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君の祈りになる頃 3



気が付けばこの国に入ってから25日。この小さなワンルームで過ごすようになってから三週間が経過していた。俺は今後の武器や用具を調達する為、街で一人買い物をしているところだった。街を歩けばその国がどんな情勢なのかは手に取るように分かる。一通り見て感じたのは、紛争な貧困はあれど、普段“平和”という言葉が似合うような田舎町であるということ。市場は活気があり人々の往来も多く、その顔は朗らかな笑みを浮かべている。最初彼女の雰囲気を見たときはもっと切迫した町なのかと思ったが、この活気をみてどこか安堵した。だがあのゲリラのような奴らがいつ現れるか分からないのも、また事実であった。


名前は普段、近くの食堂でウェイターとして働いていた。初めてその食堂に行ったのは2日かけて家まで戻ってきた日の夜。無断欠勤してごめんなさい、とバツが悪そうに謝る彼女を、店主の妻と思わしき体格のいい女性が涙ながらに抱きしめた。彼女が俺とのいきさつを話すと、店主は俺の手を取ってこの子を助けてくれてありがとうと話した。他にもこの町を案内されながら話しかけられる彼女は、この町にとって必要不可欠な存在なのだろう。そんな様子を少し離れて見ていると、彼女は「私の父さんね。役人で、この辺りを取り仕切っていたの。だからこれは、父さんが愛されていた証明」と言って誇らしげに笑った。


*



「狡噛!」
「邪魔したか?」
「ううん、もう終わるところよ」

日も落ちて辺りが暗くなった頃、そろそろ名前の仕事が終わる時間だということに気付き俺は食堂へと足を向かわせた。入口から顔を覗かせると名前は丁度仕事を終えたところだったようで、帰り支度の準備をしている途中だった。入口の気配に客だと思ったのか慌てて振り返る様子は彼女の性格を物語るようだ。居たのが客では無く俺だと分かると、まるで花が咲いたような笑顔で俺の名前を呼んだ。その表情に思わず口が緩むのを俺は慌てて隠す。名前はそんな俺の様子にきょとんとした面持ちで不思議そうにしていたが、早く帰る準備をしろと促すと、分かったと返事を返して足早に奥へと戻って行った。

「迎えに来てくれたの?」
「たまたま近くを通ったからな」
「そうなんだ。こんな街はずれにわざわざね」
「…前見て歩け」

舗装も無く街頭もまばらなこの道は、星がよく見える。少し前を歩く名前はいつにもまして機嫌がよく、時折知らない鼻歌が聞こえてきた。こんなにも穏やかな時間を過ごすのは一体いつ振りだろう。よくよく思い返してみても、上手く思い当たる記憶は無かった。むしろ日本という名の、シビュラに統治された空間で過ごすのが当たり前だと思っていた頃に、今のような安寧はあったのだろうか。国としての秩序が保たれていない場所で“安寧”というのは些か不謹慎かもしれないが。こんなことを思い返したのも、考えるのも、ひいては前を歩く一人の女性が原因である。なんの力も持たない、ありふれた一人の女性。けれど自分は、あのゲリラ達が銃を向け人々が逃げ惑う中で、彼女だけが恐怖に怯えながら下を向かなかったことを知っていた。あの戦場に、自分の境遇に、気丈にも自分の足で立つ姿を見て純粋に美しいと思ったのだ。そしてどうしようもなく“欲しい”とも。

「狡噛?どうしたの立ち止まって」
「いやなんでもない」
「変な狡噛。早く家に帰ろう」

そう言ってまた歩き出した名前を追い隣に並んで、彼女をそっと見つめながら一歩ずつを歩く。先ほどまでと静けさは同じなのに、どうしてだかまるでここには俺と名前しか居ないよな、そんな錯覚を起こしたような気分になる。お互い前を向きながら、どちらからともなく触れた指を手繰るように、俺は名前の手に自分の指を絡めた。すると少し震えていた名前の手が遠慮がちに握り返すのを感じて、俺は離れないように力をこめる。始めは何か言いたげだった名前は結局何も口に出すことは無く、お互い静かなまま、ただゆっくりと帰路を進んだ。この手を長くは繋いでいられないことを、彼女はきっと知っているのだろう。それなのに彼女の為を思うよりも、自分の欲を優先する様はまさに分を弁えない獣のようだと自嘲する。随分と狡いことをしている自覚はあったけれど、今だけは、どうしても離せる気がしなかった。この暗闇の中で繋がれた熱だけが現実ならいいのにと、柄にもなく願ったと聞いたら名前は俺を笑うだろうか。

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