泣き虫毛虫

 じめじめした土がお尻を濡らす。手足の指先から身体の芯まで冷えてしまっていた。僕はぎゅっと膝を引き寄せる。
(皆、帰っちゃったかなあ)
 孫次郎に伏木蔵、怪士丸と僕。一年ろ組の皆で日陰隠れん坊をすることになった。孫次郎が鬼になって、僕達は日陰を伝って隠れる場所を探すためにそれぞれ別れたんだ。良さそうな日陰を見つけて向かう途中に地面が抜けて、お尻と背中を打った。すぐには訳がわからなかった。「ああ、天才トラパーの綾部喜八郎先輩の落とし穴だあ」と気づいたのはちょっとしてから。
 始めこそ、暗くてじめっとした穴の中は居心地が良くてちょうどいいやあ、と思っていたのだけれど、誰も近くを通らないから急に不安になってきた。
 そうして今、僕は膝を抱えている。
 頭の上を空っ風が吹く度に、びゅううと音がする。このままずっと見つけてもらえなかったらどうしよう。
 委員会の食満留三郎先輩なら、きっと自分で登れるだろう。富松作兵衛先輩は道具を持ってるかもしれない。
 喜三太としんべヱはどうかなあ。
 なんとか外に出ようと頑張る二人を想像すると、僕もなんとかしなきゃと思った。濡れたお尻をはたくとひんやりしていた。穴をよじ登ろうとして、すぐにぼくはため息をついてしまった。
(つるつるだあ……)
 どこを見ても穴の壁は表面がつるんとしていて、手をかけるところが見当たらない。
(これ掘った綾部先輩、どうやって出たんだろう)
 普段よく接する上級生は委員会の三年生と六年生だけれど、学園の先輩達はそれぞれ得意なことがある。
 僕の得意なことって何だろうと考えてみる。しんべヱはご飯を沢山食べれるし、喜三太はナメクジを見分けられる。伏木蔵は薬のことを僕らよりよく知ってるし、上級生でなくったってみんな特別すごいことを持っているんだなあ、と思ったら気持ちがしおしお萎んでしまって、さらに悪いことに今度は厠に行きたくなってしまった。
(どうしよう。寒かったから……)
 ここでしてしまうのもアリだろうか。でもここは先輩の落とし穴の中だ。涙がにじんで、目をこする。
「痛っ……!」
 右目がじんじん染みて、開けられない。手に土がついていたようだ。涙がぼろぼろ零れてきた。
 おしっこは漏れそうだ。目は痛くて、それにやっぱり誰も来てくれない。 左の目も熱くなって、頬が濡れて、鼻水まで出てきた。

「泣ーきむーし毛虫ー。どうしたのー」

 歌うような声が僕の上から聞こえた。
 もう目はこすれないから、左目をたくさん瞬きして上を見る。ぼんやり桃色が見えて、ああ、くのたまだ、とわかる。暗くなって顔は見えない。
「どっか痛いの」
「あ……」
 なんと言ったらいいかわからずにいると、くのたまは息を吐いた。
「痛いとこ。ないの」
 もう一度聞かれて、僕は慌てて答えた。
「目が、こすったら、土が入っちゃったみたいで……」
「目が痛いのね」
「う、ん」
 厠に行きたいことは黙っていよう。
「あ、あの、もしできたら、先生か先輩か、誰か呼んできてもらえないかな」
 これが僕の精いっぱいだった。けれどくのたまは返事をせずに穴から見えなくなった。
 そのまま置いていかれたのか、とため息をついてしゃがみ込む。少しすると、数人の足音が聞こえて、ぽっかり空いた穴から今度は食満先輩が覗き込んできた。
「平太ー! 大丈夫か!」
「平太! 目をいじっちゃだめだよ!」
 保健委員長の善法寺伊作先輩だ。
「平太ーごめんねー」
「平太ー!」
「平太大丈夫〜?」
 ろ組のみんなも一緒で、安心したら僕はちびってしまった。


