ねえ好き、大好き(黒田)




黒田雪成くんという男の子の話をしようと思う。
黒田くんは自転車競技部に所属していて、六人しか選ばれないインターハイメンバーの中の一人で、少し口が悪くて、まるで雪のような色の髪をしている。背はそこそこで、黒目が綺麗だ。
女子と話すことはあまりなく、会話をする相手はいつも部活のメンバーだったりクラスメイトの男子だったり。女子が苦手というわけではないようだが、男子高校生にありがちな「女といるより友達といる方が楽」タイプなのだと思う。いや、楽かどうかで選んでいるというよりは、運動部によくいる「部活以外は興味ない」派なのかもしれない。
部活への取り組み方は、私と黒田くんが違う部活のためよく分からない。けれどインターハイメンバーに選ばれるくらいなのだから、相当努力はしているのだろうなあと思う。万年補欠の私とは、大違いだ。是非とも黒田くんの部活している様を見てみたいとは思うけれど、女子がそんなに好きではないであろう黒田くんが私に見られながら部活なんてしてしまったら、気が散ってしまうだろう。それは避けたい。そして意中の人物の部活姿を見にノコノコといつもは足を踏み入れないような場所に行くなんて、ちょっと私のプライドが許さない。

(……でも、きっとかっこいいんだろうな)

四時間目の数学。チャイムが鳴るまでにこの問題を解いておけよと先生が言ってから、教室にはシャーペンの音しか響かない。
そんな静寂に包まれながら、私は前の席に座る黒田くんの背中をぼんやりと眺める。青いストライプのジャケットは椅子の背に適当にかけられていて、黒田くんの杜撰さが手に取るように分かる。入学してからもう何度も着ているであろうワイシャツはくたっとなっていて、もう少しで黒田くんの背骨の形まで分かるんじゃないかというくらいだった。
黒田くんと席が近くなることは、頻繁にある。
私が今の今まで徳を積みまくっているためか、友達と席替えのクジを交換したり黒田くんのクジを盗み見たりしなくても偶然席が隣や前後になるのだ。その度私は喜び勇んで、前後ならば黒田くんの背中を眺めて、隣ならば黒田の横顔をちらりと見る。至福の時間である。
今も黒田くんの背中を見つめるという至福の時間を味わっていると、黒田くんの机からころりと何かが転がった。それはころころと後方に転がって、私の上履きに当たって動きを止める。
それに対して私は特に驚きもせず、転がった小さくてまるっこいものを拾い上げた。

(話しかける口実、できた)

随分使い込まれて丸くなった、小さな消しゴム。
意外とおっちょこちょいなのかなんなのか、黒田くんは割と頻繁にこれを落っことすのだ。それを毎回拾うのは私で、毎回「これで黒田くんに声をかけられる」と喜ぶ。
今回も例の如く、シャーペンの頭で黒田くんの背中をぽんぽんと叩いた。まだ、手で肩をたたく勇気はない。
半身で振り返った黒田くんと目が合い、どきどきとしてしまう。けれどそれはなんとか上手く隠して、消しゴムを握った左手を差し伸べた。

「落としたよ、消しゴム」
「あぁ、サンキュ」

黒田くんはいつも短くお礼を言って、消しゴムをきゅっと握る。その時に私の手のひらに指先までも触れてしまうから、心臓がまたどくどくと動く。友達にやられたらなんのときめきも生まれない動作だけど、黒田くんにされたら浮き足立ってしまう。そういうときに、「あぁ私、恋愛してるなあ」だなんて思うのだ。決して口には出さないけれど。
私の手から離れていった消しゴムを黒田くんがペンケースに仕舞うと、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。先生はトントンと教科書類を片付けて、答え合わせは次の授業で、と朗らかに言う。先生が立ち去ると教室は高校生らしい喧騒を取り戻して、席を立つ子やお喋りを始める子がちらほらと見受けられた。

