authoritarianism

昔から、私は優柔不断な方であった。
小学生の頃、好きなものを買ってあげようと言われても、何が欲しいのかをはっきりさせるのに気が遠くなる程の時間がかかったし、中学生の頃には、何の部活に入るか散々悩んでいる間に3年の夏を迎えていたという伝説を立ててしまったこともある。

そして極めつけは高校時代にできた彼氏のことである。
私が高校2年生の頃、隣のクラスの男の子に所謂愛の告白とやらをされたのだが、この優柔不断な性格のせいでなかなか彼に返事を返すことができず、なんやかんやでよく分からないまま何故か交際にもつれ込んだ。
その時の彼とはお互いに24歳になった今でも交際しており、向こうは結婚を仄めかしつつある。
交際に至るまでの行程は不明瞭であったにせよ、彼は優しくて私を愛してくれている。
きっと、私も彼が好きなのだろう。
そんなこんなで意味の分からない曖昧な人生を送ってきたが、特に波風が立つこともなく、順風満帆な生活を楽しんでいた。




はずが、




「ー……、……」


「yes」


イチ庶民でしかなかった私は現在、海外の高名なデザイナーの手掛けた高価そうなウェディングドレスを身に纏い、純白の薄いヴェールの向こう側に佇む艶やかな赤髪の男の声をぼんやりと聞いていた。

英語は昔から得意でなかったので確信は無いが、恐らく牧師は「貴方は病める時も健やかなる時も貧しい時も(以下略)彼女を愛しますか?」みたいなお決まりのセリフを吐いたのだろう。
それにこの赤髪の男は「yes」と答えた訳だ。
「yes」つまり「はい」である。
そのくらいは私にも理解できる。





私に結婚の話が浮かび上がったのは、1ヶ月前のことであった。

しかし残念ながら、その相手は高校時代から付き合っていた彼ではない。



どこで私を見掛けたのやら私にはとんと見当がつかないが、かの有名な吉良財閥の御曹司で現在はその社長―吉良ヒロトがいきなり面識の無い私の実家に押し掛け、「お嬢様を僕に頂けませんか」と結婚を申し込んできたらしいのだ。

母は財力にもルックスにも恵まれた吉良ヒロトをすっかり気に入ってしまい、また父の勤める企業が吉良財閥の傘下の会社であったことから、「お父様の昇給も減給も僕の匙加減一つです」と吉良ヒロトに脅しをかけられ、両親はこの結婚を積極的に押し進めるようになってしまった。
少し前までは実家に連れていった彼氏を見て、「まぁ勤勉そうな方」だの「好感の持てる若者だ」だのと誉めまくっていたクセに、やはり富の魅力には二人とも敵わなかったようだ。
私の気持ちは全無視である。




そうこうしている内に吉良財閥の権力と財力とでトントン拍子に事が進み、現在に至る。




「…幸せにするよ、名前。」


吉良ヒロトのまた妙に色気のある声に私は現実に引き戻された。


もう儀礼的なセリフは全て済んだらしく、吉良ヒロトが私のヴェールを剥ごうとしていた。


あぁ、遂に、遂に例の「誓いのキス」とやらをしなければならないのか。
この急に現れた得体の知れない男と。



吉良ヒロトとは今日までに何度か二人だけで話をした事がある。
確かに吉良ヒロトはそのルックスと財力だけが魅力の男でなく、優しく、財閥の御曹司らしく上品だった。
それに、(どういう経緯があったのかは分からないが)私の事をとても愛してくれているようだった。
まるで硝子に触れるかのような手つきで私を抱き締めてくれた。
手つきの一つ一つの優しさに心が震えた。

しかし、やはり始まりは曖昧であっても、長年付き合った彼とは比べられない。
結婚するなら、吉良ヒロトでなく彼としたかった。
いかに優柔不断とて、そこだけは譲れなかった。


しかしまぁ、吉良の力の前では私のささやかな気持ちなど虫けらと同じ。

もう諦めるしかないのである。




どんどん吉良ヒロトの端正な顔が近づいてくる。
やはりいつ見ても綺麗な顔だ。
私の唇に触れようとする吉良ヒロトの形の良いそれに、そっと覚悟を決めた。





「ちょっと待ってください!」




バン!と突如響いた大きな音に、私も吉良ヒロトも、参列者も牧師も、みんな一瞬で動きを止めた。
チャペル内の人間の視線が扉元に居る男に集中する―彼、だ。
高校時代から付き合った私の彼氏。
どうしてどうして、まさか結婚式をぶち壊す為にこんな所まで……!?


彼はずんずんと私の元に歩み寄ってくる。
私の手を優しく握り、「行こう、」と囁きかけた。
ドラマ、だ。
まるでドラマの中みたいに嬉しい展開だ。


チャペル内はやはり未だに静かだ。
それに乗じて「はい」の返事をしようとしたのだが、この静寂が今度は怖くなり、ちらりと隣の吉良ヒロトの表情を伺った。
彼は、いやに楽しそうな加虐的な笑みを浮かべていた。


「さぁ、」


吉良ヒロトのその表情に背筋が凍るような思いがした私は躊躇ったが、彼に少し強引に手を引かれて駆け出そうとした、その時。


「ちょっと待ってくれないかな」


吉良ヒロトが小気味悪い表情を崩さずに、彼に(きっと私に、ではないのだろう。)呼び掛けた。
その柔らかな声音に彼はピタリと足を止めてしまう。

ちょっとちょっと、なんで立ち止まるのよ!
このまま私を連れ去ってよ!

叫び出そうとしたが、それよりも先に吉良ヒロトが「緑川、」と(確か)彼の秘書の名を呼んだことで遮られてしまう。



「はいはい、」


何だ何だ、と牧師や私を含め、吉良側の参列者までもが騒ぎ出す中で、緑川さんが端に置いてあったボストンバックを吉良ヒロトに差し出す。
すると吉良ヒロトはバックを受け取り、その中からとんでもない厚さの札束をいくつか取り出した。


「っえ、ちょ……!」


その行動の突飛さに私が間抜けな声しか出せない中、吉良ヒロトはニコニコとあの薄気味悪い笑顔のまま、あろうことか札束をまだ私の手を握る彼目掛けて投げ捨てた。



「手切れ金、渡しとくよ。だからいい加減名前から手を引いてくれないかな?」


吉良ヒロトのとんでもない行動に再びざわつき始めたチャペル内に優しく穏やかな、しかし高圧的な声が響きわたる。


気がつけば先程まであれほどキツく私の手を握っていた彼はいつの間にか、手を離していた。


「おいで、名前」


そっと静かに、怖いくらいに優しく呼ばれ、私は吉良ヒロトに逆らえないのを感じていた。
権力とか、財力とか、そんなものじゃない。
精神レベルで逆らえない。
吉良ヒロトはもしかすると、人を完全に服従させる能力でも持っているのかもしれない。


純白のタキシードをスラリと着こなした吉良ヒロトにゆっくりと近づきながら、そう感じていた。


「じゃあ、続けようか」


私が吉良ヒロトに優しく抱き締められた時には、既に彼と札束は消え去っていた。


呆気なく収まってしまった騒動に私もその他の人間も放心状態だったのだが、吉良ヒロトただ1人はやはり楽しそうな笑みを浮かべて私に誓いのキスとやらを落とすのであった。

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