真夏の酸素乖離曲線

夏休み直前の終業式というとやけに浮かれた人間が多いようだが、私に言わせれば何を夏休みごときで、としか言えない。

「夏休みどうするー?」

「あたしは彼氏と旅行の予定!」

「わー!いいなー!」



いかにも女子高生です、エンジョイしてます、みたいな会話が耳に入り、私は無意識の内に眉をひそめてしまっていたらしい。
「眉間の皺、何とかした方がいいんじゃないか」と隣にいた玲名に指摘された。


「夏休みなんてさ、」

「?」

「何が楽しみなんだろうね。」

「私は楽しみだぞ。授業のことを考えずにひたすらサッカーができる。」

「そういや玲名もそうだったね…」



じわじわと汗が首筋に滲む。
何とか蒸し風呂状態の体育館での終業式拷問を乗り切り、棒アイスをかじりながら玲名と二人の帰宅。
晴矢、風介、リュウジ、治たち男子サッカー部は終業式後も部活があるようだし、
マキは彼氏とデート。
愛やクララや由紀は隣町の男子校の子と合コンで、
ルルと布美子と杏は医大生と合コン。
なんだ、女子陣はみんな合コンか。


こうして部活からも合コンからも外れた私と玲名は仲良く二人きりでダラダラ帰宅しているのである。
寂しいったらありゃしない。



「あーあ、夏休みなんて爆発すればいいのに。」


ぼそりと呟くと、玲名は意外そうに目を見開いてこちらを向く。
少しだけ、棒アイスが溶け始めていた。



「お前も休みが楽しみな人間だと思っていたが。」

「どうして?」

「休みに入ればヒロトと過ごす時間が増えるだろう。」



ヒロト。
その名前を認識して、苦い思いが込み上げてくる。


「別に。ヒロトはどうせ部活と夏期講習で忙しいだろうし。」



溶けてベタベタしはじめた棒アイスが煩わしい。
早く食べてしまおうと口を開けると、その瞬間にべちゃりと音を立ててアイスだけが地面に落下した。





ヒロトは、私たちと違って1人だけ私立の進学校へ通っている。
イナズマジャパンでの功績もあり、FFIが終わって少し過ぎた頃、サッカー部の監督さんがヒロトをスカウトしに来たのだ。
こうしてサッカーの強豪で、有名な進学校でもある高校に入学したヒロトだが私たちとはめっきり生活リズムが狂ってしまい、普段の生活では滅多に出会うことはない。
朝早くに園を出て、夜遅くに帰ってくる。
土曜も授業をしているし、日曜は部活。
高校に入学して2年目だが、私は数えるほどしかヒロトに会っていない。




「寂しいのか、」


私の足元でベタベタに溶けたアイスに群がる蟻をぼんやり見ながら、玲名が言う。


「あんまり。もう慣れちゃったよ。」



辺りで喧しく鳴く蝉の声と、照りつける太陽に嫌悪感を募らせながら答えた。
相変わらず空には、白い入道雲が浮かんでいる。






「お、」

「玲名?」


もうじきお日さま園に着くかという頃、玲名のケータイがぶるぶると震えだした。
ぽちぽちと操作をしながらメールの内容を読み上げる。


「合コンの誘いだぞ。ちょうど2人足りないらしい。」

「どっちの合コン?」

「医大生の方。」

「わ、それなら行こっかな。」



医大生に惹かれて思わず言ってしまうと、呆れたように玲名は首を振る。


「私は別に構わないがな。ちょうど死ぬほど食い倒したいところだった。」


そう言って彼女は再びケータイに視線を戻し、布美子に了承のメールを打った。



あまりに酷い話だが、今の私は妙に虚しくて、寂しくて。
恐らく盛り上がっているであろう医大生との合コンにやけに心惹かれてしまう。
おかしいな、今までこんなに遊びたくなったことなんてなかったのに。
多分、それもこれも全部夏休みのせいだ。
とにもかくにも空っぽなのだ。
何かしていないとどうにかなってしまいそうで、このまま枯れてしまいそうで、派手できらびやかなものに引き寄せられる。
このまま寂しい思いを抱えながら生きていくくらいなら、ヒロトじゃなくてもいいかもしれないとすら思ってしまう。
私の傍に居てくれないヒロトよりも、私と一緒に居てくれる医大生の方が、私を幸せにしてくれるのではないか、
そんな打算がぐるぐると巡る。

