「見て、風丸君。猫だよ。」
もう冬の風が頬を掠めるほどに吹くなか、俺たちは近所の公園を隣合わせで歩いていた。買い物という理由の他に、流石に3日目にして家に籠りきりも良くないと思ったからだ。
そしてアフロディは言葉通り少し離れた距離の猫を指差した。
そうだな、と俺が返す前に一歩先に踏み出しトラ模様の猫へと近づいていくのを眺めつつ後ろからゆっくりと歩きながら後を追う。ふと、中学の頃に着ていた自分の服がアフロディにはとても新鮮に見えた。ただ単に俺がアフロディの私服を見たことがないからかもしれない。
ダウンのポケットに手を入れて歩いていると何故か、自分はもう子供じゃないんだなとすごく当たり前のことを思ってしまって内心苦笑した。一回り歳の違う人間といるからだろうか。
追い付いた目の前のアフロディがしゃがみこんだ際、長い髪の先がコンクリートへついてしまわないか心配だったがすぐに立ち上がり、振り向くとその腕の中には先ほどのキジトラだった。
「とてもおとなしいんだ、可愛いよ。」
アフロディは腋の下に手を入れて俺に、ほら、と言うように猫を差し出す。それに対して俺はいつまでも手を出さないで見つめるだった。宙に吊るされる形の猫は、吹いた風にひとつ鳴いてしなやかな身体を上手く使ってアフロディの手から地面に降り立った。
「風丸君、もしかして猫は苦手かい?」
再びしゃがみこんで自分の足元に擦り寄る猫の頭を撫でた。猫の意識はかまってくれるアフロディの方へ向いているようだ。
聞かれた質問に少し考えながら同じように、一緒になってしゃがんだ。
「猫は…嫌いじゃ、ない。」
「そう、良かった。」
「…お前は?」
「うん…分からない、かな。」
好きでも嫌いでもない、ということなのかもしれない。そう思って俺は立ち上がった。
自分の事を大の大人、と言うのかは分からないが、その大人と子供が公園の脇道でしゃがみこんで何をしているんだと想像すれば、兄弟に見えるといえばそうなのかもしれないが少し変かもしれないと思ったので、「行こう。」と声をかけた。そのまま家に帰っても良かったが、アフロディの体調を聞きながらもう少し外を歩くことにした。
出掛け先の店で買った服が入った紙袋をベンチに座るアフロディに頼み、温かい玄米茶を自販機で二つ買った。
そういえば以前紅茶を飲んでいたがこの種類の日本茶は口に合うだろうか。些か心配になりながらも戻り差し出すとアフロディはありがとう、と言った。容器を両手の手のひらで包み温まっている様子を見ながら隣へと腰かける。
それからボトルのキャップを開けて躊躇もなく飲み始めたので安心した。
背凭れへ身体を預けるため背の半ばまである自身の髪を前の肩へ持ってくる。普段からの癖になってしまっていることにも慣れた。
そんなことを考えている間にアフロディの髪は俺より長く、先ほどしゃがみこんだ際はついてしまいそうだったと思い出すと一度自分の分のボトルを置いて向き直った。
「アフロディ。髪、ちょっといいか。」
長い金髪を一度全て手の中に招き横髪を残してからサイドへ寄せては右肩に流れるように片手で一度留めると、普段から予備として右手首につけている髪ゴムを髪の根元へくくりつけた。自分の髪を結うのは慣れるものだが、人のものは何故かあまり慣れていない。しかし上手くはいった。
よし。そう呟いたのが聞こえたのかアフロディは自分の髪を触って再びありがとうと言っては、微笑んだ。あ、と内心今になってアフロディの髪型に思うものには、蓋をしておくことにした。
昔から愛用をしている腕時計に目線を傾けると、午後三時。冬は日がくれるのがとても早い、気を付けなければと思う。
「あ、」
声を出すつもりなど無かったのだが小さく漏れた。どうしたのと尋ねたアフロディもその元が分かると納得したようだ。
ベンチからは少しばかり遠いものの先ほどの猫がいた。俺たちを見ているような、違うような、と小さなことを考え込む。
「また行かないのか?」
「うん、今度は。」
離れていようと再び触れ合いにでもいくのだろうかと思っていたが今は背凭れに身を預け、手の中でボトルを揺らしていた。
ゆらゆらと何を表しているのかは分からないが、揺れる猫の尻尾に何を言うのでもなく気づけば二人で見つめている。
ふと、また会話をしたくなった。
