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彩色に縋る棘
気付いたのは、私が静雄のきれいなその金色に触れた時だった。小さくあ、と鳴いた喉に反応したのは彼が先で、私の背に回された腕は静かにそれを解いてゆく。
「どーかしたか?」
お互いベッドに横になっていたのに、静雄の腕は私を軽々と抱き上げてベッドの上に座らせた。自然と向き合う形に少し気恥ずかしさを覚えるも当の本人はわざとなのか天然なのかまるで気にする素振りもなく、私の一言に首を傾げていた。私に問いかける声は子供のように無邪気で、それだけでなんだか泣きそうになる。こういう時、私はたまらなく彼がいとおしい。じっと私を見つめる眼に捕らわれて思いあぐねていると、ますます分からないといった面持ちで静雄は先ほどと同じ言葉を投げかけた。
「頭、大分黒くなってるなぁって…」
ぽつり、不格好な言葉だった。私が眉を下げてしどろもどろ答えると、目をぱちくりとさせてから何を思ったのかどこか嬉しそうに瞳を輝かせ始める。やっぱり、子供みたいだ。
「つーんてするね」
「まぁな」
ハケでぺたぺたと、お世辞にも良いとはいえない手際で黒くなった根元に薬をつけてゆく。小さなユニットバスの中に無理やり身体を沈めた静雄は、なんだかとてもアンバランスだった。ひんやりとしたハケが頭に触れる度、僅かにびくりと動く肩は私のこめかみをむずむずとさせる。大きな欠伸の後に、とろんとした目で静雄は口を開いた。
「人にやって貰うのは楽でいいな…」
「痒い所はございませんかー?」
「それ違うだろ」
「でもそーゆう気分なの」
「ふうん」
「だから静雄もちゃんとやってね」
「客を?」
「そう、今から静雄と私はお客さんとカリスマ美容師です」
「なんのカリスマだよ」
どうでも良さそうに、でも少しだけ弾んだ声で相槌をうつ静雄に私は満足しながら、少し慣れてきたのかリズム良く手を動かしてゆく。ゆっくりと色を変えてゆく時間に言いようのない気持ちが心を震わせた。静雄が髪を染める理由も気持ちも知っていたけれど、この黒を壊す自分の指先が今私は誇らしいなんて言ったら静雄はどういう顔をするだろうか。彼の深いところにあるものに少しだけ近づいた気持ちになれることが、こんなにも私の幸福になるのだ。
「綺麗に染まるかなあ」
「カリスマ美容師なんだろ?」
「無免許だから闇美容師だけどね」
「お前はブラックジャックか」
たわいもない会話に気を取られていれば、あっという間にタイマーはけたたましく時間を知らせる。指先で一束摘めば、綺麗に染まった金色があった。それを見て、自然に漏れたのはとても小さな溜息。それは欲情にも似た音だった。
「静雄は、金色が似合うね」
「そーか?」
「…静雄はこの色嫌い?」
「まー…、元は黒だしな」
「でも、今はそれでいいんだと思うよ」
「お前は染めんなよ」
「え?」
「……折角綺麗な、髪だから」
「…ありがと」
「後」
「あと?」
「お前にやって貰えんなら、この色も悪くねぇ」
照れているのだろう段々と小さくなってゆく語尾とは裏腹に、そっと伸ばされた指先はやさしく、でもしっかりとした手つきで私の髪を撫でた。こんな彼だから私は何度だって恋をして、この小さな独占欲に蓋をして、でも全身で言いようの無い思いを紡ぐのだ。いつか彼がこの綺麗な金色を捨てられる日が来る時に私が隣に居られたら、それはどんなに幸福なことだろう。そんな夢を目蓋の裏で描きながら、私はゆっくりと蛇口を捻った。
110205
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