昼間の風が夜中になっても続いていた。ベッドに身体を休める自分の髪はまだ少し濡れていて、それでも乾くだろうとドライヤーを使うことを止めてしまう。今日は、という理由だ。体調管理は自分だけができるものだ。もう少し自分に厳しくしなければ。
電気の照明がついていない自室は薄暗く、先ほど気分転換に外を眺めていた窓にはカーテンが掛かっていない。そのおかげか、外の光が少しだけ部屋を明るくしていた。
内側の窓の方も閉めてしまおうと手を掛け完全に外が見えなくなったところで、今度は自室の扉が開いた。少しだけ心臓が跳ねる。と言うものの、このマンションの一室には二人しか住んでいないわけだから誰かは分かっている。

「アフロディ、どうかしたのか。」

ドアノブに手を掛けて扉を開いたアフロディはどこか違う。ここの他に空いているがもうひとつ。その部屋をアフロディが今使っているわけだ。それにしてもどうしたのだろう。
いつもならばノックをするはずだが、今は忘れたのか音ががなかった。
そのまま後ろ手に扉を閉めた様子を見つめているとアフロディは目の前まで来た。俺は首を傾げる。

「ここ、座れよ。」

布団を反対側によけ自分の隣に手を置く。アフロディは大人しく俺の言う通りに腰掛けた。どうしたんだと再度聞くことはせず黙って隣同士肩を並べて座っている。何かあったのか俺は内心気になっていたが、アフロディが口を開くまで聞くことは待つ事にした。

ふと、自分より頭の位置が低い隣のアフロディを見ると金色の髪がしっとりと濡れているように見える。俺と同じだなと思いながら首もとの部分に手が伸びて触れてしまった。触れた瞬間、何の反応もなかったことにどこか安堵しつつ指を通す。
するすると普段の髪と何ら変わりない感触に触れて何故か気分が良くなった。

「この髪をどう思う。」

急に喋りだしたものだから俺は内心驚いてしまった。驚いたあとに質問を思い出す。今は離してしまって金色の髪は手の中にはないが、先ほどまで触れていた箇所に目をやりながら俺も口を開く。

「とても綺麗じゃないか。…当たり前のことで悪い。」

綺麗だ。心からそう思っている。金髪なんて知り合いにいるのは何人かくらいだ。他の奴らと色は少し違えども、俺の中で外国人のイメージがある金髪だ。それとこれとは関係のない話だな、と考えるのは止めた。

「僕も、そう思うよ。」

自分の髪を手にとったアフロディは呟く。綺麗な色合いだね、と。
それを俺は自画自賛だとは思わない。目の前のアフロディは、自分を「アフロディ」という人物だと思っていないからだ。他の人物として捉えているのだろう。

「君の水色、好きだな。」

アフロディは俺を見上げて、髪に触れて言った。
今でさえないものの癖のうねりがあった部分が白い手に乗る。
俺の髪はさらりとすべり落ち、再びストレートに肩へ寄りかかるようにして落ち着いた。

「僕は君が好きだよ。」

細い手が俺の頬に伸びて、見つめられる。アフロディの目は薄暗い中でも本当に赤い。

「アフロディとしてじゃなく、僕として…。…ああでも、同じだね。見た目はアフロディだもの。」

二重の目は少し不安げに細くなって、再び戻る。しかしその目は薄く濡れていた。好きだ、と囁くような声量は消えてしまいそうだ。

「僕のデータにあることは‘僕’自身経験してはいないよ。
でも、君がとっても好きなんだって…分かるから…。」

度々小さく開いては言葉を紡いでいく唇が震えていた。アフロディは涙を頬に流して俺に触れる。

「風丸くん…好きなんだ。」

小さな唇が、俺にも触れた。俺は目を閉じているわけでもなく、身体に腕を回すわけでもなくそれを受けていた。いずれ細いからだがこちらに枝垂れかかってきて、そこで俺はアフロディの背中を撫でた。
好き、好きと紡ぐアフロディに胸が詰まってしまう。この細い身体を思い切り抱き締めてやりたい、アフロディのためにできることはしてやりたいという想いが占める。

