だいすきな曲があった(葦木場)




 約二年半前に引っ越した拓人が久しぶりに千葉に戻ってきた。手嶋くんに会った? そう尋ねたら、ちょっぴり渋い顔で首を振り、純ちゃんには会えない、と続けた。

 拓人は私の部屋を興味津々に見回して、少しそわそわとしている。女の子の部屋をあまり見るものじゃないよとたしなめつつ、そもそも年頃の女の子が異性を部屋に上げるのもどうなんだろうと自分で思う。しかし拓人は相変わらずのほほんとしているし、多分何も考えていない。私も、考えないようにはしているけれど。

「あーっ!」
「え、なに?」

 乙女の部屋を物色していた無礼な男の背中を眺めていたら、突然声を上げたので驚いてしまう。そんな私の様子になど気づいていない拓人は心なしか嬉しそうで、私はベッドから腰を浮かせて彼の背後に近づいた。拓人の手の中にあるそれを見て、ハッとする。

「コレ俺があげたやつだよね。なまえちゃんまだ持っててくれたんだ」

 そう言って拓人が私の眼前に差し出してきたのは、小さな木箱のオルゴール。優しい眼差しでそれを見つめる拓人は、自分の中で眠る思い出を少しずつつ起こしていった。

「確か、初めてなまえちゃんと喋ったのって中二のときだよね」

 葦木場拓人とは同じ中学の出身だ。別に何か接点があったわけではない。クラスも別々だし同じ委員会に所属したこともなく部活だって違う。それでも、自分の部屋に招き入れるくらい拓人と親密な関係になったのは、ひとえにあの出来事があったからだ。

「俺が初めて弾いた曲となまえちゃんが初めて歌った曲が同じなんて、ちょっと運命感じちゃったんだよね」
「……覚えてない」

 懐かしむ拓人をよそに私は、そんなことあったっけ、などと嘯いた。

 テスト期間で部活動の出来ないある日。私は、ストレスが溜まっていたのだ思う。人知れず音楽室に向かって歩いていた。いざ音楽室の扉を開けようとしたら、そこには既に先客がいた。話したこともない、多分同じ学年の背の高い男の子。大きな体に似合わない、優しい瞳で真剣にピアノへ向かう姿に、一瞬で恋をした。そのあと私に気づいたその人は犬のような無邪気な顔で私を手招きで呼んで、お客さんになって、と言った。最初の曲はどこか聞き覚えのある有名な楽曲で、彼がすごいのはわかるけれどイマイチぴんとこない私に、彼は「君にもわかる曲にしよう」と言った。そうして弾きだした楽曲は、私にとっても特別なものだったのだ。

「あはは、覚えてないわけないよ。あのときのなまえちゃん、とても楽しそうだったから」

 私が合唱部だと知るや否や拓人は私に歌えと言ってきた。お客だったんじゃないのかというツッコミは多分この手の人間には通用しないということを察した私は、そもそも自分自身ストレスを発散したくてやってきたのだということを思い出し、これを了承した。拓人のピアノの音に合わせて、私が歌詞を紡ぐ。当時は恥ずかしいなんて思わなかった。ただただ、その空間が心地よくて。
 結局そのあとで先生に見つかってこっぴどく叱られたのだけれど、拓人と知り合うことが出来たのだからいい収穫だったと思う。

「俺もあの日のことは絶対に忘れない」

 拓人はうっすら笑みを浮かべながら、木箱の蓋をゆっくりと持ち上げた。優しく穏やかな旋律が流れる。それは拓人がこの街から引っ越す前、初めて私にくれた贈り物だった。

「俺、なまえちゃんにだけは忘れて欲しくなかったんだ」
「……手嶋くんは?」
「純ちゃんはさ……自転車やっていれば会えるけど、なまえちゃんとの繋がりはこの曲だけだから」

 拓人が少ししんみりとして言うので、私は少しだけ唇を尖らせた。私が拓人を忘れるわけないのに。

「忘れるくらいどうでもいい関係だったら、こうして部屋に上げたりしないでしょ」
「あっ、うん……そうだね……そう、なんだけど」
「?」

 どうにも歯切れ悪い拓人に、眉をひそめる。
 家に入った瞬間から拓人はどことなく落ち着きがなかったように見えたけれど、それはいつものことかと思ってあまり深く考えずにいた。しかし今もなお目を泳がせている拓人に、思い切って尋ねてみる。

