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最果てに見る 銀河のまぼろし
朝起きて仕事に出掛け、しんだように眠る。なんの抑揚も無く、なんの高揚も無い生活。淡々と散りゆく季節にはいつももの悲しさだけが残っていく。それが私の生きるということだった。
今日も、日常と変わらず私は生きていた。しかし時に人は自分の意志とは関わらずその日常を捻られる。唐突で、しかし何かの意思を感じざるおえないそれ。確かに私はあの場所で痛烈な痛みと共に地面に叩きつけられた筈だった。ヘッドライトの視界を遮る閃光、耳をつんざくような人の悲鳴。何もかも私はしっかりと記憶していた。記憶していたのだ。
まるで夢から醒めたような気分だった。
眼を開けると、そこはこじんまりとした列車の中。その列車には誰も何も乗っては居なかった。車掌の姿すら見えず、手には切符の陰も無い。窓ガラスからのぞむ景色は夜に染まった木々だけだった。固い真紅のシートに腰を下ろしていた私は、揺れる車内を朦朧と見渡した。ぼんやりと灯る電球は薄暗く、自分の着る鮮明な色使いのストールと、若草色のスプリングコートだけが視界を色づける、そんな世界だった。
ふと眼に写った鞄に入っていたのは、父の形見に貰ったもう写らないカメラと、いつの間にか無くしてしまったお気に入りの詩集だけで、入っていた筈の財布や携帯はすっかりと無くなってしまっていた。座席に立てかけてあった持ってきた覚えの無い傘が、私に全ての享受を促しているようだった。
「素敵な傘をお持ちだ」
声が耳に届いた時には、その男は目の前に座っていた。真っ白なシルクハットに真っ白なコート、そして奇妙な傘。その男を形作る全てが奇妙でいやらしく、薄気味が悪かった。驚きのあまりかたまる私に構わず、男はまた口を開く。貴方は何処へ行かれるのですか、と。
途端、先程まであった筈の暗い木々などすっかり無くなり、かわりに訪れたのはどこか見覚えのある銀河の海だった。きらきらと眩い程の星達が一点の曇りもない黒に吸い込まれては消え、また新しい星が生まれている。それら無数の線を辿るように、列車は力強く走っていた。
「夢を…見ているの?」
「それは貴方次第ですよ」
窓ガラスに手をついて、そっと下を見る。瞬く星の中には、ガラスに反射した薄ら笑いを浮かべる男が私の眼を捉えて離さない。一体、何処へ?その問いは私の脳を駆け巡り、血液を通り心臓を抜け、やがて静かに口からすり抜けていった。
「きっと、この列車に乗ることが私の目的地だった」
「奇遇ですね、私も貴方がこの列車に乗るのをずっと待っていたんですよ」
満足げに男は頷く。私が振り返ると、男は私の顎を持ち上げて眼を捉えた。その限りなく何にも染まらない瞳は、きっと私ごと飲み込んでしまうのだろう。それは酷く恐ろしく、それでいて安堵に満ちていた。私は静かに眼を閉じる。とめどなく瞬く星は、確かに全てを祝福していた。
最果てに見る
銀河のまぼろし
110610
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