小夜の言葉を制したのは、昨夜から同じ宿に泊まっているジライだった。

ジライは小夜の真似をして扉から顔だけのぞかせたが、残念なことにそれは生首のようにしか見えなかった。

「な、なんだよジライまで。とりあえず二人とも部屋入れよ」

朱里に促されて部屋に入ると、ジライは朱里の手元を見てなぜかにやりと笑った。
思わず肩がびくっと反応する。

「な…なんだよ?何が言いたい?」

「…いやぁ、さっそく食べてるなぁと思ってね。美味しいかい…?」

「別にあんたには関係ないだろ!」

「…冷たいなぁ、関係なくなんてないのに…。あ、そうだ。君にもはい、これをあげるよ…」

呟く口調でジライが小夜に手渡したのは、どこか見覚えのある色の箱だった。

「えっ?これ、いただいてもよろしいんですか?」

「もちろんさ…。今日は特別な日だからね…」

ジライが唯一見える口元で笑う。
小夜は嬉しそうに箱のリボンをほどき始めた。

そんな二人を眺めながら、朱里はあれ?と首を傾げる。

小夜の手にある箱と自分の手にある箱を交互に見比べ、さらに頭にハテナマークが浮かんだ。

(ま、待てよ?一体どういうことだ?)

「――うわぁ!すごく美味しそうなチョコレートですっ!」

小夜が歓声をあげたのは、すぐ後のことだった。

すかさずそちらに視線を移せば、小夜が箱の中から一つまみの茶色い物体を手にとっているのが見えた。

小夜はそれをぱくっと口に含み、今にも溶けてしまいそうな表情で破顔する。

そんな彼女の手には、水玉模様の箱…。

「…僕から二人へのバレンタインチョコだよ…。しっかり愛も込めてるからね…」

気絶しそうだった。いや、気絶していたほうがずっと楽だったに違いない。

朱里はわなわなと震える手で、ジライのほうに箱を差し出した。

「ひょ…ひょっとして、これ…」

「…僕からの愛はちゃんと伝わったかい?朱里…」

青白い口元が微笑みを返す。

朱里は無意識のうちに箱を取り落としていた。
ベッドで弾んだチョコレートが、床にコツンと音を立てて転がった。

朱里はチョコを口に含んだ瞬間、小夜の気持ちを確かに感じたと思っていた。
だがそれは完全な勘違いだった。

実際チョコに込められていたのは、変態変人の異名を持つ男の熱い思いだったのだ。

朱里は肩を震わせながら、ベッド上に立ち上がった。

ついに自分も念願のイベントに参加できたと思ったのに。
ついに小夜からチョコがもらえる日が来たと…思っていたのに…!

「…っバレンタインなんて大っ嫌いだ!!ジライの馬鹿やろうっ!」

捨てゼリフを吐いて、そのまま朱里は一人部屋から走り去っていった。

後には床に転がった幾つかのチョコと、呆気にとられて朱里の後ろ姿を見送る二人の姿だけだった。

「…朱里さん、一体どうされたのでしょうか?」

「…どうやら朱里は、あんまりチョコが好きじゃないみたいだね…。何もあそこまで怒ることないだろうに…。本当に子どもなんだから」

やれやれと肩をすくめるジライの隣で、小夜はそっと懐から小さな桃色の箱を取り出した。

「…それじゃあきっとこれも、受け取ってもらえないですよね…。今日のために用意していたんですが…」

「…それは?」

「バレンタインチョコです。先日初めて知ったイベントだったので、張り切って作ってきたんですが…残念です」

生涯で初の手作りチョコレートを手に肩を落とす小夜に、ジライがぽつりと呟いた。

「…ちなみにね、僕はチョコレートが大好物なんだよ…」

「それじゃあこれ!もしよろしかったら」

「ありがとう。後で美味しくいただくよ…」

小夜からチョコの箱を受け取ると、ジライはうっすら笑みを浮かべて部屋を後にした。



朱里には知る術もないだろう。

まさか自分のために用意されたチョコレートが、あっさりと他人の手に移っていようとは…。

「…朱里も馬鹿だよ。こんなに美味しいチョコを食べ損ねるなんて…」

チョコを口に頬張ってジライが一人ささやいた。



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