「お菓子くれなきゃいたずらするぞ……だっけ」
俺は今、猛烈に緊張していた。
さっきから何度もこの台詞を反芻しているのに、本番で上手く言える自信がない。
こんなに緊張するのはずいぶんと久しぶりな気がする。というか、ここまで緊張したことなんて、今まで生きてきた中で果たしてあっただろうか?
俺の前には一つの扉。さっきから俺はずっと、この扉と睨み合いを続けていた。
外はすっかり夜の闇に静まり返っている。大抵の者はそろそろ床に就こうかという時分だ。
気持ちを少しでも和らげようと大きく息を吸い込んで、俺は闇に染まった窓に映る自分の姿を確認した。
いつもの見慣れた自分の顔は、今やすっかり強張ってしまっている。
無理に笑おうとすると、変に口角が引きつって見るも無惨な情けない顔になった。
そんな俺の首から下は、今や漆黒の衣に包まれて、窓の向こうに広がる夜にすっかり溶け込んでいた。
「…なんでこんな格好してるんだか…」
呟いた後で、思わず重いため息をつく。
「いや、結局は俺のせいなんだけどさ…」
肩を落として意気消沈した自分が、窓の向こうから何か言いたげにこっちを見返している。
今の俺の姿を見た者は、まず間違いなくこう思うだろう。
吸血鬼――と。
時を溯ること数刻前。
俺はいつものように宿の部屋で、いつものようにくつろぎながら、またいつものように町の地図を眺めていた。何の代わり映えもしない平和な時間を楽しんでいたわけだ。
しかし変化は突然、半ば強制的に訪れた。
「――あいかわらずだね…」
耳につく独特のオブラートを含んだ声音。
反射的に警戒態勢に入ってしまうほど体に刷り込まれた負の気配。
俺はとっさに立ち上がって前屈みの姿勢をとった。が、それもすでに遅く。
「…どこを見てるのかな…」
耳元に生ぬるい吐息を感じて、俺は言葉どおり飛び上がった。
「っだぁぁああああああ!!気色悪ぃいい!!」
耳を押さえて横に跳ぶ。
今度こそ息の主…もとい声の主の顔を真正面に捉えた。
主は右手をわずかに挙げて「…やあ」とささやいた。そして続ける。
「ずいぶん反応速度が落ちたんじゃないの…?僕が部屋に入ってきたのも全然気付かないし…」
「入ってきたじゃなくて、忍び込んだの間違いだろ!それにいい加減、人の耳元でなんか喋るのやめろ!気色悪くて死ぬ!」
「…じゃあ、こう考えてみたらどうだい…?今君の部屋に入ってきたのは、僕じゃなくて君の相棒だ。相棒がこっそり部屋に忍んできて、君の耳元で何事かささやく…」
「小夜が…?俺の部屋に忍んできて…俺の耳元でささやく…」
素直に想像してしまった俺を見て、声の主ことジライの奴は口元をにやりと緩めた。
「…意外といい夢見れただろう…?」
「…っ!お前は一体何がしたいんだ!用がないなら消えろ!いや、頼むからどっか消えてくれ!」
俺の懇願も空しく、ジライはあっさり手近な椅子に腰掛けると、俺にも座るよう促してきた。
消えてくれる気配がなさそうなので、渋々俺も椅子に座る。
とりあえずジライの目的を果たさせない限りは、ここに居座るだろうと考えたからだ。
俺が向かいの席に着いたのを確認すると、ジライはテーブルの上で手を組んで小さく頷いた。
「…今のたとえ話じゃないけれど、今日は朱里にいい話を持ってきたんだ…」
「…いい話?」
明らかに胡散臭さ満載だった。特に目の前に座るこの男が口にすると、ますます怪しさも倍増だ。
「…朱里は…」
ジライがずいと俺のほうに顔を近づけてきた。思わず俺はのけ反って離れる。
「…朱里は夜這いした経験はあるのかな…」
「……よ、ば…」
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