Mr.クラフティーの憂鬱

「……。」


もう二度と吐かないと決めていた溜め息を吐き出したのは何度目だろうか。
自分自身に溜め息禁止令を出したものの、毎朝の溜め息は留まる所を知らない。


これもある意味で宿命か、と考えてはまた同じ過ちを繰り返しそうになり、慌ててこの苦い思いを日本茶で飲み干した。






帝国陸軍の参謀本部長、豪炎寺修也は私の夫だ。
今でこそ彼は時の権力者だが、御一新前は武士と言えるかどうかすら危うい低級身分の人間だった。
だからこそ私と出会い、こうして夫婦の契を結ぶこともできたわけだが……。



「(やっぱり、間違いだったのかも。)」




御一新を迎えるまでに幾度も訪れた修也の危機。
私は上手く陰ながらも彼の援助をしてきたつもりだ。
その経験もいくらか自信となって、修也に相応しいのは自分以外には居ないと確信していた。
藩内から出たことも無かった私だが、上京したって修也と一緒なら問題は無いだろうと思っていた、思いたかった。



しかし現実はそうも易々と進ませてくれない。
修也は御一新での活躍が認められて華族となり、軍の最高権力者にまで登り詰めた。
しかし彼の権力が強大になるにつれ、新聞や世間での修也の評判はますます厳しいものになってゆく。
"陰険" "冷酷" "秘密主義"
毎朝の新聞を見る度に嫌になってしまう。
修也の国への想いがこうも他人に伝わらないなんて。
確かに彼の行動や言動は誤解されやすいが、もっときちんと接してみれば、根は優しい人だと分かるはずなのに。



鹿鳴館での舞踏会に公式の茶会などなど、夫人の出席が義務付けられている行事は多くある。
そんな場面では修也もちろん、私も多方面から憎悪の視線を一身に浴びる訳である。
その度に修也は苦しそうな表情を一瞬、ほんの数秒、私にだけ見せて「本当にすまない」と謝るのだ。




「(私への視線だなんて。)」



そのくらい、いくらでも耐えられる。
どんなに陰口を叩かれようと、睨み付けられようと、今の私には痛くも痒くもない。



ただ、苦しいだけ。
あまりに辛そうな修也を見るのが嫌いなだけ。
きっと修也だって、周りからの視線などは気にもとめていないのだろうけど、あの人は優しい人だから。
私に気を遣っているのだ。
私を気の毒だと思っているのだ。


それが悲しくて、辛くて、腹立たしくてならない。




「帰ったぞ、」



「(修也……)」


とたとたと玄関まで進み出て、修也の前で笑ってみせる。
すると、彼は厳しげな無表情を少し崩して私の頭を撫でてくれる。



「ただいま、名前。」


「(おかえり、修也。お仕事ご苦労様。)」



ぎゅうと修也に抱きつくと、彼はさらにきつく私を抱き締め、肩口に顔を埋める。
朝日を浴びてキラキラと輝く綺麗な白髪がくすぐったい。



「(ふふ……くすぐったいよ、修也!)」



身体を捩らせて修也から逃れようと目論むが、なかなか離してもらえない。
私の息づかいだけが微かに漏れる。
満面で笑みを浮かべている私に対して、修也は相変わらず私の大嫌いな表情で憂えていた。




「名前……」



「(修也?)」



「すまない…本当に、ッすまない…!」


「(やだ、修也……泣かないで……?)」



そっと彼の頬に指を滑らせ、にこりと微笑んでみたが、修也は変わらず私への懺悔を続けるだけで、何も変わりやしない。



「(私、そんなに不幸じゃないんだよ?)」



小さくキスを落とすと、がむしゃらに掻き抱かれる。
私は大人しく身体を預けた。



「オレのせいで…お前の声は…!」


「(だから修也のせいじゃないってば。)」



悪いのは私の脆弱な精神。
私は修也の妻なのだから、あのくらいの罵倒に耐えなきゃいけなかったの。
あの程度の陰口で声を失ってしまう私が弱かっただけなの。
だから、修也は何も悪くないよ。




「名前……約束する。オレは必ず、お前を守る。」


「(ありがとう)」


「もう誰にも……お前を傷つけさせやしない。」


そう言って私を横抱きにして、そのまま屋敷の広間へ運んでくれる修也。
そんな彼の腕の中で、じんわりとこの歪な形の幸せを噛み締めた。





豪炎寺=山県有朋




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