太陽もまだ寝ている(手嶋)




 昔よく行った公園の裏山。待ち合わせ時刻の五分前、待ち人は現れた。

「珍しいな、お前から誘ってくるなんてさ」
「断られるかと思ってた」
「? なんで」

 目の前の男は本気でわかっていないのだろう、目を瞬かせる。手嶋純太。私はこいつと幼馴染という間柄で、昔はよく一緒に出かけたりもしたものだけれど。

「あんたが自転車自転車言うからでしょっ! 断られるのわかってるから、誘わなくなったんじゃん」
「……あー」

 純太は頬を掻いて、視線を彷徨わせる。
 真っ暗な冬の空。今日は双子座流星群が見られる日だとテレビでやっていたので、彼を誘ったのだ。先に告げた通り、私は断られるかと思っていた。部活を引退したからと言っても、元主将にはやるべきことが山積みだ。

「……断らねーよ」
「なんで」

 全く同じ返答をしつつ、視線を空にやる。純太はふっと息を吐きながら、ポケットに手を入れたまま私の隣に並んだ。

「今までほったらかしで悪かったな。余裕なくってさ」
「知ってるわ。ずっと、見てきたから」
「だな。本当に感謝してるよ、お前には」

 純太は笑う。拗ねた私を宥めるように、大人びた余裕の顔で。
 ところで私はインターハイ、見に行っていないし結果も聞いていない。そもそも私は自転車に興味なんてないし、私から純太を奪ったロードレースは何方かと言えば嫌いだ。でも、純太の顔を見ればわかる。勝った? 負けた? そんな結果報告なんて私には関係ないし必要ないけれど、

「悔いはなかった?」
「……ああ、皆最高の走りだった。頑張ったよ、俺たちは」
「それならいいよ、許してあげる」

 私を長い間放っておいたことも、今もなお次世代の総北で頭がいっぱいなことも。

「まだかな、」

 一向に流れてこない星を探すフリをして、話を終わらせる。これ以上続けたら、また当たり散らしてしまいそうだ。

『やめちゃえばいいじゃない、勝てもしない自転車なんて!』

 純太があまりにロードレースにのめり込むものだから、こっちを見て欲しくてそんな風に言ったことがあった。四年前だ。口に出してしまった言葉は取り消すことが出来ず、悲しげに「だよなぁ」と笑う純太に胸が締め付けられて、私は彼から離れていった。

『聞けよなまえ! 同じクラスの青八木ってやつとさ、チーム組むことにしたんだ。一人ならダメだけど、きっと二人で、レースに優勝するんだ』

 純太は私を何度かロードレースに誘ったけれど、ついに私が純太のレースを見に行くことはなかった。だって私は知っている。純太がどれだけ必死に頑張ってきたか、知っている。だからこそ、見に行くわけにはいかなかったのだ。

 純太が私のことを忘れてしまっても、「仕方ないな」とは思いたくなくて。

「気長に待つしかないだろうなぁ」
「え」
「えって、星を見るんだろ?」
「あ、うん。ごめん、ぼーっとしてた」

 私の心を見透かされたのかと思って焦ったが、私が取り繕うように笑うと純太も笑みを浮かべた。この空気は何年経っても変わることはなく、私はそれを永遠だといつから錯覚していたのだろう。

「……大学でも続けるんだよね」
「ああ、青八木いねぇから厳しいかも知れないけど」
「そっかぁ」

 中学でロードを辞めると言っていた純太が、大学でも続けると言う。それはとても良いことのはずなのに、私は素直に喜べなかった。貴方が決めた道に、そこに私はいない。だから私は今日、純太を誘ったのだ。
 最初で最後のつもりで。

「なまえ、お前さぁ」
「? ……あ!」
「うぉっ」
「流れたっ!」

 純太が何かを告げようと口を開いたが、彼の肩口に私は光るものが移動していくのを見て声を上げた。咄嗟に押し退けてしまったが、謝る暇もなく、私は目の前の光景に興奮していた。
 ひとつ、ふたつ、次第に流れ出す星々に目が輝く。隣に目をやれば、純太も息を飲んで流星を見つめていた。
 届くわけもないのに空に手を伸ばして、そういえば流れ星が消える前に願いを三回唱えたら叶うなんて迷信は本当かな、などと考える。嘘か本当かなんて確かめる術はないけれど、こんなに星があるなら何だって叶いそうだと思った。けれど私の願いを叶えるのは神様だってきっと難しい。

「あのさぁ」

 幻想的な空を見上げていたら、純太の声が唐突に私を現実へと引き戻す。

「何?」
「俺、お前にずっと言おうと思ってたことがあるんだけどーー」

 いつもと変わらない飄々とした声。気になるけど、あまり聞きたくはない。
 別れ話とか、そういう話だったらどうしよう。嫌だけど、仕方ないのかな。私だって純太の邪魔はしたくないもの。
 どきりとして彼の顔を見れないまま、次の言葉を待つ。

「大学出たら、一緒に住まねぇ?」
「え、なにそれ」

 つい予想外の言葉に間の抜けた声が出る。どういう流れで、どんな発想で、私と一緒に住もうだなんて思えるのだろう。私には純太が本当に、わからない。

「俺はプロになれるほどの実力はないってわかってる。それでも楽しくて、まだ辞めたくねんだ、自転車」
「……うん」

 私にだってわかってる。純太にとって自転車競技がどれほど大切なのか。わかっていて応援してあげられない性格の悪い私は、純太の近くにいる資格なんてない。お互いのためにも、離れた方がきっと良い。
 それなのに、どうしてそんな意地の悪いことを言うんだろうって本気で思う。

「大学卒業したら辞めるしさ、俺」
「中学のときも辞めるって言って結局は続けてるじゃない」
「今度こそ本当だって。これ以上なまえを待たせるわけにはいかないしな」
「いつ私が待ってたのよ、調子に乗らないで」
「ははは」

 乾いた笑い声のあと、再び空を眺める純太。さっきの言葉は本音? それとも冗談だった? 私は単純だから、すぐ信じてしまいそう。
 嬉しくて、嬉しくて、星なんかよりついつい純太の横顔を見てしまう。

「明日からまた忙しくなるなぁ」

 部活の引き継ぎに受験勉強に、多忙な毎日が戻ってくる。私は推薦が決まっていて部活も役職にはついていないから余裕があるけれど、純太はそうも言っていられない。忙しい忙しいと口にしながらも唇に湛えた笑みは充実からくるものだ。純太が一番に想っているのが何なのか、改めて思い知らされる。
 それでも、私は願う。今この時だけは、純太の全てが私のものであって欲しいと。笑顔、困惑、幸福。全ての意識が、私だけに向いていて欲しいと。

「明日のことは明日考えて」
「……そうだな」

 私の言いたいことが伝わったのか、優しい笑みを浮かべた純太がそっと私の手を取る。肌寒い季節なのに触れた箇所がひどく熱くて、火傷してしまいそうで、見れば純太の顔も真っ赤だった。

「明日」が永遠に来なければいいなんて私の子供じみた願いを笑っているみたいに、満天の星たちは一層輝きを増した。








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