「風丸くん…」

名前を呼ばれて、そして俺は思い切りアフロディを抱き締めた。
同じシャンプーの香りがくすぐって、胸の辺りから人間の本能としての部分が出てくるような、普段なら考えもしないことを思った。

「…アフロディ、」

力を緩めると、目の前の相手は俺を見つめる。
俺は反らしてしまった。

「お願い。」

その言葉だけで、何を表しているのかは、俺のはっきりと考えさせることを鈍らせた。



入居から使用しているベッドは俺たち二人を受け止めて小さな音を出した。二人分といっても俺と比べれば大人と子供だ。アフロディは軽い。白いシーツに散らばる金の髪は細く豊な絹みたいだと思っていた。
先日、共に出かけた時に購入した部屋着は視界的に薄暗いものの外の光が曇りガラスやカーテンから光が透けてアフロディの白い肌と一緒に照らした。

「…アフロディ」

つ、と部屋着の裾から指を入れていくと手のひらが左胸に辿り着く。重く、そしてゆっくりと鳴るものがあるように思えた。それは、まるで人のようで。無意識に小さく名前を呼んだ俺に、アフロディは目を閉じてまたそっと開けた。

「照美って、呼んで欲しいんだ…。」

どきりとした。そう俺に願うアフロディの姿に口が動く。照美。紡ぐと、ごめんと逆に言われてそれからは元のままだ。
このかた二十四年、女も男も相手にはしたことがないものの、知識として知っていることはあった。覆い被さる今の体勢は髪が横から落ちてくる、それを耳へ掛けるとアフロディは俺から目線を逸らした。息を飲んで片方の手のひらをぴたりと頬へ添わせては目を細めて、何とも言えない表情をした。俺はその表情のわけは考えたって分からない。薄く色づく顔は俺の胸の辺りを再びぐっと何かが出てきている気がした。
ぞわりと身が弥立つような感覚にこちらも目を細める。
するりと首筋まで手を下ろすと照美は小さく震えた。

「っ…」

俺は耐え切れなくなると横たわったままのアフロディを自らの腕の中へ抱き寄せた。背がシーツへ着かないままの照美の額へそっと口付ける。
清らかな素肌を唇に感じたことをぼんやりと思いながらぐっと腕に力を込めた。

「照美…すまない…。やっぱり、これはお前を利用するのと同じになってしまう。」

「…それでもいいんだよ。だって僕のこの容姿はアフロディなんだもの、」

「違う、俺は、お前のことを…自分が本当のお前自身を見れているかも分からない…。」

とえ本物じゃなくても、気持ちが目の前にいる照美に気持ちが向いていないままなんて嫌だった。容姿は同じでも、ひとつの感情を持ったものだからだ。人間ではなくとも、生きている。同じものを食べて、寝て、笑っていた。それだけで、違う。

「俺は、アフロディが好きだったんだと思う…。でもその気持ちを持ちながらお前と…照美と向き合うのは、駄目なんだ。」

俺の腕の中に身を預けたまま照美はこちらを見つめていた。俺が言葉を口にするたび、時折不安を目に映すのが分かる。

「俺はお前のことが大切だ、でもきっと…愛しいってことなんだと思う。」

目の前の目が揺れた。その言葉と共に自分の腕に力が入ってしまう。
同時に傍から小さく声が漏れて照美が身じろぎする。
愛しいことは恋慕と異なるのだろうか。大切にしたい、守りたいと思うことは、違うのか。分からない。
俺はまた何も出来ないままだ。アフロディと照美のことが頭を巡る。どうすることも出来ていない自分にとても、悲しかった。気持ちはある。言葉に出来ないものが確かにあるのも本当で、人間はわからないことばかりだ。
俺が目を細めたり、難しい顔をしていたのか照美は手を伸ばして最初のように俺の頬に触れた。
俺の視線は真っ直ぐに照美へ向かう。

「君が、優しい人だって知ってるよ。…ありがとう、風丸君。」

泣きながら微笑む照美は、死ぬほど綺麗だった。





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