そのとき朱里の隣で久しぶりの再会に顔を輝かせていた小夜が、前のめり気味に口を挟んだ。
「あの、今回トムくんたちは一緒じゃないんですか?」
余計な一言を…。
朱里があえて口に出すのを避けていたのに、小夜はそれを軽々と覆すのだからたまらない。
無邪気な横顔を軽く睨むが、当の小夜は気づく様子もなく師匠の返答を待っている。
「ああ、あいつらなら…」
言いかけた師匠の後ろ、宿の外からバタバタと派手な音が聞こえた。
嫌な予感どころか、悪寒がした。
まるで小夜の言葉に召喚されたかのように、扉を押し開けてなだれ込んできた子どもたちを前に、朱里は今度こそ絶望する。
ああ。俺の幸せなバレンタイン、終わったな…。
頭に思い描いていた小夜との穏やかなひと時が、急速に遠ざかっていく。
呆然と立ち尽くす朱里の側で、相棒の変化にも気づかない小夜がしゃがんで両手を広げた。
「皆さん!お久しぶりですっ」
三兄弟はそろって一目散に、小夜の腕の中に飛び込んでいく。
はたから見ると、完全に子どもたちの若き母親だ。
…待てよ。
ということは、隣に立つ俺はそんな小夜の旦那というふうに見えているのか。
子どもたちに微笑みかける小夜の横顔をちらりと見て、こそばゆいような妙な気分になる。
…それも悪くないかも。
なんて、よこしまなことを考えていると、長男のトムがこれ見よがしに小夜の胸に顔を押しつけながら、朱里を振り返って言い放った。
「兄ちゃん暇そうだから、俺たちが公園で遊んでやるよ!」
「遊んでやる!」
「やる!」
天国から一変、地獄への扉が口を開いた気がした。
「いやいやいや、ちょっと待て!」
必死に断る理由を探す朱里に、師匠がのんきな声で笑って言う。
「そりゃあいい。たまには兄弟子にしごいてもらわないとな」
しごかれるのは俺のほうだ!
そう叫ぼうとしたところで、気づけば三兄弟が朱里のコートの裾を引っ張って、早くも外に連れ出そうとしていた。
「待てって!俺にだって予定が…」
助けを求めるように小夜に視線を送る。だが。
「あっ、私は全然大丈夫ですから…楽しんできてください」
少しだけ寂しそうな顔で笑う小夜。
違う!そうじゃない!
子どもたちに外へ引きずり出されながら、朱里は心の中で叫ぶ。
お前が自分よりも他人に重きを置く性格なのはよく知ってる!
でも今だけは勘弁してくれ!
無論、朱里の絶叫が届くはずもなく、抗うように振り返った先で小夜はこちらに手を振って微笑むばかりだった。
通りの先に消えていった弟子たちを見送って、師匠が大きく背伸びをした。
「さあて。静かになったことだし、俺たちはゆっくりするか」
三兄弟をうまく朱里に押しつけられてご満悦のようだ。
空気だったジライが師匠の背からひょっこり顔を出して提案する。
「…それなら宿でお茶でも飲もうよ…。小夜ちゃんもおごるからどう…?」
口元ににたりと笑みを張りつけて言うジライも、見た目には分からないがどこか楽しげだ。
ナンパの常套句を思わせる台詞に、通りを見つめていた小夜が視線を戻した。
師匠とジライの顔を交互に見る。
「すみません。私少し行きたいところがあって…!ちょっと出てきますね」
言うが早いか通りに駆け出していってしまう。
「…ふられたな」
「…残念…」
心底残念そうに呟くジライ。
華を失った男二人はしずしずと宿に戻っていったのだった。
「よお。お疲れさん」
宿の食堂の円卓にジライとともについていた師匠が、軽く手を上げた。
その視線の先には今もなお元気に駆け回る三兄弟と、疲れ果ててやつれた朱里の姿があった。
「…ああ…」
呟いたきり黙り込む朱里。
喋る気力も残ってないのだろう。
ぼさぼさに乱れた髪の毛に、砂埃で汚れた顔。
片側の肩からずり下がったコートが、彼に起きた悲劇を物語っていた。
窓の向こうには茜色の空が広がっている。
ほぼ半日の間ずっと、朱里は一人で子どもたちの相手をしていたことになる。
なんだかんだでちゃんと世話してくれるんだもんな。
師匠は弟子の変わり果てた姿に、思わず苦笑を漏らした。
「ほら。座った座った」
席を勧めつつ、脇に置いていたボトルから空のグラスに水を注いでやる。
朱里は椅子に力なくかけると、差し出されたグラスを一息に飲み干した。
幾分生気も取り戻したのか、その口から息がふうと漏れる。
ジライが三兄弟を椅子に座らせたところで、朱里の目が周囲を見回した。
「…あれ?小夜は?」
円卓に相棒の姿はない。
食堂をぐるりと見渡しても、その姿はどこにも見えなかった。
「小夜ちゃんなら昼間、ちょっと出てくるって言ったきりだよ。どこに行くのかも聞かなかったからな」
顎に手を当てて答える師匠に、朱里は窓の外に目をやった。