 引き上げられたあと、善法寺先輩の持ってきてくださった水で目を洗った。
「しっかりすすぐんだよ」
「はい。……あ、食満先輩」
「ん?」
「僕のこと先輩に教えてくれたくのたまにお礼を言いたいんです」
 すると食満先輩は腕を組み直して眉を下げた。
「それがなあ。よくわからないんだ」
「よくわからない……?」
 僕とおんなじように伏木蔵も首を傾げる。孫次郎と怪士丸は僕の着替えを取りに行っている。
「ああ。僕も留三郎も、平太のいる場所と目に土が入ってることを聞いたんだけど、それを教えてくれた人の顔は見ていないんだ」
 善法寺先輩はゆすぎ終わった僕の目を診て、こすらないようにね、と念を押す。
「俺も修理をしてたら紙がひらひら落ちてきただけだな。平太の事が書いてあったから、誰がそれを落としたということよりも助けに行く方が先決だったし……。平太が頼んだんじゃないのか?」
「そうなんですけど、逆光で顔が見えなくて」
 わかるのは、くのたまということと、あの声だけだ。
「声だけわかる謎の人物ってこと〜? それってすっごいスリル〜」
 伏木蔵は楽しげにいうけれど、やっぱり助けてもらったんだからお礼がいいたい。
「僕、探してみます」
「きっと見つかるさ」
 拳を握るって言うと、食満先輩と善法寺先輩が頭を撫でてくれた。

 その日の夕食から、僕は興味津々の伏木蔵と一緒に、くのたまの多い時間帯に食堂に行くようにした。孫次郎と怪士丸は怖いから嫌だと言って断った。仕方が無い。僕だってくのたまがたくさんいる所に乗り込むのはちょっぴり、結構、すごく怖い。隣の伏木蔵が乗り気でにこにこしているのが心強い。
 普段見ない僕らの姿に、くのたまたちも物珍しそうな視線をちらちら向けてくる。僕はびくびくしながらくのたまの声に集中しながらご飯を食べる。
「ねえ、あの忍たまだあれ?」
「初めて見た」
「一年生よね」
「ユキやトモミなら知っているかもしれないけど、一年生の忍たまのことは二年生のくのたましかよく知らないんじゃない?」
 そうか、ユキちゃんたちに聞けばいいのかと気がつく。僕はあまり親しくないけれど、しんべヱたちとは仲がいいらしい
「でも二年生、昨日からお寺に合宿よ」
 だめだった。
「平太。二年生じゃないみたいだね」
「うん。合宿中じゃ無理だね」
 食堂を出ると、伏木蔵がこそりと耳打ちする。
「僕、話聞くのに夢中でご飯の味わからなかった」
「そうなの? 今日の秋刀魚の塩焼き美味しかったよ」
 けろっとしている伏木蔵が少し羨ましくなった。


 全く手掛かりのつかめないまま、四日目の朝。僕が目を覚ますと、きちんと支度をした伏木蔵がいた。
「平太やっと起きた。おはよう。寝坊だよ」
「うーん……伏木蔵おはよう」
 寝坊、という言葉にあっ! と飛び起きる。
「起こしても全然起きないんだもん。支度待ってようか?」
「ううん、ごめんね。急いで行くから先に食堂行ってて」
 伏木蔵を先に送り出してから、急いで制服に着替えて、食堂に向かう。早足で廊下を歩いていると、食堂の方から歩いてきた知らない先輩たちに道を塞がれてしまった。
「あ、お、おはようございます」
「お前、下坂部じゃないか? 最近くのたまと飯食ってるって噂の」
「くのたまに好きなやつでもいるんじゃないのか、ははは」
 制服の色から二年生だとわかる。怪士丸のところの能勢久作先輩や伏木蔵の川西左近先輩とは違う、知らない先輩。違います、と言わなきゃいけない。
「あの、ぼ、ぼ……」
「びびりだなあ。ぼぼ? オトモダチがいないと飯食えないのか?」
「一年ろ組って暗いよなあ。鶴町とか何考えてるかわからないし」
 ぎゅっと歯を噛み締めて、拳を握る。僕が弱虫だからみんなが馬鹿にされるんだ。
「あの、僕は……」
「ああ?」
「僕は、ただ、助けてもらった、お礼が言いたい、だけです!」
 先輩たちの眉根が寄って僕を睨みつけた。
「一年ろ組を、馬鹿にしないで、ください!」
「よく言った、平太!」
 明るい声と共に背中を軽く叩かれた。
「やだなあ久作、ちょっとからかっただけじゃんか」
「もっぱん改良したんだけど、受けてみる?」
「げ、左近」
 振り返ると能勢先輩と川西先輩がいて、その後ろから時友先輩が出てきた。
「ねえ、今日の放課後一緒にバレーしない? いらいら発散できるよー」
 ぱっと去って行った後ろ姿をぽかんと見ていると、頭をがしがし撫でられた。
「しょうもないやつらだなあ。悪いやつじゃないんだぞ。平太、で、好きな子いるのか?」
「三郎次! 何言ってるんだよ」
 僕の頭から手を離した池田三郎次先輩の頭を、今度は川西先輩が叩く。それを笑う能勢先輩と時友先輩を見ていたら安心してしまって、目が熱くなった。
「あ、三郎次が平太泣かしたー!」
「富松先輩が怒りにくるぞ」
「やめろよ左近、なんで富松先輩なんだよ、食満先輩ならわかるけど! てか、俺のせいじゃない!」
「それより、早く食べないと授業遅刻するぞ」
 能勢先輩の一言に涙も引っ込んで、僕は先輩たちと慌てて食堂に駆け込んだ。
「平太は用具委員だからなあ、委員会の仕事で会えたらいいな。おばちゃーん、ご馳走さまでしたー!」
 食器を戻しながら能勢先輩が笑う。
「確かに、僕も保健だし、久作は図書だろう? くのたまと顔合わせることはわりとあるよな。平太は、修理の依頼とか?」
「あ、くのたまの方の修理はくのたまがやるので……あまり大変なものは手伝うかもしれないんですけど、まだやったことないです……」
 そっか、と能勢先輩は僕の頭をくしゃりと撫でて、先輩方はそれぞれ授業に向かって行かれた。

