夜は天動説を信じない(御堂筋)




私は知っている。
私は自分の容姿が優れているということを知っている。自分の能力が優れているということを知っている。人より全てにおいて優れているということを知っている。
それは私にとって当然であり、けれど自慢をしたりひけらかしたりはしなかった。私が優れているということを自慢するのは、犬に向かって人間が二本足で歩けることを自慢するのと同じだからだ。

期末試験が終わり、数日経ってテスト結果と通知表が配布される。渡してきた担任は柔らかく微笑んでおり、中を見なくても自分の成績が非常に良いものだったことが分かる。クラスメイトがわあわあと自身の成績で騒ぐのを気にも留めず、自分の席に戻る道すがら通知表を開く。5段階評価、並んでいる数字はどれも5。ふふん、と心の中で得意げな笑みを浮かべる。そして間を置かずに「いや、」と思い直す。得意気になっていいほどのものではない。この結果は当然なのだ。私が優秀であるのは当たり前なのだ。愉悦に浸りたくなるのは悪い癖だ。いけない、と小さく首を振る。
席に着き、次にテスト結果が書かれた用紙を開く。各科目の自分の点数、平均点、合計点数、そして順位。それらがちんまりと載せられていて、少し目を細めながら眺める。各科目の点数は良くて90点台後半、悪くて90点台前半。喜びたい気持ちもあったが、ついさっき自分を戒めたばかりだったので平然とした面持ちでそれらを見ることができた。そしてすぐ横の順位の欄に視線を滑らせる。一本ぽつんと鎮座する数字を無意識に期待していた私は、予想に反してぐねりとうねった形をしたそれに少々目を見張った。

「にっ……」

変な声が出た。随分と小さな声だったはずだけれど、隣の席の名前も知らない子が少し驚いたようにこちらをちらりと見た。私は何事もなかったように、何も言いはしなかったとでもいうように口をつぐむ。しかし成績表にある「2位」という字は変わらない。
おかしい。私が優秀なのは当たり前のはずだ。1位であるのが普通のはずだ。この学校では私が常に頂点であって、それ以外なんて有り得ない。けれど2位。これは私よりも優れている人間がいることをはっきりと示している。
誰だ、と思う。
私が頂点であるという事実を揺るがす人間は一体誰なのか。私の「当たり前」を壊す人間はどこにいるのか。
ずっとテスト結果を見つめていた目をふと上げる。前の席に座っている男子の大きな背中が見える。痩せぎすにも見えるが妙な威圧感がある人だと、席替えをしたときに思った。彼の事はよく知らないが、名前は知っている。確か、御堂筋。
彼はさっきまでの私と同じように、配られた通知表とテスト結果を見ているようだった。紙を捲る音を時折立てる。背中と長い腕の間から、通知表の一部がちらりと見え隠れする。どの科目かは分からないが、その僅かな隙間から見えた成績は「5」だった。
こんな得体の知れない人でも、5の成績を取るのか。ごく自然に差別的な発想をしてしまったあと、いけない、とまた自分を心の中で叱る。今は自分に余裕がない状況だから、他の人間に対して良くない目で見てしまうのだ。1位ではないとしても、私は優秀なのだからそれ相応の態度でいなくては。
そう思った矢先だった。未だに御堂筋の背中と腕の間からちらちらと見えるものを、私は凝視していた。彼は通知表全てに目を通し終えたようで、今度はテスト結果の紙を眺めた。私からはその全貌が見えることはなかったが、一番下の列の一番右側の欄の数字が丁度、隙間から見えていた。一番下、一番右。総合順位が書かれた欄。そこには私が欲していた、一本ぽつんと鎮座する数字が書かれている。
がたん、と椅子を大きく揺らしてしまう。立ち上がりかけて、いややめろ、と心の中の私が制止した。中途半端な空気椅子のような状態になり、じわりと背中に汗をかくのが分かった。椅子の音は上手くクラスメイトの喧騒に紛れたようで、ただ一人を除いて誰も反応しなかった。そのただ一人は、前の席の御堂筋だ。
御堂筋は私の椅子の音を拾ったようで、少しだけ振り向く。右目だけが見えた。私は蛇に睨まれた蛙のように、身動きが自由に出来なくなるのを感じる。数秒何も言えないでいたが、それでも御堂筋は私から目を逸らさなかった。何故だかは分からない。

