予定調和の不確実性

私の旦那はやけに顔が整っている。
その上優しい紳士で、吉良グループの代表取締役。
聞けば、中学生時代にサッカーの世界大会に出場したらしい。(さすがにそれはウソだろうとFFIの公式DVDを見たが、本当だった。本当であったにしてもどうせ補欠だろうと思っていたが、レギュラー扱いだった。しかも決勝で三得点に絡んでいた。…神様という人はやはり不公平である。)

それに対し、私はというと凡人という表現がしっくりくる。
現在は専業主婦。
結婚する以前は普通のOL。
ちなみに中学生時代は帰宅部。
優柔不断だけが特徴だが、そもそも優柔不断は美点というより汚点だから自慢できる特徴ではない。
長年交際していた彼氏がいたのだが、強大な権力をバックに控えさせているヒロトによってほぼ強制的に別れさせられた。


私たちの馴れ初め(?)といえば、こんなものだろうか。




「ねぇ名前、行ってらっしゃいのキスは?」

「さっさと行かないと遅刻するよ」

「本当に君は照れ屋さんだね…仕方ないなぁ、オレからしてあげるよ。」

「や、やめろ!!」

後ずさるも既に時遅し。
柔らかな感触が唇を襲った。
くっそ、この人男のくせに何でこんなに唇柔らかいんだ…!


「よし、これで今日も一日がんばれそうだ。じゃあ、行って来るよ。」


「…行ってらっしゃい…。」



こうして私の奇妙な新婚生活の一日が幕を開けるのだ。



朝、ヒロトはだいたい8時には家を出る。
代表取締役なのだから所謂「社長出勤」というやつで、10時頃に家を出るのかと思っていたが、意外にもそうではないらしい。


ヒロトが家を出ると、まず私は洗い物をし、
洗濯をし、掃除をする。
ヒロトはあの歳でマンションの最上階を買い取っているので、掃除する部屋が多くて毎回心が折れそうになる。
しかしヒロトの仕事柄、急な来客がある場合も多いので一日でも怠ってはならないのである。これも妻の勤めだ、やるしかない。
そう自分を励まして掃除という名の戦場へ向かう。


なんとか掃除も終わり、簡単な昼食でも作ろうと冷蔵庫を開けると、ちょうど電話が鳴った。
どうせまたヒロトだろうという予想は的中。
ため息まじりに通話ボタンをタップする。


「…もしもし?」

「あぁ名前、今日のお弁当も美味しいよ。特にポテトサラダが。」

「それはようございました。それより、毎日毎日お昼に電話してくるけど…仕事大丈夫なの?忙しいんじゃない?わざわざ電話くれなくても私なら大丈夫だけど。」

「つれないな、オレが君の声を聴きたいから電話してるんだ。そんな冷たいこと言わないでよ。オレの可愛いお姫様。」


ぞわりと寒気が背筋を駆け抜ける。
なんだこの人、相変わらずキザだな。
というより、こんなクサイ台詞を(恐らく)真顔で言えるあたりは尊敬に値するだろう。
適当に鍋に湯を沸かし、買い置きして置いたパスタを一人分入れながら電話口の厄介者の相手をする。


「ヒロト、そろそろお昼休み終わるんじゃないの?」

「オレは午前中がんばったからいいの。…それより名前、オレのこと好き?」

「は?…どうしたの、急に。」

「いや、確認してみたくなって。いつもオレが好きだって言っても君は『はいはい』で済ますじゃないか。」

「あー、はいはい。私もヒロトのこと好きですよー。じゃあ、お仕事がんばって。」

「あ、ちょっと名前!待って!」


「…何?」


心底うんざりしています、とでもいいたげな声で返答をしてもなんのその。
ヒロトは上機嫌に「今夜は外食しよう。駅前で19時に待ち合わせね。」とそれだけ言って一方的に電話を切ってしまった。
なんとも自分勝手な男である。
まったく、社長があれで吉良グループは大丈夫なのだろうか。
そんなことをつらつら考えていると、何時の間にかパスタは茹で上がっていた。




午後は隣町のスーパーへ行き、食品を買い漁って満足感を纏わり付かせながら帰宅した。
いやはや、あれだけ品質の良いものをこれだけ購入してもこの値段とは…今日は得をした。
普段はできるだけ食費を抑えつつも食事の味と見た目は豪勢にしなければ、長く御曹司生活を歩んできたヒロトの口には合わない可能性があるため、毎日何時間も大型レシピサイトに噛り付いていたが、安価な割には質の良い食材を購入することができたので、当面の間は見た目や味付けで誤魔化さずに済む。
鼻歌交じりに帰宅すると、もうヒロトとの約束の時刻が刻一刻と迫っていた。
いかん、支度をしなければ。







しかし、いざ支度をしようにもどのような店で食事をするのかが分からなければどうにもならない。
さほど敷居の高くない店ならば今着ている服でも問題はなかろうが、何にせよ食事に誘ったのはあのヒロトだ。
私をファミレスやらチェーン展開のなされた店へ連れて行くとは考えにくい。
とりあえずヒロトにメールして聞いてみるか、とスマホをタップすれば、その張本人からのメール。



「寒いだろうから、ちゃんとドレスの上にショールを羽織るんだよ。」



…なるほど、暗にドレスを指定しているということは、普段着で入るような店ではないのか…。
そこで私は着替えのターゲットをドレスに絞り、クローゼットを物色したのだった。