「神奈川の学校で何かあったの?」
「えっ!? ……あ、う、やっ」

 瞬間、顔を上げた拓人が思い切り赤面してうろたえ始めたので、私は胸中にざわつきを憶えた。何それ、まるで、恋した乙女みたいな――

「……拓人」

 その理由を想像して、私は口に出すのを躊躇ったけれど、もう遅い。開いた唇からは、真実を確かめるための言葉が飛び出していた。

「好きな子、できたの?」
「!! えっと……う、ん。なまえちゃんあのね」

 私今、どんな顔をしているんだろう。きっと血の気が引いてだいぶ蒼白なんじゃないだろうか。それほどにショックで、無意識の内に声を荒げていた。

「む、無理だよ!?」
「え?」
「私恋愛相談になんて乗れないから!」

 しかも拓人の、好きな人の恋の相談になんで乗りたくもない。ぶんぶんと手と首を振って、後ずさりして拓人から距離をとる。けれど身長の高い拓人にとって数十センチなんてわずかな隙間でしかなくて、彼が伸ばした手はすぐに私をとらえた。

「待ってなまえちゃん」

 手を掴まれたことに驚いて私が身を引いたことと、私をつかまえようと拓人が身を乗り出していたことが重なって、私は背中から拓人と一瞬にベッドに倒れ込んだ。

「た、くと……っ」
「俺、箱学に好きな子なんていないからねっ」

 押し倒されるような体制に私は当然慌てたけれど、拓人はそんなことは意にも介さず真っ赤な顔でそう告げた。

「確かに、気づいたのは向こうでだけど……俺、なまえちゃんが好きだよって伝えに帰ってきたんだ」

 目を泳がせながら拓人が言う。普段から嘘や冗談の類を言わない拓人だからこそ、この告白は偽りではないのだと知った。

「ユキちゃんが……向こうの友達に相談したらね、会いに行った方がいいって。自転車も今年やっとレギュラー入りしたし、俺、今なら言えるかもって」

 さらりと大事な話を口にした拓人に、突っ込んでしまおうか否かと少し悩んだ。レギュラー入りの話も私、初耳なんだけど。

「なまえちゃんは俺のこと友達だと思ってるんだろうけど、俺だって、女の子の部屋に簡単に入ったりしないよ」

 現にここにいることにはどう説明づけるのだろうかこの男は。矛盾だらけにもほどがあるけど、とりあえず私は彼の認識をいくつか訂正しなければならない。

「拓人、私だって誰彼構わず部屋に入れたりしないし、拓人を友達だなんて思ってないよ」
「!」
「私の中で拓人はいつだって特別なんだ」

 大きな手なのにピアノの触れ方が優しい。その指で、私も触れて欲しいってどんなに思ってきたか。
 オルゴールのメロディーを口ずさむ度、拓人が奏でる旋律を思い出して切なくなったのも、きっと私しか知らない。

「じゃあ、俺の彼女になってくれる?」
「……う、ん」

 小さく答えたら、拓人は途端に破顔して、覆い被さるようにして私を抱き締めた。

「帰ってきて良かった!」
「拓人、苦しいよ」
「あっ、ごめんね」

 離れる瞬間、私の頬にキスを落とした拓人。彼の天然っぷりは本当に凄まじいから、私はこれから心臓が持つだろうか。

「拓人」
「うん?」
「レギュラー入りおめでと」
「うん」

 インターハイ走るから応援してねと拓人が笑う。一応私は総北生なので本来ならば手嶋くんの応援をすべきなのだけれど、恋は別格。私は箱根学園ではなく、葦木場拓人を応援したいのだ。

「勝てたらお願いひとつ聞いてくれる?」
「……私にできることならいいけど」

 珍しく含みのある言い方に訝しむ。これはまさか、キスしたいとかデートしたいとか身体の繋がりが欲しいとかそういうこと? いやいや拓人に限ってそんなことはないと思いたいけど――と、ぐるぐるしていると、拓人が私の耳元で囁いた。

「またなまえちゃんの歌が聴きたいんだ。俺のピアノで歌うなまえちゃんが、見たい」
「!」

 なんだ、そんなことかと一瞬にして脱力する。残念なようなホッとしたような。でも、私だって同じ考えだったから嬉しかった。

「拓人が弾いてくれるなら、何曲でも歌うよ」

 私が大好きな君の奏でるメロディーを。










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