ねえほら、こういう気持ちだよ(小野田)




※大学生設定

帰宅すると、小さな食卓の前に座っている坂道くんが泣きそうな顔でこちらを見た。
坂道くんはなよっとしている男の子だし、決して筋骨隆々な感じではないからそのような表情をしても違和感は無い。だけれど実際そんな顔をしていたのは初めて見たので、私は暫く声が出ずに立ち尽くしてその顔を見ていた。「た、ただいま」と言えたのは数秒後。坂道くんも表情をなんとか繕って「おかえり」と言う。食卓には、甘い匂いを振りまいているチョコレートのお菓子があった。たぶん、フォンダンショコラだと思う。
帰宅するといつもすぐに着替えるのだが、今日ばかりはこんな坂道くんを置いて寝室に引っ込む訳にもいかない。バイト着のまま食卓の、坂道くんの正面の席に座った。繕った表情をキープしているつもりらしい坂道くんは、たぶんそういったことが苦手だ。色々と鈍い私でも、彼の堪え切れない気持ちが見て取れる。

「……どうしたの、坂道くん」

彼の目を見てそう言うと、坂道くんは一瞬驚いたような顔をして、でもすぐに慌てて表情を戻した。どうもしてないよ、と首を振りながら言うけれど声はいつもより上ずっているし、いつもより挙動不振。どうもしてないわけがなかった。

「うそ。なんか変だよ、今日の坂道くん」
「そそ、そんなことないよ。なまえちゃんの気のせいだよ」

もう一度聞いてみても、やっぱり坂道くんは否定する。そう頑なに否定されたら一層変だと思ってしまう。それを彼は分かっているのかいないのか。
坂道くんは優しい男の子だから、もしかしたら私を心配させまいとこんなことを言っているのだろうか。恐らく、そういうことだと思う。坂道くんは本当に優しくて、いつも私のことを気にかけてくれるし私に何か強要することがない。強引な男が好きな人にとっては物足りないかもしれないけど、私は坂道くんのそんなところが好きなのだ。
けれど、その性格が災いして言いたいことが言えていないなら本末転倒。
坂道くんにもう一度聞こうと私が彼の目を見据えると、大きくて綺麗な目が揺れた。

「じゃあ、どうしてそんな泣きそうな顔してるの?」
「な、泣きそうになんかなってないよ!あれかな、さっき大きな欠伸したから、」
「そんな頑なに嘘つかれたら、私、つらいよ」

困った顔をしながら悲しげに言うという、最終手段を早々に使う。坂道くんがこれに弱いのを私はよく知っている。坂道くんが一人で抱え込もうとするときにこんな顔をすると、彼はいつもぽつぽつと話してくれるようになるのだ。狡い手かもしれないけれど、坂道くんが抱え込むよりかはずっと良いだろうと思っている。
例によって今回も、坂道くんは口を開いた。気は重そうだったが、話してくれる気になったことは明らかに進歩だった。

「えっと、今日、バレンタインだよね。それで僕、なまえちゃんにチョコ作ろうと思って……それで、作ったんだけど」

うん、うん、と相槌を打ちながら坂道くんの話を聞く。そして食卓の上にあるフォンダンショコラを見る。良い匂いのするそれはとても美味しそうで、「チョコ作りを失敗して泣きそうになっていた」なんて可能性は頭の中で打ち消した。さすがに女子中学生のような理由で沈んでいるわけではなさそうだ。

「作ってる途中に、ちょっと、考えちゃって」
「何を考えたの?」

私が聞くと、坂道くんは言葉を切る。私から目を逸らして、食卓に視線を置いた。きっとここから先が言いたくなかったことなのだろう。けれどその部分がきっとメインになるだろうから、聞かなければどうしようもない。無理に追い立てるのは良くないから私はただ坂道くんを静かに見つめると、ゆっくり、ゆっくりと坂道くんは声を出し始める。

「僕、ほんとになまえちゃんに好かれてるのかなって」
「……え?」

後に続いた言葉が私の全く想像し得なかった言葉で、私は目を大きく開いて彼を見た。
私は、坂道くんが好きだ。
好きだからこうやって一緒に住んで、よくデートにも出かけたりして。料理を作ってくれたら笑顔で食べるし、坂道くんに料理を作るときは坂道くんが笑顔になれるようなものを作る。バカップルのようにいちゃいちゃしたりはしないけど、恋人らしいことはそれなりにしてきたと思う。
でも坂道くんは、自分が好かれてるか不安だと言った。

「恋人っぽいこと、いっぱいしてるから……不安になること、ないと思うよ」

言われたこっちも結構動揺してしまっているらしく、いつも以上に稚拙な言葉しか紡げない。坂道くんはやっぱり取り繕うのが苦手なようで、泣きそうな顔に戻ってしまっていた。

「充分なくらい、いろんな事なまえちゃんにはしてもらってるんだ。それは分かってる」

坂道くんはしばらく視線をうろうろさせていた。けれど言いたい事が頭の中で固まったのか、やっと視線を私の目に合わせる。女々しい目でもあったけれど、男の子らしい目でもあった。

「行動は充分なんだ。でも、……なまえちゃんの気持ちが、わからなくて。最近、気持ちを言ってくれなくて」
「……気持ち」

単語を教えられた人工知能のように、頭が悪そうに私は単語を繰り返す。坂道くんは終始泣きそうな顔という点で変化は無かったけれど、言葉を吐く度に目尻の水分が増えてゆくように見えた。
私のせいで、坂道くんが涙を流す。
それは耐えられない。何故なら私は坂道くんをとても好きで、彼の笑顔がとても好きで、彼にはいつも笑顔でいてほしくて。なのに私が原因でその笑顔が消えてしまうなんて、そんなこと、だめだ。
動揺したとき、人間何をするのか分からない。私は今回それを痛感する。
私は思わず立ち上がり、坂道くんの側まで早歩きをする。その勢いに任せて、不思議そうに私を見上げる坂道くんに抱きついた。

「えっ、ちょっ、なまえちゃん!?急にどうしたの?」

訳も分からず混乱している坂道くんの言葉にすぐには答えず、ぎゅうぎゅうと彼を抱き締める。最初は焦っていた坂道くんも無理に答えを促そうとはせず、ただされるがままに抱きしめられてくれた。そういう優しいところに、きっと恋をしたのだ。
気が済むまで抱きしめて、そして手の力を緩めた。力だけ抜いて抱きしめた格好のまま、私は坂道くんに言う。行動だけでは伝わらないことが多くあるから、最後には言葉で気持ちを伝えなければいけないのだと、やっと私は知った。

「私、坂道くんのこと、大好きなんだ」

これが私の気持ち。
そう付け加えると、坂道くんは元々大きな目をまん丸にした。まん丸にしてから、とても嬉しそうに、とても幸せそうに細める。

「ほんと?」
「ほんと。坂道くんと一緒にいるとき、私はずっとこういう気持ちだよ」
「えへへ……すごく、嬉しい。僕もなまえちゃんのこと好きだから」

坂道くんからの好意の言葉に、私はいやに照れてしまった。きっとそうだろうとは思っていても、実際言葉にして言われるとこんなにも嬉しくなるものなのか。私も彼と同じように微笑んで、何回も頷いた。
そろそろ、食卓の上のフォンダンショコラが冷めてしまう。それを分かっていても、私と坂道くんは離れようとはしなかった。








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