「ごめん、お待たせ…」


化粧と髪を簡単に直し、ストッキングを穿き、ヒロトにプレゼントしてもらった薄いグリーンのミニドレスに薄手のパールみを帯びたショールを羽織って地元の駅前へ駆けつけると、ヒロトはもう既にあのやけに目立つ車を停車させて待っていた。
車の傍に立ってくるくると鍵を白い手で弄んでいる。
どうかしたのかと声を掛けようとしたが、思い当たることもあって「あ、」と思わず声をあげる。


「い、いい年してミニはヤバイよね…この年で見苦しいよね!!せめてタイツは黒にするべきだよね!!着替えてくる!!」


早口に言い切ってしまうと、彼は我に帰ったように、「待って!!」と叫びをあげた。
驚いて立ち止まると、ヒロトはそのまま私の腕を掴み、車内へとエスコートしてくれる。


「ごめんね。あまりに君が綺麗だったから、ちょっと見惚れちゃってただけなんだ。見苦しくなんかないよ。本当に綺麗だ。」


相も変わらず美麗な微笑みでそんな言葉を掛けられて、ガラにもなく頬を赤く染めてしまった。
あぁ、心臓に悪い。





「そうだ、引っ越そうかと思うんだけどさ、名前はどの辺りに住みたい?」


唐突にこんな言葉をかけられたのは、車内でのことであった。


「引っ越って…ヒロト、いまの家に何か不満でもあるの?」


別に私は何も不満などないのだが。
ご近所の奥さん達はみんな優しいし、たいへん閑静だし、都心へも近い。
というか寧ろ、今の土地以上に立地条件の良い場所があろうか。
東京でも1,2を争う高級住宅街だというのに。確かに私のような中流家庭出身者には少々敷居は高いけども。


「いや…もうこのままマンションに住んでたんじゃ手狭になるだろうし。」


「手狭…?」


そこで見計らったかのように信号が赤く染まる。
辺りの車に倣って青いフェラーリはゆっくりと減速し、ヒロトはやっとこちらを向いた。



「子ども。そろそろ欲しいかなって。」

「こ…ども…。」

「まぁ、そんなに焦りはしないけどさ。でもオレはいつかは欲しいな。3人くらい。」

「…私に三度も出産の苦しみを味わえと?」

「あはは、ちょっと名前には頑張ってもらわなきゃならないけど、夢だったからさ。」



そこで信号は再び緑がかった青へと移り変わり、それと同時に周囲もまた慌ただしく動き出す。
ヒロトは再びハンドルを握った。
そして前を向いたまま続ける。


「話しただろ、オレは孤児だったって。もちろんお日さま園のメンバーや父さんや姉さんのことは家族だって思ってる。…でも、たまにどうしようもなく淋しくなるんだ。家族が欲しいって。」


「……」


「あんまり淋しかったもんだから、何度かオフィス街で見かけてずっと気になってた女の子の身元を金を積んで調べた。
そこからは君の知るとおりだよ。
その子の気持ちも、その子が当時付き合っていた彼氏の気持ちも全部無視して強引に結婚した。……はは、本当はもっとゆっくりことを運んで、もっと正当なやり方で君を手に入れたかったのに。」



彼は変わらず前を向いているままであるので、今どんな表情を浮かべているのかは私には到底分からない。
ただ、少しだけ彼は後悔しているのではなかろうか、という推測くらいは容易につく。



「……ヒロト、もしかして私と結婚したこと、後悔してるの?」


静かな車内では、私の声ですらやけに響く。
彼は一瞬だけ私に予想通りの弱々しい笑みを見せ、おもむろに口を開いた。


「後悔、はしてないよ。ただ、君には可哀想なことをしたなって思ってる。」


「……馬鹿」



これだから、この男から離れられないのだ。
離婚がしたければ、私には勝ち目が無くとも裁判に持ち込んだだろうし、まずそもそも、嫌いな人間の為に仕事を辞め、甲斐甲斐しく家事になど走ろうか。
本当にヒロトを憎んでいれば、私は彼の為に食事の用意をしたりなどしないし、カッターシャツにアイロンだってかけない。
こうやってずるずるとこのうざったらしい男と新婚生活を送っているのは、紛れも無く私が、


「…好きだよ。ヒロト」


「……………!」


普段はただの変態のくせに、本当はとても優しいことを知っている。
夫婦だからという大言壮語の元に同じベッドで寝かされているが、無理に事を成し遂げようとしたことなど一度もない。
常に私が辛い思いをしていないかどうか、気を配っていることも、私が外出する際は吉良グループのSPさんにこっそり後ろを護らせていることも知っている。
スマートに見えて、ヒロトは意外にも不器用だ。

「名前…」



気がつけば、あんまりヒロトが私を凝視しているのでまた恥ずかしくなってしまって、頬の火照りを冷ます為にもフイとそっぽを向いてやった。




「名前、いまの本当!?」



片手をハンドルから離して私の肩をつかむヒロト。
「危ない!ちゃんと前見て!」と彼をたしなめるが、ヒロトはよほど驚いているらしく、切れ長の目をまん丸に見開いて私から視線を逸らさない。



「ねぇ、さっきのもう一回…」


「もう一生言わないわよ馬鹿!」



返す言葉は、これが精一杯だった。









みぞれ様へ!

基山ヒロト×スキキライ Honey Works















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