そのとき、部屋の扉がノックもなしにいきなり派手に開かれた。
扉の向こうに立っていたのは。
「……あ?師匠?」
そこには朱里と小夜を見つめて立ち尽くす仁王立ちの師匠の姿があった。
小夜の両肩を掴んだ姿勢のまま、朱里は固まる。
これはやばい。
その一言だけが真っ白になりつつある頭に浮かんだ。
「…朱里、お前…」
師匠の筋骨隆々に盛り上がった肩がわなわなと震え出す。
その後の台詞は容易に想像できた。
「馬鹿野郎!女の子に無理やりなんてことしてんだ!」
違う!と口に出せたかどうかは、自分でも定かでない。
気づいたときには本気モードの師匠の鉄槌を頭に受けて、膝からくず折れていた。
意識を手放す瞬間、やっぱハロウィンなんて参加すべきじゃなかったという後悔の念だけが浮かんで消えた。
目を覚ますと、眼前には心配そうにこちらを見つめる小夜の顔があった。
「朱里さん!大丈夫ですか」
「ああ…」
それだけ答えて、後頭部の柔らかい感触に気づく。
どうやらあの後気絶した朱里を、小夜が膝枕でかいがいしく看病してくれていたらしい。
目の端に映った窓の向こうは闇に染まっている。
どこかからカーニバルの愉快そうな音楽と人々の声が聞こえてきた。
きっと祭も終わりが近いだろう。
一体どれだけ意識を失っていたのか自分でも呆れていると、小夜がそっと頭に手を当ててきた。
「痛いですか?あの、師匠さんにはちゃんと説明しておいたから大丈夫ですよ」
そう言われれば師匠の姿はどこにもない。
しかし小夜の説明なんて、師匠にしっかり伝わったのだろうか。
甚だ疑問に思っているのが顔に出ていたのか、小夜が慌てて付け加えた。
「えと、無理やりじゃなくて、2人でお医者さんごっこをするところだったんですって伝えたら、納得していただけたみたいで」
師匠さんはそのまま出て行かれちゃいましたが、と首を傾げながら報告する小夜。
朱里はそのときのことを想像して、思わず両手で顔を覆った。
師匠の中の俺の印象が、女とお医者さんごっこをするような危ない奴だと書き換えられてしまったのは、もはや間違いないだろう。
言うならば、変態だ。
ジライと同じ枠組の中に含まれてしまったに違いない。
突然顔を覆って黙り込む朱里に、小夜から心配の声がかかるが返事をする余裕も気力もない。
元はと言えば、悪ノリしてしまった俺が悪い。
いや、俺に悪ノリさせたこのハロウィンという空気感が悪い。
「…ハロウィンなんてやっぱ嫌いだ…」
いつかと同じ台詞を呟いたとき、頭上でふふっと笑う声がした。
見ると小夜が思わずというふうに口元を押さえていた。
「あっ、ごめんなさい。つい」
泣きたい気持ちのまま、頭上の小夜をじと目で見る。
「何がそんなに笑えるんだよ。俺は散々だってのに」
自暴自棄な朱里に、小夜がわずかに肩を落とす。
「すみません…」
「いや、別にお前が悪いわけじゃねえけどさ」
慌てて訂正して、場を取り繕うため朱里はごほんと咳をつく。
「で?お前は今日楽しめたのか?」
それに対して返ってきたのは、咲き誇るような大輪の笑顔だった。
「はいっ、今日はジライさんにも師匠さんにもお会いできて、朱里さんにもこの格好をお見せすることができたので、すごく楽しい一日でした!」
小夜が良ければすべて良し。
そう思うしかないほどの小夜の様子に、朱里まで笑いがこぼれてくる。
「そりゃよかったな」
気持ちが幾分立ち直ってきたとき、小夜が朱里の額に自分の額をコツンと当ててきた。
「…何してんだ」
「朱里さんにもおすそ分けです」
至近距離で微笑む小夜に、朱里は言葉も出ない。
顔が上気してくるのが分かって慌てて口を開こうとするが、祈るように瞼を閉じる小夜に何も言えなくなってしまった。
少しの後、顔を上げた小夜はわずかに頬を染めていた。
「朱里さん、次のハロウィンもまた一緒に過ごしましょうね」
照れたようにはにかみながらそう言われれば、否と言えるわけもない。
無言でこくりと頷いた朱里の顔も、おそらく赤く染まっているだろう。
ハロウィンの悪夢も、小夜の笑顔と頭に感じる心地よい柔らかさになんだか中和されるような気がした。
─おしまい─
この後、なんとか勇気を出して小夜の恰好を褒めた朱里に、大喜びの小夜が抱きついてきて、朱里がさらなる葛藤地獄に落とされるのはまた別のお話。
小夜のコスプレも年々レベルアップしてきてます。笑