、狡噛に言われなくったって分かってる!」

今日は仕事が休みの日だったので、私も狡噛もそれぞれに本を読みながらお茶をして、たまにうたた寝をして。昼は狡噛が料理をしてくれた。そんな静かで平穏ないつもの昼下がり。その筈だったのに。
一週間ほど前から続く緊迫した空気に当てられて、私も狡噛もどこかピリピリとしていたのだろう。お互いが段々と喧嘩腰の口調になり、最初に声を荒げたのは私だった。狡噛の言っていることは正しい。そんなことは百も承知だ。私が前のように万が一ゲリラと出くわすようなことがあれば、自分の身を守ることなんてできずに十中八九死ぬだろう。けれど私だってこの場所で、この世界で今まで一人で生き延びてきたのだ。
そして、今は狡噛がここに居てくれている。けれど明日は?1か月後は?5年後は?それは狡噛がここに居るようになってから少しずつ心の淵に溜まっていった言葉だった。今日は狡噛が私を守ってくれるかもしれない。けれど彼はずっとここに居るわけでは無いのだ。お互い口には出さなかったけれど、きっと別れの時はすぐそこなんだろう。彼が旅を続ける為に武器や用具を少しずつ調達していること、周りの商店で日曜大工をしてたまに日銭を稼いでいること、そしてここを出る為のルートを模索していること。全て知っている。知っているから、腹が立った。どうせ私を置いていくのに、自分の目が届くうちだけは守りたいだなんてただの高慢だ。

「……ごめん、頭冷やしたい」

そう言って出て行こうとする私の腕を掴んだ狡噛は、立ち上がって口を開いた。

「いい、お前の家だ。俺が出ていく」

静かに閉まる扉を、出ていく狡噛の背中を、私はただ呆然と眺めた。行かないでいいとは言えなかった。狡噛と居ると息が詰まるのだ。置いていかないで欲しい。居なくならないで欲しい。狡噛が日本で何をして、どうして今旅をしているかなんて、言いたくないのなら言わないでいいから。私は知らないままで構わないから。ただ私の隣に居てくれれば、それでいいから。そんな思いが押し寄せて息ができなくなる。高慢なのは一体どちらなのだろうか。溢れてくる涙の止め方がこんなにも分からないのは、きっと両親が居なくなってから初めてだ。置いて行かれる寂しさを知っていても、どうすることもできない痛みがある。私はただ、部屋の隅で膝を抱えることしかできなかった。



*



どれだけの時間が経っただろうか。気が付けば寝てしまっていたようで、窓の外はもうとっぷりと日が暮れて月が薄明りの中で浮かんでいた。朦朧とする頭で辺りを見渡しても狡噛の姿は無く、帰ってきた様子も無い。さっと血の気が引いて、もしかして狡噛はこの状況に愛想を尽かして出て行ってしまったのでは無いだろうか。そう思うと居てもたっても居られず、私はそのまま勢いよく外に出る。もしも、もう二度と会えなかったら。悪い考えは次々と浮かび、急く心とは裏腹に上手く足が動かない。足を縺れさせながら一心不乱にアパートメントの階段を駆け下りる。すると視界の端で、うっすらと見慣れた紫煙が揺れるのが見えた。咄嗟に階段の手すりから身を乗り出して中庭を見ると、月明かりに照らされた紫煙はきらきらと光るように空に上がっていく。その様子を息を切らしながら見つめる私とは正反対に、狡噛は中庭のベンチに一人腰かけてただじっと空を見上げていた。

「もう、帰って来ないのかと思った」
「…名前」
「なんでこんなところに居るの」
「寝てる家主を横目に家に上がるのは気が引けた」
「今更だなぁ」

私がゆっくりと近づいて声を掛けると、狡噛はこちらを見て私の名前を呟いた。昼間の喧嘩から気まずい空気が流れるが、先に喧嘩のことについて口火を切ったのは狡噛の方だった。

「昼間は、すまなかった」
「狡噛の言うことが正しいよ、狡噛は悪くない」
「けれどお前の気持ちを考えてなかった」
「でも私のことを考えてくれたでしょう」
「……どうだかな。お前のことよりも、俺はお前に何かあって欲しくない。その感情しかなかった。それはお前のことを考えているっていうより、俺の願望を優先した結果だろ」
「この状況でそんなこと言うの?」
「取り繕ったってしょうがないだろ」
「狡噛って、以外と女の扱いが下手なのね」
「お前な、」
「こういう時は、お前のことを考えたからだって言って抱きしめればいいのよ」

そう言って私が笑うと、狡噛は最初面を食らったような顔をして、それからふっと目を細めて笑った。ゆっくりと狡噛が私の腕を引っ張って彼の胸元に倒れ込むと、その腕の中にしっかりと抱きすくめられた。

「狡噛、心配してくれたのに怒鳴ってごめんなさい」
「いいんだ」
「さっき起きた時、狡噛がもう居なくなってしまったんじゃないかって思って凄く怖かった」
「……」
「だから、お願いだから、さよならはちゃんと言わせてね」
「少し黙っとけ」

上擦る声が中庭に響いた。泣かないように、縋らないように。これが私の精一杯の強がりだった。一瞬傷ついたような顔をした狡噛は、けれどそう言って私に口付けした。何度も角度を変えて啄むようなそれに思考が融ける。これが幸福、というのだろうか。どこか名残を惜しむような口付けに、悲しくなんてないのに私は溢れる涙を堪えることしか出来なかった。

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