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姫空木の咲く夜に





気がつけばもう校舎には誰も残ってはいないようだった。

風の音だけが静かに響く。学園施設だけが密集している街の中心にあるこの学園は、夜になれば生き物の影なんてうそのように静まり返ってしまう。とっぷりと暮れた夜は、学園をいとも簡単に呑み込んでいた。

いつもは心地の良い静かな図書館も、この時間ともなれば別の話だ。いつの間にか寝てしまったらしく、テスト勉強をしていたはずのノートは殆どまっさらなままだった。時計を見るともう19時を回っていて、その事実に私は少し身をこわばらせる。怪談なんてのはどこの学校にでもある話で、うちの学校も例外ではない。鞄に荷物を乱雑に押し込むと、図書室を足早に後にした。周りを出来るだけ見ないようにひたすら走る。きゅっきゅ、と上靴がきしむ音だけが空気を揺らすようだった。その時だ。視界の端で小さく何か光を見つけた私は、丁度通りかかった自分のクラス前で足を止めた。すっと瞬く静かな青色を見た気がしたのだ。不思議と怖さを感じないその色に、先ほどまで一刻も早く帰りたかったはずの足はぴたりと止まって動かない。じっと目を凝らしても、一瞬よぎった青は見えるはずもなく、でもどうしても帰る気分ではなくなってしまった。私は心臓の音が速くなるのを感じながら、その青に吸い寄せられるように扉を開けた。

「…何、してんの?」

どきどきと音を露わにしていた心臓も、その存在を確認すると嘘のように静まり返る。そこにはさっき見た筈の青はどこにも無く、居たのはクラスメイトの奥村だけだった。奥村はうちのクラスで最初から浮いていた存在の1人で、それは奨学金でぎりぎりに入学した貧乏人の私にも言えることだった。だからか、奥村は私が高校生になって初めてできた友達だ。けれど奥村自身は謎だらけで、私は何故だかいつもその謎に触れるたび指先がじくじくと痛む。例えば、奥村は学校が終わると一目散に帰るのが日課で、一度バイトでもしているのかと聞いたら塾があるんだと言われた。いかにも勉強なんて嫌いそうな奥村がそんなことを言うとは思ってもみなくて、目を丸くしていると何故か奥村は奥村君(私は弟君をそう呼んでいる)に帰り際こっぴどく叱られていたのをよく覚えている。それに寮も一年生は4人で一部屋な筈なのに、廃墟みたいな旧館に住んでいるのは奥村兄弟2人だけで、ある意味貸切状態らしい。聞けば聞くほど、一緒にいれば居る程分からなくなる奥村に、私は悲しくなったり寂しくなったりいつも忙しい。あんた、何者なの?なんて、いつも出かかっては飲み込む言葉。その言葉の先なんて、考えたくも無い。

「もう19時だよ」

自分の席に腰を下ろしてそう告げても、奥村はただぼんやりとしていて、帰る気は無いようだった。私の言葉に小さく頷いたかと思ったら、じっと前を見据えて動かない。寝ぼけてるんだろうか、覗き込むように奥村を見ると、確かに奥村の前には私が居る筈なのに私なんかちっとも見ては居なかった。その青く透き通るような瞳に、私は先ほどの青を重ねてごくりと息を呑む。とても綺麗なその色は何を考えて、何を感じているのか。目の前に居るのが誰なのか、本当にそれは奥村なのか。奥村のことは、いつになったら、いつまで、こんなにも分からないんだろうか。馬鹿みたいな考えは私の頭をあっという間に占拠する。気がつけば、自分でも無意識のうちに手を伸ばしていた。

「うおっ!」

「あ、…ごめん」

奥村の驚いた声にはっとすると、無造作に机の上に置かれていた奥村の腕を、私はきつく握っていた。目をまんまるにさせてあたふたと私と握られた腕を交互に見る奥村は、確かに私の知っている奥村で、少しだけ安堵する。

「な、んか。どっか、行きそうだった」

「…俺が?」

「うん…奥村が。ごめん、何言ってるか分かんないよね」

私が眉をひそめて笑うと、奥村も困ったような、少し傷ついたような、そんな表情で笑った。

「お前って、さぁ」

「んー?」

「結構おせっかいだよな」

「今なんつった」

「でも、ありがとな」

「…は」


奥村はそう言うと、今度はくすぐったいぐらい真っ直ぐな笑顔でそう言った。私はその笑顔にあてられて、さっと掴んでいた腕を放すしか無くなる。くあっ、と欠伸をしながら立ち上がる奥村の背中を見つめると、やっぱりいつものように私の頭の中は悲しいやら寂しいやらで、じくじくと指先が痛んだ。

「帰るか」

「うん」

奥村の後を追うように私も教室から一歩足を進めた。そして一度だけ振り返って、教室を見渡す。誰も居なくなった教室に、先ほどのあの青は当然の如く存在なんてしていなかった。でも何故だか、さっきの青は奥村のような気がしてたまらなかった。そんなことあるわけ無いのに、心のどこかでそう信じたいと私は叫んでいた。そしてすべてを飲み込むこんな夜でも、見失うことの無いあの青が瞬き続けてくれたら、と。私は小さな祈りだけを握りしめ、教室を後にした。


姫空木の咲く夜に

110606



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