「待ち合わせは駅前のカラオケだと。当然の話だが代金は向こう持ちだ。行くか、」


「……ッうん!」


ひどく煮え切らないまま玲名と二人、来た道を引き返した。





ガヤガヤと賑やかな駅前には夏休み直前で浮かれた学生やイチャつくカップルの姿もちらほら伺える。
何となく不快になって、思わず目を逸らした。



「おい、」

「玲名?」

「あれ、ヒロトじゃないか?」

そう言って玲名の細い指が差す先には腹立たしくなるくらいに鮮やかな赤い髪の男。
カッチリとした高価そうなブレザーに身を包み、また値の張りそうな革の学生かばんを携えている。
間違いない、ヒロトだ。


「……。」

「声、かけないのか?」

「いいよ、そんなことより早く行こう。」


玲名の背を押して足早にその場を立ち去ろうとする。
彼女は訝しげな瞳を私へ向けてくるが、無視してドンドン進んだ。
いいの、ヒロトなんて。
いいの、こんな気持ちは捨ててしまえば。


「ッおい、名前……!」

「いいから!レッツゴー合コーン!」



「なに、君たち合コン行くの?」



条件反射で思わずピシリと固まってしまった。
玲名の背を押したままフリーズする私。
えらく滑稽だ。
そんな私に何の躊躇もなく、いとも簡単に玲名は私をヒロトへ引き渡した。


「逃げられたくないのならコイツをよく見張っておけ。」

「はは、そうだね。首輪でもはめておいた方が良かったみたいだ。」



そんな二人に挟まれ、私はもはやペット扱いである。
何とか玲名の方へにじみ寄ろうとするが、セーラー服の襟をヒロトにがっしりと掴まれて動けない。
ちくしょうめ。


「じゃあな」


短く言って颯爽と去っていく玲名の背中を恨みがましく見つめる。
裏切り者め!と叫び出したい気分だったがその後の報復が怖すぎるので喉元で押し留めた。



「……なんで、合コンなんて行こうとしたの」



先ほど玲名に見せていた穏やかな笑顔とは裏腹に、無表情で私に問うヒロト。
いつ見ても呆れてしまうほどに寒暖の差の激しい人間だ。



「別にヒロトには関係ないでしょ」


ピシャリと言い返してやると、ヒロトは更に冷たい瞳をこちらに向ける。
長年の経験から、ヒロトは苛立てば苛立つほど冷静になることを私は知っている。
今更怯んでなんかやらない。


「関係ない?よくそんな事が言えるね。君はオレのものである筈なんだけどー」

「馬鹿じゃないの!」

「!」

「高校に入ってからずっとほったらかしにしてたくせに!それなのに今更『オレのもの』!?私だってヒロトが忙しいのは知ってるよ?知ってるから今まで何も言わなかった!ヒロトが学校で色んな女の子に言い寄られてても、実は半年前に告白された女の子にはちょっとだけ周りとは違う対応をしてても私は何も言わなかった!ヒロトにはヒロトの生活があって、私にはそこを縛る権利なんてないって分かってるから!なのに何なの?ヒロトは私をどうしたいの?私が合コンに行こうがクラスの男子と仲良くしようが私の生活の一部じゃない!」


ダメだ、もうこうなった私は自分でも止められない。
これまで溜め込んできた思いが噴火する。
どろどろ流れて色んなものを巻き込んで、全部ー……ダメになる。


「もう私のことなんて放っておけばいいじゃない!」



あぁ、言ってしまった。

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