華やかに着飾った街並みの下、楽しげに笑顔を咲かせて歩くのは仮装した人の波。
通りにはいたるところに巨大なカボチャが転がっている。

どうやら今日この町ではハロウィンのカーニバルが行われるらしい。
まあ、自分には関係ないことだけど。


一軒の小さな宿の二階窓からは、頬杖をついて下界を眺める朱里の姿があった。

いつもどおり濃緑のコートを纏った彼は、もちろん仮装していない。

暇で死にそうではあるが、この喧噪の中外に出るのははばかられて、仕方なく景色を眺めているのが現状だ。
こういうとき、真っ先に扉を叩いて乗り込んで来そうな例の相棒も、今は外出していて不在のため、朱里の暇をつぶしてくれそうな相手は皆無だった。


「ふわあ…」

木造の窓の淵に顎を載せたまま、大きな欠伸をひとつ。

秋らしい水色の空を泳ぐ雲を何とはなしに目で追っていると、どこからか自分の名を呼ぶ声が耳に入った。


「──朱里さーん」


喧噪に紛れて届いたのは、馴染みのある相棒の声だ。

はて、どこから聞こえるのだろう。
首だけ動かして声の出所を探す。だがどこにも相棒の姿はない。

そのときもう一度同じ声が聞こえた。


「朱里さーん、ここです!ここ!」

それは確かに下の方、宿の前の通りを流れる人波の中からだった。

まさかあんなところにいるのか、あいつは。

窓から身を乗り出して、雑踏に目を凝らす。

魔女に、吸血鬼に、ミイラに狼男。
人外のものがあふれる中、果たして相棒はどんな姿をしているのか。

そのとき、こちらに振られる白い手が視界に映った。

「……ん?」

ようやく小夜の姿を目の端に捉えてほっとしたのも束の間、朱里はぎょっとして力の限りまぶたを見開いた。

「朱里さーん」

笑顔で手を振る小夜。その姿は。


「そこで待ってろ!」

そのまま小夜の返事も待たずに部屋を飛び出すと、階段を駆け下り宿の扉を半ばぶち破るようにして外へ出る。

宿の前には朱里の言いつけを守って小夜が大人しく佇んでいた。

そこに凄まじい形相で駆け寄る朱里。

「え、朱里さん、どうかされたんですか」

朱里の迫力に気圧されて、小夜が一歩後ろに下がる。が、朱里がさらに詰め寄ったためあまり意味はない。

「こんのあほ!どうかしてるのはお前のほうだ!そんな、そんな恰好…」

わなわなと朱里が肩を震わせる。

「え?」

頭に黒い耳を着けた小夜は首を傾げた。

首に巻かれた黒いリボンがふわりと揺れ、同じく漆黒のワンピース型の衣装からは、大胆にも二の腕や腿が露わになっていた。
色白のせいか一層肌の出ている部分が目立って見える。

