マイフェアレディ(今泉)




※高校入学前

 金持ちは性格が悪いとか、世間一般はそんな印象を持つらしい。実際俺も自分で性格が良いとは思っていないし、むしろ少し捻くれたところがあると自覚している。だが、言葉を受け取る側にも非はあると思う。妬みや羨望から、個を見なくなる。思ったことを伝えただけで上から目線だ何だと言われるし「だから金持ちは」と言われた数も両手じゃ足りないくらいにはある。ずっと続けてきたロードバイクだって、道具がいいからだと勝手に決めつけられて、じゃあ一体お前は俺の何を知っているんだと首を絞めてやりたい衝動を抑えるのに必死だった。
 そんな時、決まって思い出す顔がある。

「こら、そんな顔してたらお友達は出来ないぞ?」
「……なまえさん」

 優しく笑うその人は、父親が懇意にしている家の令嬢で、俺と同じような境遇であるにもかかわらずに俺みたいに捻くれてはいない。上品だが嫌味っぽくなくて、友達も多いのだと高橋が言っていた。俺とは正反対の存在だ。

「要りませんよ、友達なんて」
「またそんなこと言ってる。幹ちゃんも心配してたよ?」

 幼なじみで同級生の寒咲に言われるよりも、この人が言うと言葉に重みがあるような気がして、俺は実際このままじゃダメなんだとは思う。けれど、やはり一歩を踏み出す勇気が持てずにいた。

「私は学校違うけど、こうして時々俊輔くんと会っていろいろなお話するの、好きだけどなぁ」
「それはなまえさんが物好きなだけですよ」
「またそんなこと言う……」

 やれやれと肩をすくめながら、それでもなまえさんは楽しそうだ。俺との会話の何がそんなに楽しいのか俺にはわからない。

 前、自転車のチームを抜けようとした俺を引き止めたのもこの人だ。ぶっちゃけこの辺りじゃ既に敵はいないし部活やジュニアチームで活動しなくたって俺は速いんだから、だったら俺を敬遠する奴らと一緒にやる必要はないだろう。

「それだけじゃないと思うな。チームって」

 ソファ脇のクッションを手で手繰り寄せて、胸に抱えるなまえさんの仕草にドキッとした。少しだけ困ったような、呆れたような顔。

「キミは自転車でどこまでも行ってしまうくせに、視野が狭すぎる」
「……それは」

 この人の言うことは正しい。その通りすぎて、俺は反論の言葉すら見つからずに視線を左右にさまよわせる。けど、なまえさんが

「私は少しさみしい」

 そう続けたので、俺は目を丸くして彼女を見た。クッションに顔をうずめながら、もぞもぞと呟く。寂しいと。

「……なまえさん?」

 動揺を隠せずに震える声で彼女の名前を呼べば、不意に顔を上げたなまえさんと目が合う。

「キミの世界はとても狭くて、その狭い世界に私がいることは素直に嬉しいよ」
「……」

 恐らく、この人の前では全て無意味に等しい。俺は、いつだってなまえさんには敵わないと思い知らされるんだ。この胸の想いも、口にした言葉の真偽も、きっと何もかも全て見透かされてしまう。俺がなまえさんに恋をしていることだって。
 しかし、なまえさんは「嬉しい」と口にしてから一呼吸おいたのち、それとは真逆の言葉を発した。

「だけどそれ以上に不安で、心配で、こわい」
「なんで、ですか」
「キミの視野が、私のせいで狭くなってしまっているのなら、もうキミはここへは来るべきじゃないわ」

 どくん、心臓が跳ねる。これはいつもの彼女に対するときめきなんかじゃなくて、激しい焦燥だ。
 嫌だ、なまえさんの顔が見れないなんて。嫌だ、なまえさんに会いに来ちゃいけないなんて。

「それは嫌です」

 俺の心なんて全部見透かしているくせに。俺の気持ちをわかっていて、どうしてそんな残酷なことを言うんですか。
 そんな俺の心情を察したのか、なまえさんは「こっちにいらっしゃい」と俺の手を引いて自分の隣に座らせた。突然近くなった距離に当然ドキドキするけど、しかし今は素直に喜ぶことはできなかった。
 なまえさんの顔を見ることができない俺の手を包み込むなまえさんの手に優しく力が込められてそちらに顔を向ければ、なまえさんは微笑んでいたけれどどこか泣きそうな顔をしていた。

「私、俊輔くんにはもっと広い世界に行ってほしい。私の傍で満足なんかしないで」

 私の傍でなんかって、俺にとって貴女の傍は誰よりも何よりも尊くて大切な場所だってあんたわかってないだろ。この気持ちを否定しないでくれよ。

「俺の気持ち知っててそんなこと言うんですか」
「……知っているからこそ、言わなきゃって思ったのよ」

 小さなため息とともになまえさんが言葉を吐き出す。私だって、と微かに聞こえた気がした。

「俊輔くんにはプロになれる力もある。だけど今のまま満足してちゃダメよ。世界にはもっともっと速い人はたくさんいるんだもの」

 プロのロードレーサー。ぼんやりと、いつか自分も世界の舞台で走れたらいいなぁくらいにしか思っていなかったそれを、なまえさんは急に現実のものにした。当たり前のように、それが俺の夢だと。そしてそのためには、確かに今のままではいけないだろう。俺だってわかっている。なまえさんだけいればいいだなんて、そんな稚拙な考えで居ようものならなまえさん本人にすら愛想を尽かされてしまっても文句は言えない。

「不安ならまたおいで。誰かに攻撃されたら私が守ってあげる。でも、諦めるのは許さない」

 唇に笑みを湛えながらぴしゃりと言い放つ。歯に衣着せない言い方に、俺は何故か安堵していた。相変わらず、アメと鞭の使い方が上手い人だ。

「大丈夫よ、高校生になったら新しいお友達がきっと出来るわ」

 中学の卒業式を終えて、中学生でも高校生でもない、よくわからない時期。新しい生活に不安しかなくて、今までもそういう苦しいときに心の拠り所としてきたから、なまえさんは俺を受け入れてくれる。理解してくれると信じて疑わなかった。しかし彼女は今日に限って俺を叱った。そんなんじゃダメだと。何故かは俺自身もよくわかっている。もう、子供じゃないんだから。

「総北高校は自転車強いんでしょう? 私、俊輔くんから学校の話聞くの楽しみにしているからね」

 帰り際、なまえさんがそう言って笑った。それを見て俺も自然と口角が上がる。学校でもその顔で居ればいいのにと言われたことがあったが、学校にはなまえさんがいないのに笑えるはずがなかった。

「またね、俊輔くん」
「はい。あ、なまえさん」
「ん?」

 忘れ物でもした? そんなことを聞こうとしたのか唇をゆっくりと開くなまえさんに向けて、俺もまるでちょっと散歩に行きませんかみたいなノリで口にした。

「好きです」

 世界が広くなっても、俺の世界の中心はやっぱり貴女だ。

「……私もだよ」

 そう言ってなまえさんが一層深く笑ってくれたから、明後日からの高校生活も頑張れそうな気がした。








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