honey apple pie(福富)




今朝方焼いたアップルパイの入っている箱を開けてみると、中で事故が起きていた。

「…………こ、これは…………やばい…………!!」

周りには誰もいない、この声は誰にも聞かれない。だからこそこんな戦慄した声を出してしまったわけだが、周りに誰かいても同じような声を出してしまう気がした。それほどまでに私は焦っていたのだ。
アップルパイは割としっかりとしているお菓子なので、大崩落とか天変地異とまではなっていない。けれど待ち合わせ場所に来るまでに走ったせいか、側面がぼろぼろと剥がれてしまっていた。ところどころ、リンゴだってずれている。こんなになるまで動かしてしまっただろうかと自分の行動を思い返し、そして「そりゃあんだけ走ればこうなるか」と自分の中で納得してしまうしかなかった。

「福富さんにあげようと、頑張ったんだけどな……」

ぽつりと呟いて、箱の中の崩壊アップルパイを見つめる。
福富さんとは、自転車競技部の主将さんだ。友人である葦木場くん、泉田くん、黒田くんが揃ってお世話になっている先輩なので、私はその姿を頻繁に見る。次第に惹かれていって、でも福富さんはどうやら色恋沙汰には全く興味のない人のようで。なんとか関わりを持てないだろうかと思案していた矢先、「何かプレゼントしてみたらいいんじゃないかな」と泉田くんが言ったのだ。
アップルパイは福富さんの好物だと言うのを、葦木場くんが教えてくれた。アップルパイの失敗しない作り方を、泉田くんが教えてくれた。そしてアップルパイを渡すため福富さんを呼び出す役を、黒田くんが買って出てくれた。
三人が協力してくれてここまでこぎ着けたのに、と私は箱の中をもう一度見てため息をついた。
勿論食べられなくはない。しかし、顔は知られているとはいえほとんど喋ったことのない相手から貰うお菓子にしては不恰好すぎやしないだろうか。
でも渡さなければ、福富さんをここに呼び出した意味がなくなってしまう。いざ来てもらったのに私が「あっ、やっぱり何でもないんです、アハハ」なんて言ってしまえば、私の好感度はダダ下がりである。そしてもしリベンジで次回おいしいアップルパイを焼いたとしても、福富さんは「どうせ今回も何も用のないイタズラなのだろう」とかなんとか考えてしまって来てくれなくなるだろう。被害妄想かもしれないけど、ここまで考えておかないと身がもたない。

「あぁぁ、結局どうするのが正解なんだろう……」
「どうした、何か悩んでいるのか」
「はい、割と私の中では深刻でして……」

聞こえてきた私を労わる声に、大きく頷く。そうなんだ、もしかしたら他の人にとってはどうでもいい話かもしれないけど私の中では今一番の重大な悩みなのだ。声のした方を振り返り流れに身を任せて熱弁しようとすると、そこにいたのは金髪で太眉でがっしりとした体型の男の人だった。件の福富さんである。

「うぁっ、ふっ、ふくとみ、さん……!!」
「……福富だが」

あまりに驚いてアップルパイ入りの箱を勢いよく閉める。そして勢いよく福富さんの方に向き直り姿勢を正す。これ以上ないくらい挙動不審な声で名前を呼ぶと、福富さんは頷きながら答えてくれた。それだけでそれなりに幸せである。

「黒田に言われて来たんだが、君がみょうじか」
「そ、そうです」
「よく見る顔だな」
「えと、泉田くんとか黒田くんとか葦木場くんとかと仲良くさせて頂いてるので」

そう答えると、福富さんは納得したように「あぁ」と言った。私の存在は覚えてくれているらしい。後ろ手でアップルパイの箱を持ちながら、私はいつもよりおどおどとした声を出すしかない。福富さんに惹かれてはいるけれど、至近距離で会話をすると思いの外威圧感が凄かったのでついこうなってしまう。表情が変われば雰囲気も変わるだろうけど、鉄仮面と呼ばれているらしいのでそう簡単には変わらないんだと思う。
それから暫く、沈黙。私はアップルパイを渡すべきか渡さないべきか迷っているのでそもそもに迂闊に何か言うことはできないし、福富さんは性格上気を遣って話しかけてくることはない。いや、福富さんの様子を見るに、私が年下の女子なので気を遣おうとはしてくれているらしかったが切り出す話題も見つからないのでただ沈黙するしかないといった感じだった。福富さんは不器用なだけなのかもしれない。

「え、えと……あの」

沈黙に耐えかねたのは私だった。
もうこの空気のまま「実はなんでもないんですーそれでは!」だなんて去るわけにはいかなかった。それをしたら福富さんの私に対する印象がもう下がりまくる。下がりまくって地中に達する。だからもう私は、渡すしかなかった。

「こ、これ……めっちゃ崩れちゃったんですけど、よかったら!」

無理やり笑顔を作りつつ、ずい、と背中に隠していた箱を福富さんに押し付ける。福富さんは表情は変えなかったが首を傾げて、「なんだろう」とでも言いたげだった。聞かれる前に答える。

「福富さんがアップルパイ好きって聞きまして……焼いたんです、おいしいかわかんないけど」

泉田くんが教えてくれたのだから、レシピ通りにしていればおいしいはず。それでも自分の作ったものを過信するのは怖くて、気弱そうなことを言ってみた。

「……アップルパイか」
「はい」

恐る恐る、福富さんと目を合わせる。
すると驚いたことに、福富さんは嬉しそうな目をしていた。口角が上がったり眉が垂れさがったりだとかパッと見て分かるような部分ではないけど、目がさっきまでと違う。福富さんの目は雄弁だ。
福富さんは箱を開けて、中を覗き込む。あまりしっかりと見ないでほしい。ぼろぼろになってしまっているから。私はそう思っても、福富さんはなかなかアップルパイから目を離さない。そして一言、「食べていいか」と尋ねてくる。それは今、ここでだろうか。私の目の前で食べてもらうのは、正直言ってどうしようもないくらい恥ずかしい。だから出来れば寮に帰って食べてもらいたいし、そもそも凝視しないでほしい。恥ずかしさ故に。
それでも福富さんの言葉に頷かないわけにはいかなくて、首を縦に振った。

「そうか。では頂きます」

私の作った不恰好なアップルパイにも敬意を払って、福富さんは一切れ取り出して噛り付いた。側面の層がぱらぱらと剥がれたけど、それを全く気にしないのが福富さんらしい。もぐもぐと食べる様子はまるでリスが木の実を頬に詰め込んでいるようで、福富さん自身に小動物らしさはどこにもないのにとても可愛らしかった。

「…………美味い」
「ほ、本当ですか?」
「嘘はつかない」

ただただシンプルな言葉で、私の作ったものを褒めてくれた。それがとても嬉しくて、だから私はこんな福富さんに惹かれたのか、と今更腑に落ちた。
また作ったら、食べてもらえますか。
そう聞いたら僅かに福富さんの顔がほころんだ。








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