本当はいちばんそばにいてほしい(悠人)




※社会人設定

目が醒める。
肌に纏わり付く白いシーツはくしゃくしゃになっていた。仄かに洗剤の香り、それと汗の匂いがするベッドから首をもたげると、ドアの隙間からなまえがちらりと見える。トーストを齧っている彼女は眠そうに瞼を擦っていて、そんな眠いならベッドでごろごろしていればいいのに、なんて思う。起きて活動しているなまえを見ても動く気になれなくて、枕元に置いてあったスマホをぽちぽちと弄る。まだ頭がぼんやりしているからか、SNSの文字も碌に頭に入らない。内容を理解するのは諦めて、ただただ画面を眺める。右上に表示された時刻は午前六時半。あと二時間くらいなら寝ていられる。
ドアの隙間から見えていたなまえはトーストを食べ終えたらしく、皿を台所の方向へ持って行ったあと、寝室のドアを大きく開ける。そして起きている俺を見て「あれ悠人、起きてたんだ」と意外そうな顔をしてみせた。

「なんか珍しく目が醒めて」
「いつもなら私が出掛けるまで寝てるのにね」
「なんか言い方嫌味っぽいよ」
「あ、ごめんごめん」

布団を口元まで持ち上げて、目だけでなまえを追う。
なまえはクローゼットを開けて、俺の視線になんて目もくれず仕事に来ていく服を選んでいる。制服やスーツではない仕事場って、なんだか大変そうだ。毎朝それなりの時間をかけて服装を考える彼女を見ていると特にそう思う。
それなら朝食くらい俺が作ってあげれば時間も確保出来るのだろうけど、どうにも面倒さが勝ってしまって仕方ない。なまえも俺が面倒くさがるのを分かっているらしく、俺に余計なお願いはしてこない。頼られていないということだから、一応悲しいことではあるのだけれど。

「あー、そういえば……今日買い物行くけど、晩ご飯希望ある?」
「悠人今日バイトじゃなかったっけ?」
「明日担当の子に代わってって言われたから明日になった」
「そっか。んー……特に希望はないかな。ヨーグルト買っといて」
「わかった」

俺が見ているのも気にせず、なまえは手に取った服を見比べながら着替えていく。いつもの光景だからそれを見て慌てたりはしないけれど、恥じらいをちょっとは持ってくれたらなと思わなくもない。
晩ご飯の希望、今日も無し。これで四日目。
そろそろ俺の料理のレパートリーが無くなってしまいそうだから、食べたいものを言ってくれる方が嬉しい。だがそれを言うと「晩ご飯を考えるのも悠人の担当でしょ」と返されてしまうので、ぐっと飲み込むことが多い。何を作っても美味しい美味しいと返してくれるから、それはそれで良い。

「悠人、電気付けていい?」
「メイクすんの?いいよ」

俺の返事を聞くと、数秒空けて部屋の灯りが点く。いいよと答えたものの思ったより眩しくて、目を反射的に瞑った後布団の中に潜り込んでしまう。芋虫のように布団に包まる俺を見て、なまえは「だから聞いたのに」と笑う。これを度々繰り返している。
ドレッサーの前に座るなまえは姿勢がしゃんとしていて、今日は落ち着いたパステルブルーのシャツを着ていた。俺と同じ歳のはずなのにその姿はやけに大人びて見えて、同時に俺の幼さを思い知らされる。





「ヨーグルト売り場どこだー」

小声で呟きながら、アパート近くのスーパーを練り歩く。カゴには安売りしていた豚肉や鶏肉、チラシに書いてあった野菜たちが詰め込まれている。買い過ぎだとなまえに怒られてしまいそうな量だが、これなら冷凍庫にも入れられるくらいだから大丈夫だろう。
きょろきょろと辺りを見回しながら、ヨーグルト売り場を探す。いつもは一緒に買い物に来た時に気付けばカゴの中に入っているヨーグルト。バレないように、バレても何食わぬ顔でカゴに入れているなまえを思い出す。けれど売り場の場所は思い出せない。
そういや牛乳はあっちの方の売り場だったっけ、とふと思う。同じ乳製品ならどうせ近くにあるだろう。そう目星をつけて探すと案外簡単に見つかった、しかしどのメーカーのものを愛用してたかが思い出せない。

「……なまえいっつもどれ食べてたっけ」

プレーンだったか、果肉入りだったか。パッケージは赤だったか青だったか。メーカーを指定されなかったので特にどれでも構わないのだとは思う。拘りがある方でもないはずだし、全く食べたことのないメーカーのものだって美味い美味いと食べてしまうような人間だ。
だからここで本能的に選んでしまっても良いはずだ。そう思い手を伸ばしたが、指先はふらふらと動きなかなか一つの商品に定まらない。答えや解法を知らないくせに、最適解を探そうとしている自分が少し笑えた。
一緒に住んでいるくせに、ずっと近くにいるくせに、なまえの好きなもの一つ把握していない。ヨーグルト一つでまさかこんなに悩まされるなんて思いもしなかったよ、なんて自分で自分をなじってみせた。


午後7時半、玄関のドアが開く。ただいまあ、と疲れた声が聞こえてきて、台所から顔を出してそちらを見た。

「おかえりぃ。もうご飯出来てるよ」
「わー、さすが悠人。今日何?」
「バターチキンカレーとサラダ」
「おしゃれだあ」

メニューを伝えると、顔の疲れは隠せないもののにっこりとなまえは笑う。今日もしごかれてきたんだろうなあと思いつつ、詳しくは聞かずにカレー皿を準備する。
なまえはソファに仕事用のカバンを放り投げて、んん、と伸びをした。

「お茶の準備だけしてもらっていい?」
「りょーかい」

そのままソファにダイブしてしまえば、一時間はそこから動けなくなってしまう。野暮用をなまえに押し付けて、それを何とか阻止しようとする。眠そうな声でなまえは承諾し、まるでペンギンのような足取りで歩き冷蔵庫のドアをぱかりと開けた。麦茶ポットは彼女が帰ってくる少し前に準備したため、少し色が薄い。だが濃すぎて渋いよりは良い。

「あれ」

麦茶ポットを手にしたまま、なまえは首をかしげる。電気代勿体無いから早く閉めて、なんて俺の言葉を無視して、冷蔵庫の奥の方に入れておいたものを取り出した。

「ヨーグルト、これアロエ入りのだ。いつものとちょっと違うやつ」

緑のパッケージを手にして、興味深げに言う。

「……いつものと違う?」
「うん。メーカー一緒だけど、いつものは果肉とかは何も入ってないの」

アロエのも美味しそうだね、となまえは笑う。その笑顔は可愛らしいしとても親しみやすいけれど、俺はやっぱりなまえのことをちゃんと見ていなかったんだ、と思い知らされたような気がした。
ほんとうに俺は、なまえの好きなもの一つ把握していない。
好きなものどころか、なまえが何の仕事をしているのかも知らない。趣味も知らない。昨日どんな服を着ていたかも思い出せない。

「急に変なこと言ってるって、思われるかもしれないんだけどさ」
「ん、何?」
「……俺さ、もっとなまえの近くにいたい。そばにいて、もっと知りたい」

唐突に、口をついて出た。
それを聞いたなまえはぽかんとして、その後に吹き出して「ずっと一緒に住んでるじゃん」と明るく言った。
違うんだ、そうじゃないんだ、と思った。そうじゃなくて、もっと。
何と表現したら良いか分からなくなって、俺もつられて微妙な笑顔を浮かべてしまう。
きっと今夜も知らないことが多いまま、なまえのそばで眠りにつくんだろう。








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