 放課後の委員会、僕はそわそわしながら今日の活動内容が伝えられるのを待っていた。
「えー、今日の委員会は」
 食満先輩がそこまで言ってため息をつく。
「生物委員会の虫小屋を直す! カメムシ越冬隊の被害拡大を防ぐためと、みの虫ふゆごもり隊の家になるそうだ。今は五年生の委員長代理竹谷八左ヱ門が実習で不在のため、我々用具委員が活躍する!」
「はーい!」
 富松先輩がげんなりした顔をしていた。僕も少しがっかりする。しんべヱと喜三太の返事だけが元気だ。
 
 板と道具を持って飼育小屋に向かう。あと少しと言うところで、すすり泣きとそれをなだめるような声が聞こえてきた。
「うっ、う……」
「ほらあ、泣き虫毛虫してるとジュンコも心配してるよ」
「ごめ、ジュンコちゃ……」
 あ、と思った。駆け出したい。でも、しんべヱと一緒に大きな板を抱えていたから無理だった。はやる気持ちを抑えて飼育小屋に近づく。
「どうしたんだ、孫兵」
 富松先輩が言って、伊賀崎孫兵先輩だとはっきりする。板を下ろして見ると、萌木の制服を着た伊賀崎先輩の前に、うずくまる桃色のくのたまがいた。もう一度、声を聞きたい。
「作兵衛! あの、ほら、今 竹谷八左ヱ門先輩が実習中でいらっしゃらないだろう?」
「い、伊賀崎先輩!」
 くのたまがぱっと顔を上げて伊賀崎先輩を呼んだ。心臓がどきんと跳ねる。
「恥ずかしがることないだろう? 竹谷先輩がいなくてさみしいのはみんなもいっしょなんだから」
「だ、だめっていったのに!」
 涙でぐちゃぐちゃの顔。あの時は逆光で見えなかったけれど。
「泣ーきむーし毛虫ー。どうしたのー」
 声が震えているかもしれない。あの時聞いてぼんやり覚えている歌を歌う。か細い僕の歌に、くのたまはぱっとこちらを向いた。
「ぼ、僕、下坂部平太です。この間、助けてくれたお礼が言いたくて……と、友達にもなりたくて」
 しゃくりあげながらくのたまが僕を見る。こんなに委員会の時間にしゃべるのは珍しいから、食満先輩や富松先輩も目を丸くしている。でも、これは言わなきゃいけないんだ。
「名前を、教えてくれないかな」
 きゃ、と小さな声を上げて、彼女は伊賀崎先輩の後ろに隠れた。あの時とは全く違うか細い声が名前を紡いだ。



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