「いつも悪いな」

ノートを閉じながら、学食何食べようかなと考えを巡らせていると、黒田くんの声が聞こえた。
弾けたように黒田くんの顔を見ると、「消しゴムの話」と彼は付け加える。

「あ、いや、大丈夫だよ。拾ってるだけだし」
「それでも助かる、よく落とすからな」

黒田くんは口角をちょっと上げて、言う。
これは一応笑顔の部類に入るのだろうか。入るのだとしたら、レア中のレアだ。仲良しの男子でもない、部活の仲間でもない、ただのクラスメイトである私が黒田くんに笑顔を向けられるのは。
折角話しかけてくれたのだから会話を続けたくて、私は口を開く。特に話すことを考えてはいないのだけど、多分深く考え込んで話すよりも、失言さえ無ければ直感で動いた方がいいような気がする。

「なんか、ちょっと意外なんだよね」
「何がだよ」
「黒田くんがおっちょこちょいなの」

そう言うと、黒田くんは一瞬怪訝そうな顔をして「そうかァ?」と首を捻った。そんな表情を向けられることも珍しくて、私の中の黒田くんフォトグラフが段々と増えていく。

「だって結構何度も落とすじゃん、しゃきっとしてるイメージがあったから」
「あー。言われてみりゃあな」

落とした回数でも数えているのか、黒田くんはテンポよく指を折る。けれど途中で回数が分からなくなったのか、軽く頭を振った。

「毎回みょうじに拾ってもらってるよな」
「ね。なんだかその度に黒田くんかわいいなぁって思う」

そう言ってから、は、と気付く。
男子にかわいいと言うのは禁物なのではないだろうか。下手に「好き」と言ってしまわないようには気を付けていたけれど、あの黒田くんに「かわいい」は「ナシ」だったのではないだろうか。
今まで近くの席を偶然にも手に入れて、なんとか黒田くんと普通に会話ができる立場になってきた。それをここで崩してしまうことにはならないだろうか、大丈夫だろうか。
「私の好きになった黒田くんは懐の広い人だから大丈夫!」と大声を上げられればいいのだけれど、正直黒田くんはそんなに懐の広い男の子には見えない。むしろ部活の仲間にはピリピリしているところもよく見せている。
恐る恐る黒田くんの反応を伺うと、一回口をきゅっと結んで、そして小声で「まじかよ」と呟いたのが聞こえた。

「マジで、可愛いって思ってんのか?」

怒っているわけではなく、でも冗談めかして言っている様子でもなく。
黒田くんは私に向かってそう聞く。

「え、えっと」
「その反応はアレか、とりあえず言ってみましたーって感じか?」
「うーん、まぁ、そんな感じ……かな」

やっぱり失言だっただろうかとあたふたとしつつ答える。遠くで、誰かが黒田くんを呼ぶ声が聞こえた。部活仲間が学食に誘っているのだろう、いつもお昼はそうだった。
今行くと黒田くんがそれに答えて、声音を変えて私の耳に口を寄せた。

「別にドジやってる訳じゃねえよ、いつも」
「え?」
「みょうじと話したいから、わざと」

そう言って、黒田くんは大きな音を立てながら椅子から立ち上がる。座った私を見下ろす形になって、少しだけぞくぞくした。

「……って言ったら、どうする?」

にかっと、悪い笑みを浮かべる黒田くん。
すぐに彼は部活仲間の元へ歩いていってしまったけれど、私は固まったまま、動けなくなる。

黒田くん、私はその言葉を鵜呑みにしていいのかな。それとも冗談だろうって、笑い飛ばせばいいのかな。もしかして席がいつも近くになるのも、偶然じゃなかったのかな。
もちろん本人には聞くことなんてできなくて、でも私の疑問も、好きという気持ちも、どんどん大きく膨らんでいく。
ねぇ黒田くん、下手すると私、その言葉を信じてしまうよ。何故なら私は、黒田くんが好きだから。もう邪な気持ちを抱えたまま消しゴムを拾うしかなくなってしまうよ。

そんなことをずっとずっと頭の中で繰り返しながら、私は友人が学食に誘う声すら聞こえないでいた。








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