「どこか変でしょうか、この恰好」

くるりと小夜がその場で回ると、スカートの後ろ部分についた黒しっぽがゆらりと揺れた。

「今年は黒猫にしてみました!」

言って、無邪気に両手を顔の前に寄せ猫のポーズをとる小夜。

思わず気を失いそうになるのをなんとか堪えると、朱里は流れるような動作で自分のコートを小夜の頭の上に覆いかぶせた。

突然のことに驚く小夜の手をとり、半ば強引に宿の中に入りそのまま部屋まで引いて戻る。



大きく音を立てて扉を閉めると、ようやく朱里は小夜を解放した。

うつむいて無言で背中を向けたままの朱里に、現状が把握できていない小夜がこわごわと声をかける。

「あの、もしかして…怒ってますか…?」

しばしの沈黙の後、朱里が暗い横顔だけを向けた。

「お前な…」

「は、はいっ」

しゃきんと姿勢を正した勢いで、小夜の頭にかかっていた朱里のコートが床に落ちる。

再び露わになった黒猫姿の小夜を視界に捉えて、勢いよく朱里が顔を逸らす。

「あ、あの、朱里さん?」

普段とは違う朱里の様子に、小夜が心配して手を伸ばそうとしたとき、背中を向けたままの朱里が口を開いた。

「そんな恰好して何外なんか出歩いてんだよ!」

「えと、仮装して歩くのがカーニバルの醍醐味でして」

「そんなこと知ってる!」

「それじゃあ」

「でも駄目なもんは駄目だ!」

滅茶滅茶な言いようだ。
小夜はすっかり混乱してしまう。

「あの、ええと私は一体どうすれば…」

助けを求めるようによろよろと朱里に近づこうとしたところで、


「ばか!近づくな!」


声を荒げた朱里に、小夜の顔は一気に青ざめた。
朱里はいまだに背中を向けたまま表情を見せない。

「あ…すみません…。そうですよね」

消え入りそうな声で小夜が朱里から一歩離れた。

「やっぱりこの恰好がおかしいんですよね。…ごめんなさい、私鈍くてなかなかそういうの気づけなくて。えと、着替えてきますねっ…」

いまだに顔を見せない朱里に健気にも笑顔を向けて、小夜が身をひるがえす。

扉の取っ手に手を伸ばしたところで、背後から声が伸びた。


「そんなこと言ってない!」

「えっ?」


振り返ったすぐ眼前に朱里の手が伸びる。

手のひらで遮られた視界のすぐ先で朱里の声が再度聞こえた。

「こっちは見るな」

疑問に思いつつも小夜は素直にうなずいてみせる。


少し躊躇うような間の後、朱里が続けた。

「…俺はその恰好が変だとは言ってない」

「でも、この恰好で外を歩くなって…」

「そうは言った」

朱里の返答に小夜は半ば泣きそうな声を上げる。

「朱里さん、私もう何が何だか分からないです…。お前は可愛くないから外を歩くなってことなんでしょう?この際はっきり言ってくださったほうが…」

「そうじゃねえ!」

小夜の声にかぶせるように朱里が口を開く。

「…可愛く…ないとは言ってない…」

最後のほうはほとんど消え入るようだったが、それは確かに小夜の耳に届いた。

ぽつりと朱里が言葉をこぼす。

「…俺が嫌なだけだよ…」

そのまま朱里は押し黙る。

何と返せばいいのか小夜が迷っていると、沈黙に耐えきれなくなったのか朱里が「悪いか!」と鼻を鳴らす声が聞こえた。


今朱里さんはどんな顔をしてるんだろう。


小夜は視界を遮る朱里の手をとると、それをゆっくり下げた。

すぐ目前に立つ朱里の顔を真正面から見上げて、小夜はくすりと笑う。

「朱里さん、顔赤いです」

「…見るなって言っただろ。ばか」

真っ赤な顔の朱里に頭を小突かれて、小夜はさらにくしゃりと笑みを浮かべる。
その小夜の頬も今は赤く染まっている。


ようやく小夜にも朱里の言いたいことが分かったようだった。

窓辺で頬杖をついてふて腐れる朱里の背中に、小夜は歩み寄る。

「私今日はもう外に出ません。けど、朱里さんのお側にはいても構いませんよね」

「勝手にしろ」

無愛想な返答にも小夜は嬉しそうな笑顔を見せると、朱里の横に並んでその肩口にこつんと頭を寄せた。


並んで立つ二人の向こうには、賑やかな町の声がゆったりと薄雲に乗って流れていくようだった。





「──そういえば、朱里さんにもこれ!」

振り返った朱里の頭に小夜が何かを装着した。

「あ?なんだよこれ」

「じゃーん」

朱里の前に鏡をかざす小夜。

「…………っ」

鏡に映った自分の姿に言葉どおり絶句する朱里。

そこには小夜と揃いの猫耳を着けた自分の姿があった。
しかも色違いの白だ。

「朱里さんにお似合いかと思ってお揃いにしてみました!やっぱり思ったとおりすごく可愛らしいです!」

横できゃっきゃっとはしゃぐ黒猫姿の小夜。
対照的に白猫姿の朱里は魂の抜けた顔で立ち尽くしている。


…このやろう。いっそのこと襲いかかってやろうか。

無邪気に喜ぶ小夜のワンピースから覗いた生足に視線を注ぎつつ、朱里は盛大なため息を漏らすのだった。



─おしまい─

以前黒猫の登場した拍手SSで朱里が猫好きなのを覚えていた小夜が、朱里を喜ばせるため黒猫の仮装をしたというのが裏設定。
ほんとはゾンビにしようか迷ったけど、そうするとがちで朱里がびびりそうで話が進まなさそうだったので却下しました。



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