悪気はないけれど期待はしてた(隼人)
久しぶりのデートで気合の入った服を選んだ。姿見の前に立って笑顔を作る。今日の私は可愛い。可愛い。可愛くなくてはいけないの。心の中で何度も何度も呪文のように唱えて、玄関の扉を開ける。
「……あっ」
危うく鞄を忘れるところだった。
今日の占いは魚座十一位。忘れものに、注意。金運と仕事運は一つだったけど、ラブ運だけは三つあった。だからきっと大丈夫。
服装やお化粧に悩んでいたから、家を出た時間は約束ギリギリになってしまった。けれど、彼はそんなことで怒るような心狭い男じゃないから大丈夫なはずだ。
「隼人」
「お、来たななまえ」
待ち合わせ場所で私に気づいた隼人が、ポケットに入れていた手を出して私に向けて軽く振った。ゴツめの腕時計がきらりと光って眩しい。
「遅れちゃった、ごめんなさい」
「ほんの数分だよ。そんなの気にすることないって」
「でも……ううん、ありがとう」
「おう」
あまり謝りすぎるのも良くないって前に言われたことを思い出して口を噤んだ私に、隼人は笑顔で頷いた。それから、自然な動作で私の鞄を奪ってゆっくりと足を動かした。
「んじゃ、早速行こうぜ。俺もうハラ減ってさ」
まだお昼前だと言うのに、隼人の後に続いてファミレスに入った。まぁいいか、私も身支度に時間を割くあまりに朝はあまり食べていないから。
「で、この後どうする?」
「え、どうするって……映画見に行くって言ってなかった?」
入って早々に特盛カツ丼を頼んだ隼人は、お冷に口をつけながらそう聞いてきた。私は映画に誘われたと思ったんだけどそれは聞き間違いだっただろうか。いや確かに「観たい映画があるんだけど」という口上だったはずだ。
「そうだったっけ?」
「えー……」
観たい映画があるとは言っていたが、そういえば隼人は何の映画かは言っていないしチケットがあるという話でもなかった。私のほうも、別にどうしても映画が見たいわけではないのだ。
「じゃあ今日の予定は決まってないの?」
「そうなるな。まあ、なまえが行きたいなら映画でもいいぜ」
「……ううん、映画はいい」
映画館なんて入ったら隼人と喋れない。それに、あんなに気合入れて服を選んだのにわざわざ暗闇の中に入りたくないというのが本音だ。
「なんで映画観たいなんて言ったの?」
「尽八がそう言ったんだ。女子をデートに誘うときの定番だって」
「イケメンが定番でいいんだ?」
「だよなあ」
ちょうど運ばれてきたカツ丼をウェイトレスのお姉さんから受け取った隼人はもっと捻りが欲しいよな、と呟く。私のサンドイッチセットも一緒に運ばれてきて、一口かじる。
「そもそも東堂くんは女の子とデートしたことないでしょう」
「そうだったな」
かくいう隼人も、こんなにチャラそうな見た目なのに意外と自転車一筋なので私が初彼女だと聞いたときは本当に驚いたものだった。同じスタートラインというか東堂くんよりも一歩先に進んだはずの隼人がどうして東堂くんに相談したのかちょっとわからないしどちらかといえば後輩の真波くんの方が遊んでるっぽいしこの前紹介してくれた弟の悠人くんも女の子のお友達が多いみたいだから、そういう子に聞いた方が的確なアドバイスをもらえるとは思うのだけれど。
「んじゃ、食べたら公園にでも行くか」
「なんで、公園?」
「目的がないならどこでも同じだろ? 静かなところでのんびりするのもいいんじゃないかって思ってさ。イチャイチャできるし」
隼人はこういう恥ずかしいことをさらりと言うから手に負えない。しかも無自覚だ。顔が良いだけに、茶化すことも受け流すこともできずに「え、あ、うん……」などと気の抜けた返事しかできなかった自分を殴りたい。
早めの昼食を食べ終えた私たちは、近くの公園に移動した。人も少ないので、ブランコ横のベンチに座る。
「暑いな」
「そうだね」
中々会話が弾まない。いつもだったらもう少し、隼人の方からいろいろと話題を振ってくれるのに一体どうしたんだろう。困惑しながら、今日のために悩んで悩んで悩み抜いたミニスカートに視線を落とす。やっぱり、気合いを入れすぎたのかも知れない。普段から「可愛いよ」とか「似合うな」とかそういうことを言ってくれる隼人にもっと私を見てほしくて、可愛いと思って欲しくて頑張ってお洒落してきたのに。
内心肩を落とす私に気づいてか気づかずにか、隼人が「あ」と小さく声を漏らした。
「なあ、なまえ」
「え、な、何?」
改まって真剣な目で隼人が私を見つめてくるから、私も動揺を隠せずに問い返す。期待に胸を膨らませていたら、突如隼人の視線が私から外れた。
「クレープ食べない?」
「……へ?」
隼人が見つめる先にはクレープ屋さんのトラックがあって、私が返事をするよりも前に隼人がポケットから折り畳み財布を取り出した。
「……私はいいわ。ご飯食べたばかりだし、服汚れるし……」
そうか、と呟いて隼人がクレープを買いに立ち上がる。もう、隼人の馬鹿。
クレープを手に戻ってきた隼人が再び私の隣に座って、幸せそうにチョコバナナクレープを頬張る。彼女より食べ物なの? とは思ったけれどそんなのどこぞの少女漫画のようで言えない。ただ隼人が幸せそうだから、まあいいやと諦めた。
「なまえも一口どう?」
「!」
隼人がクレープを差し出してくる。自分ばかり悪いと思ったのか。あまりクレープは欲していないけれど、これが間接キスだと思ったら自然と頷いていた。
「どうぞ」
垂れてくる髪を耳にかけながら、隼人のクレープを一口。久しぶりに食べたけど、ドキドキして味はあまりわからなかった。
きっと私の顔は今赤いんだろうなと思って、あまり見られたくなくて隼人の顔をちらりとうかがえば、隼人はそっぽを向いてクレープを、私がかじったところを食べた。その表情は見えないけれど、茶色い髪の間から見える耳が赤い。
「……隼人?」
「……」
名前を呼んでみても、もぐもぐと口を動かすばかりで隼人はこちらを見ようとはしない。咀嚼して、飲み下して、こちらを見ないまま隼人がようやく声を発した。
「あのさ、なまえ」
「?」
「いいい家に、お、俺の家に、これから……こない、かなって」
それはどういう意味? なんて聞かなくてもわかる。隼人が人気のない公園にきたのも、私が小食なのをわかっていて一人でクレープを食べていたのも、全部きっと作戦だ。上手く釣られてしまったわけだけど、成功したのに嬉しそうじゃないしなんだか狼狽えまくっている隼人がおかしくて可愛くて、私は今までの自分を棚に上げて逆に冷静になれた。
「うん、行く」
多分思っていたのは二人とも同じこと。きっと今日のデートに賭けていたのはお互いさまだったのね。
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