俺が猫に触れてから、次の日のことだ。
俺は大事なことをすっかり、という言葉だけでは片付けられない自体を思い出す。

「アフロディ。」

「何だい?」

ソファへ腰掛けテレビを眺めていた姿へ名を呼ぶ。すると、直ぐに反応を示し立ち上がって俺の目の前まで来た。
真新しく買った私服はアフロディのお気に入りであり、よく似合っていた。

「もしかしたらもうお前の中に情報が伝わっているかもしれないが、今俺は一週間の休暇中だ。」

「一週間…、うん。」

こくりと頷く様子に俺は話を続けた。

「それが終わると俺はだいたい昼間、家を開けることになる。だから、色々教えておこうと思ってな。」

伝えるのが遅すぎると言われても仕方がないことだ。本当に自分を恨みたい気持ちで内心がいっぱいだった。
アフロディは俺を見つめ、少しだけ目を伏せた後に再び頷いて分かった、と一言言ってくれた。俺はすまないと謝り腕を捲る。

「先ずは…そうだな。食材の事とかか。料理は出来るか?」

冷たい水を手のひらに浴びせタオルで水気をとりつつ目線を向けた。
するとアフロディはううん、といった様子で腕を組み口元へ手をあてながら、多分、と呟く。それなら、一緒にやってみるのも手だと直ぐに考えを置き換えた。
とりあえず始めに手を洗うとしよう。俺は二度目の手洗いをした。





多分と言っていたが、アフロディはてきぱきと目立った失敗をすることもなく、動作一つひとつに少しだけこちらから指示をしただけで昼食を作り上げた。

「大丈夫だったみたい。」

空になった皿を受け取り、スポンジを滑らせる俺の横でアフロディは一つ言った。本人も些か心配だったのかもしれない。
そうだなと蛇口から流れていく水の音に消えぬよう、俺はアフロディに顔を向けて返した。

「今更だけれど風丸くんって料理出来たんだね。」

「まあ、人並みには覚えた。」

シンクへと垂直に落ちていく水とは反対に行われる会話はゆったりと時間が流れているようで心地が良いものだった。
まるで家族のような、そんな気持ちになる気がしたのもある。その時だった。
背後から、がちゃん、と音がした。一人でに俺ははっと目を開き蛇口のコックを閉めることをせずに振り返ると、そこには立ち尽くすアフロディがいる。どうしたんだとその元を聞くまでもなく目についたものは、割れたティーカップだった。

「あ…ッ、ごめん…ごめんなさい…っ」

「っ、触るな!」

さっとしゃがみこんだ体勢にアフロディが何をするかというものは頭に走り、予想通りに伸ばした細い腕を俺はすかさずに掴む。今まで弧を描いていたカップの飲み口は鋭利なものへと姿を変えた。腕と同様にアフロディの細い指は届くことなく止まり、その安堵からか息が吐き出る。そのまま腕を引き、身体と共に立ち上がらせ手のひらや足を見た。
破片は飛んでいないようだ。間に合って良かったと本当に思う。
そのことにまた安堵の息が吐き出されようとした。
だが、ふとアフロディの表情が目に入った際それはとても脅えているようで、小さな子供のようだ。吐き出されようとしていた吐息を慌てて唇を塞ぎ押さえた。これ以上その表情を暗くはさせたくない、と俺はそっとアフロディの頭に手を置き撫でる。

「ごめんなさい…」

手のひらが触れると一瞬びくりと震えたのが伝わった。今の状態を見ると予想をしていた脅えは本当のようだ。
自分の両手の手のひらを固く握っているのか爪先が白くなっている。ここまでに責任を感じている様子に俺は少しだけ驚いた。こちらにとってはひとつ食器が割れたことにしか過ぎないのだが、アフロディにとっては違う。
両親のとても大切なものを壊してしまっただとか、怒鳴られるのが怖くて仕方ないといった自身の経験のある様子で、それから少し気持ちが読み取れた。

「いいんだ。大丈夫だよ、アフロディ。」

俺は、アフロディが少しでも自分を責めるといった気持ちがなくなるようにその手を取る、そして再び頭を撫でる。
こんなことしか出来ない自分をどこかで悔やんだ。

マンションの部屋内に付属する物置へほうきとちりを仕舞うとリビングへ戻るため靴を脱ぎそこそこに整えた。あとは掃除機で周辺を掃除してしまおう。この時期は暖房の入っていない玄関は外のように寒いせいか無意識に二の腕を擦る。リビングへの扉を開けたとたんに暖かい空気が頬を掠め、左の前髪を揺らした。
早々に扉を閉めるとソファに座っているアフロディが目に入る。
割れたカップを片付けている間座っていていいと俺からの言葉通りにじっと座っていた。しかし、俯くアフロディは視界に入れていないとふとした瞬間に消えてしまいそうで、俺は掃除機をかけることを後回しにした。

二人用ソファへ腰掛けると隣の人物の重心が少しだけ傾いたがそれも阿附ディは気にならなかったようで顔を上げたりはしなかった。

「本物のアフロディなら、あんなことはしなかったのかな。」

「…そんなことないだろ、あいつだって人間だ。」

だったら僕は、と言いかけたアフロディに俺ははっとした。絶対に人間にはなれないロボットだということを目の前の人物は自覚をしている。

このような状況で、何を一番に言えばいいかなんて、深く考えても出てこない。ただ、当り障りのない言葉を掛けることはしたくなかったのだが、自分の紡いだ言葉すら、そうなのかも分からない。
とても歯がゆい気持ちが占めていく。

「君に何か尋ねられる度に僕は、曖昧な返答をしていただろう。」

曇っていた思考のなか普段から通る声が今は小さく呟かれて、俺は同じように下がっていた視線を上げる。未だアフロディの表情は普段の凛としたものには戻っておらず、言葉を紡ぐことを止めた。

「僕は、アフロディのことを全ては知らない。伝わってくる情報も君から見た限りのものでしか構成がされない。だから、本当の彼になれなくて、すまない。」

伝えられたものは俺の中で複雑に交差をしながらも蓄積されていくのをざわざわとした感覚のなかですとんと理解していく。




何をしても本物にはなれない。アフロディのその歯痒さが俺には伝わってくるようだった。
決して届かないものを目指して、そして無理だと気づいて。それでもこうして存在する自分との境界線のような、矛盾のような、とても大きな嫌悪感が胸を突く感覚。それを、俺は知っていた。

「お前が本物じゃなくたって、いいんだ。完璧じゃなくていいんだよ。」

お前は何も悪くない。
無理をして手に入れる必要なんてものは、ない。

俺は傍にいるアフロディの肩を引き寄せた。肩にかかる絹のような髪をも全て包み、抱きしめる。
俺が、こいつを支えてやりたいと思った。

「今度、一緒にカップ、買いに行こうな。」

そっと身体を離し、頭と艶のある髪を再び撫でながら言うと、アフロディは小さく頷いた。
少しは力になれただろうか。





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