「……………………1位なんだね」

何か言わなければ、という気持ちにさせられた。でなければこの金縛りのようなものは解けないと思ったし、無言を貫いて今以上に何か不利な状況に陥るのも避けたかった。
私の言葉を聞いて、御堂筋は「見たん」とだけ言う。言葉だけを聞くと責めるような表現に聞こえるが、実際の声音はそんな意図は含んでいないように思えた。ただの感想、無表情。ただ事実を確認するようなソレにぞっとしながらも頷く。それと同時に、やっと椅子に腰を下ろす。
初めてまともに見た御堂筋の目は、私の予想よりも黒々としていた。不気味な人だとは薄々思っていたが、まともに見ていなかったくせにその感情はあながち間違いではなかったらしい。
御堂筋は右目で私を見た。私を見て、机に置かれた私のテスト結果を見て、もう一度私を見た。

「キモいで、キミィ」
「……は?」

私を見たかと思えば、彼の口から出たのは真っ直ぐな罵倒の言葉。
気持ち悪い、なんて意味の言葉を投げかけられたのは何年ぶりのことだろうか。記憶にない、もしかしたら物心ついてから初めてのことかもしれない。私は反射的に自分の顔をぺたりと触る。気持ち悪い?まさか、この造形が気持ち悪いなんてことは有り得ない。テレビの画面に映る美しい女優と大差ない外見なのに、見た人を不快にさせる造りはしていないはずなのに。
そんな想いが表情ににじみ出ていたのか、御堂筋はもう一度「キモォ」と言う。彼はにやついた顔をしていて、私の表情が歪むのが心底面白いみたいだった。

「キミィ、自分が世界の中心やと思てるんやろ」

鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
御堂筋と会話をしたのは初めてだ。なのにもう既に、自分の卑しいところを見つけられてしまっていた。自分の心の一番真ん中にある、卑しい想い。卑しいけれど、自分にとっての常識。
私は全てにおいて優秀で、周りの人間は全てにおいて自分より劣っている。人間のヒエラルキーの頂点に居るべきなのは私であり、私を頂点に置くべく周りの人間は動いている。
これが私にとっての当たり前であり、私にとっての真実だ。けれどそれを公言すべきではないことは知っていた。

「そんな…………そんなこと、ないけど」

言葉に詰まった。馬鹿がするような吃り方だった。御堂筋はそれを聞くとまたもや嬉しそうに口角を上げる。きっと彼は、自分の上に立っているつもりの人間を引きずり下ろすのが好きなんだろう。
プクク、と彼は笑う。変な笑い方だなと思った。いつもの私なら、そう思った後に心の中で見下すように微笑む。けれど今はそんな気持ちにはなれず、ただほんの少し、彼の笑い方を目を焼き付けるだけだった。

「キミは、キミや周りの人間が思てるより、ずうっと馬鹿みたいやね」
「……どういうこと?」
「アレェ、優秀なみょうじさんなら分かるんと違う?」

御堂筋はにやにやとしながらそう言うと、言いたいことはもう無いとでも言いたげに視線を前に戻した。残されたのはまだ鳴り止まない喧騒と、恐らく阿呆のような顔をした私。
御堂筋の言う意味が分からないわけではなかった。ただそれは、理解するのに時間を要するものだった。いや、認めるのに膨大な時間を要するものだと言った方が正しかった。
私は御堂筋の薄っぺらく見える背中を穴が開くほど見つめながら考える。いや、私は頂点に居るべき人間だ。そのためにこれだけ優秀なのだと。
しかしこの私の天動説も、近い将来崩壊してしまうのだろう。御堂筋というコペルニクスが現れてしまった、それが原因だ。








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