「…猫は、嫌いじゃないんだよ。」
「ん…うん。」「ただ、昔から何でか分からないが…俺には寄ってこないんだ。」
「っふ…。」
話始めるとアフロディは不意に笑った。口元に手のひらを当ててくすくすと可笑しそうに笑う。
「ふふ…うん、それで?」
「中学の頃、円堂と二人で帰っていて道端に猫が居たわけなんだ。」
ゆっくりと思い出しながら口を開いていく。俺の話を聞く体勢のアフロディはこちらを向いているのだと思う。ゆらゆらと、俺は尻尾を見ていた。
帰路の途中にある所、そこが猫の溜まり場なんだか人気の場所なんだか毎回に違う猫がいたことを俺と円堂が知り始めた頃だ。
円堂はもちろんのこと興味を持って猫に構い出していた。アフロディみたいに駆け寄って行けば毎日使っている手のひらで猫の頭を撫でたり、身体を撫でたりとそれは慣れた飼い主のように。
風丸もやってみろよ、と円堂は俺に勧めた。同じように膝を片方ついてそっと猫の目の前に手を差し出すと動物には当たり前の行動で匂いを嗅いたが、何故かふいと顔を背けられてしまったのだ。
嫌な匂いでもしたのだろうかとも思ったが、分からない。動物は人間よりとても鼻が効くというから、何か気に召さなかったのだなと俺はあまり気にも留めてはいなかった。
外出先で再び猫に会った。前と同じ場所に、違う猫。俺は同じように手を差し出したが、今度は匂いを嗅ぐ前に顔を背けられ、そのまま眠られてしまう。
はたまた商店街ではよく見かける魚屋の見慣れた日本猫にはじっと目が合えば、たたっと離れて人に紛れていった。他にも人はいるというのに。
俺は少しばかり落ち込んだ。
「何というか、壮烈な片思いだね…。」
「…そうだな。でも、もう気にならなくなったしな。」
そうだ。猫に嫌われていようと困ることはない。
…ただ少しばかり気持ちに欠けるだけだ。
話も終わり飲みかけのボトルを紙袋に入れ一度伸びをする。
「ごめんな。話、つまんなかっただろ?」
「ううん、そんなことはないさ。とても面白かったよ。」
「面白、かったのか…」
「あ、えっと、興味深かった…よ?」
はっ、とし首を傾げながら笑う姿に、俺は少しだけ笑うと先ほど結って髪の向く方向が同じになった頭に手を置く。
「冗談だ。」
「…怒られると思ったじゃないか。」
「ああ、ごめん。」
アフロディは少しばかりまだ納得のいっていないような顔をしていたが、すぐに直り自分の飲み物を同じく俺の持っている紙袋に入れた。
その後に、でも、という言葉が俺の意識を向かわせる。
「君の話が聞けてよかった。」
はたしてあの話題で良かったのだろうかと今更に自分へ恥を感じるもアフロディが良かったなら、俺も良かったと、思う。
紙袋を肩へ掛け直したところで再び腕時計を見た、だいたい午後四時前だ。もう夜はすっかり冷える時期になったことを最近分かり始めたせいか風邪を引かぬようという意識が大きくなる。
その時ダウンの腕部分を二度ほど引かれた。誰かといえばアフロディ以外はいない。
「どうした?」
「風丸君、足元。」
アフロディは言葉と共に俺の足元へ視線を向けて俯いていく。同じように自分も下を向いた。
あ。今日はよく一言を発する日だなと頭の隅で思いながら見たのは俺の足元へ擦り寄る、先ほどの猫だ。
無意識に瞬きを数回し、アフロディと目が合った。
「両想いだね。」
間がややあった後にはアフロディがくすくすと笑う。そして微妙に否めないようなコメントだ。
そして俺はどうすればいいとそんなことを考えている、ここで間違ったことでもすればもう一生猫という猫は近づいてこないんじゃないか。普段からして考えないようなことばかりで笑えてきた。
「きっと、この子も話が聞けて良かったって思ってるよ。」
「…そう、か。」
未だ離れようとはしない猫に紙袋をベンチに置き、方膝をつくとそっと手を差し出す。今までの猫はこの時点でどこかへ去ってしまうものが大体だ、今回は何故か匂いを嗅いでこない、それどころか目の前で一つ、小さく鳴いた。
それに気持ちを押されてかまた数センチ、前へ進めるとちょこんと頭へ指先が触れた。
触れることが出来たのはいつ以来、何年ぶりだろうか。
今日、この日のことは頭に残っていきそうだ。
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