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world/call




兵長の小柄な背中はいつもひらりひらりとそれは軽やかにそらをまう。私はその背中を見るとなぜだろう、どんなに巨人と対峙しようが恐怖心というものがきれいさっぱり取り払われて、どこまでも彼を追えるような気がしていた。肉をそぐ音が、仲間の叫声が、巨人の咆哮が、どれだけ私の耳をおかそうとも、あの背を前にすれば私は自分の命がそれはそれは軽いもののように感じたのだ。


それがどれだけのおごりだったのかはわからないけれど。


夜がくると昼間の惨状が悪い夢のように、辺りは静かな空気と星が鎮座する。私が目覚めたのは、そんな誰もが寝静まった頃だった。


「…いたい」


うっすらと目を開けると、視界に入ったのはぼんやりと明りの灯ったランプに破損した立体起動装置・血塗れのジャケットと、あとひとつ。いつも見ていた小柄な背中。三度まばたきをして、もう一度目を凝らす。私は痛さも忘れて力任せに起きあがった。


「へいちょう!」
「うるせぇな」


二つ返事でいつもの暴言を返したのはまぎれもなく兵長で、腹部に感じる刺すような痛みはそれを“現実”だと教えてくれているようだった。そうだ。私は昼間、あの場所でしんだはずだった。兵長の背中と私の間に現れたのはまぎれもなく奴らで、その軌道は兵長をまっすぐにとらえていた。今私があいつの首筋を狙ったところでもう間に合わない。感じ取ったそれと、その首に無理やりワイヤーを飛ばしたのはほぼ同時だった。恐怖は無かった。そんなの、兵長を失うことに比べれば、自分の命なんていうのは本当にちいさなことだと思ったのだ。


「…おい」
「?…は、」


最後まで返事を言い終えるより、兵長のごつごつとした手が私の頬に平手打ちをくらわせた方が早かった。口内に滲む血のあじと、怒ってるなあと感じることのできるいたって冷静な頭。減らず口は私の悪い癖だ。


「…いたいです。へいちょう」
「うるせぇっつったろ。俺は自ら死に急ぐような馬鹿は部下にいらねぇよ」
「分かってます」
「分かってねぇだろ」
「でも、」
「黙れ」


その言葉に、さすがの私もおとなしくなる。項垂れる私を見下ろしながら大きなため息を吐いて、兵長自身も黙ってしまったものだから沈黙は彼にとって肯定なのか否定なのかもわからない。どのぐらい経っただろう、怖々とする私をよそに視界の端で兵長がゆっくりと片腕を上げたのがみえたので、これは痛いぞと思わず目を強くつぶる。けれど私が想像していたよりもずっと、いや想像なんて言葉は通用しないぐらいに。私に降ってきたのは暴言でも、ましてや直接的な躾でも無かった。


「…………なんのつもりですか」
「なんのとは?」
「この、頭にのる手ですよ」
「一般的にはこれを【撫でる】という動作に分類する」
「それは私の聞きたいことですか?」
「俺が知るか」
「理由を聞いても」
「お前の馬鹿な行動が俺のかすり傷を守ったことは確かだからな。そこだけは評価してやる」
「えらく余計なことをしましたね私は」
「まったくだ」


優しくも無く、それでいて乱暴でもない。本当にただ“撫でる”という言葉がぴったりな手つきで2度私の頭を往復した手は、それからすみやかに離れた。かと思えば、そのままポケットからハンカチを取り出す。表情はずっと訝しげに眉をひそめたままだ。ほんとうにこの人の考えていることは、何年一緒に居ても1ミリだってわかりっこない。


「…ハンカチ、いつもお持ちですね」
「当たり前だろう」
「そして手を拭くんですね」
「ハンカチにそれ以外の役割があるか?」
「いいんですいいんです、問題ないです………へいちょうのすかぽんたん」
「………」
「いひゃいへいちょいひゃい」
「お前の兵長っていう発音はおかしい」
「つ、つねるとか子供ですか」
「ほう」
「へいちょうは頭おかしいですよ撫でた手拭くし」
「何が悪い」
「ほっぺつねるし」
「上司にえらい口叩くお前が頭おかしいだろう」
「…私、今初めてしにたくないって、思いました」
「っは、そりゃよかったな」


兵長の心底馬鹿にしたような視線が私を射抜く。こんなの、ちっとも望んでいなかったのに。どうしたって死ぬことの方が当たり前の世界で、私はおおきな弱点を背負ってしまったのに。彼が少しだけいつもより優しく笑うから、私は口を開くことすらできなくなってしまった。


world/call


20130601

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