ついに今年も、今日という日がやって来た。
その名も"バレンタインデー"。
去年も、そして一昨年もそうだったように、俺は朝からひとり悶々と考え込んでいた。
…今年はどうなるのだろうか。
思い返せば、去年のこの日は悪夢を見ているようだった。
変態の異名を持つ例の男からのチョコレートを、小夜からのプレゼントだと勘違いして、小躍りしつつ頬張っていた自分。
その後、変態から聞いた話によれば、小夜は、俺がチョコレートが苦手だと勘違いしているらしい。
一体どういうことからそんな間違いが生じたのか、俺には到底分からない。
だが、一つだけ明確なことがある。
それは、このままだと俺に春は来ない、ということだ。
生まれてこの方、縁遠いどころか、かすりもしなかったイベント。
このままでは、バレンタインの喜びも感動も知ることなく、俺は生涯を終えてしまう。
これは決して大袈裟なことではない。
俺は今、まさに人生の崖っぷちに立っているのだ。
今年こそは何としても小夜からチョコレートをもらう。
いや、ここまできたら奪い取るくらいの気負いが必要なのかもしれない。
そう。
待っているだけでは駄目なのだと、俺はようやく気がついた。
自分が動かねば、相手は動いてくれない。
これが去年、一昨年の辛い体験から学んだ唯一の教訓だった。
俺は強い決意を胸に部屋を出る。目指す場所は言うまでもなく、小夜の部屋だ。
まずは、いかに俺がチョコレートを好きかアピールしてやるのだ。
「おい、小夜」
力強くノックを2回。
早くも俺の計画は頓挫したようだった。
勢いよく開け放った扉の向こうに、小夜の姿はどこにもなかった。
****
やはり、俺とバレンタインとは元々、相容れないものなのだろうか。
そもそもこんな朝早くから、小夜は一体どこに出かけたというのだ。
すでに挫けかけている己をなんとか励まして、俺は宿の外に出た。
寒い。
突き刺すような空気の冷たさに、足が固まってしまう。
周囲に小夜の姿はない。
畜生。こんな寒い中、どこに遊びに行ってんだ、あいつは。
コートの横ポケットに両手を突っ込み、首を縮めて悪態をつきつつも、俺は引き返すことなく歩き始めた。
今日を逃せば次はないぞ。
頭のどこかでそんな声が聞こえた。
少しずつ人通りが増え、出店の類がちらほら見え始めてくる。
彩度を失ったモノクロの世界に、色が浮かび上がってくる。
その中で俺は、ただ一つの色を探していた。
俺の視界に、何よりも鮮やかに映る"小夜"という名の色を。
徐々に密度を増してくる人波を掻き分け、首を巡らせ、俺は探す。
「小夜」
喧騒にもまれながら名を呼んでみた。
けれど、声も姿もどこにも見つからない。
視界が開けたと思ったら、そこは出店が並ぶ通りの終着地だった。
これから先は住居区に入る。おそらく小夜はこの先にはいないだろう。
つい今しがた潜り抜けてきたばかりの人の海を振り返ってみる。
だがやはり、小夜の姿はなかった。
****
見事に撃沈だ。
俺は自室のベッドに仰向けに倒れたまま、傍らの窓を見上げていた。
哀愁を漂わせた茜空。
きっと耳を澄ませば、巣に帰っていく鳥の鳴き声が聞こえるに違いない。
もうすぐ夜になるのだ。
「あーあ」
ベッドに両手を投げ出し、目を閉じる。
しんと静まり返った室内。
かすかに聞こえるのは、自分の鼓動だけだ。
規則正しく刻む自分の音に耳を傾けていると、少しずつ意識が深い闇に墜ちていくような感覚に囚われた。
俺はそれに抗わない。
もう今日はこのまま終わりでいいや。
そう思った途端、俺は完全に闇に呑み込まれていった。
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