なによりも大切な





「──あれ?」

突然ぴたりと立ち止まって小夜が目をしばたたかせた。
朱里はそんな小夜を振り返る。

「ん?どうしたんだよ」



時は夕刻。

絵の具を溶かしたような夕映えの空を、哀愁誘う声で鳴きながらカラスの黒い影が遠ざかっていく。
夕日に染まる周囲の家々からは、夕げの支度のなんとも言えない匂いが漂ってきていた。


そんな穏やかな黄昏時に、仕事を終えたいつもの二人が宿への帰途についていた。

もっとも、仕事と言っても特にいい情報が手に入ったわけではなく、単に街をぶらぶらしていただけなので、二人の顔に疲れた様子はない。


そんなとき突然、そのうちの一人小夜が道の真ん中で足を止めたのである。

「小夜?」

「あれ?あれっ?」

朱里がいぶかしむ後ろで、小夜は慌てたように自分の服をはたいたり、落ち着きなく周囲を見回したりし始めた。

朱里のかけた声も耳に入っていないらしく、ひたすらその目は地面のあちこちに向けられている。

「おいってば。どうしたんだよ、何か探してんのか?」

とりあえず朱里は小夜の頭を軽くつついて、自分のほうに向かせた。

すると、動揺で顔面蒼白になった小夜が朱里を見上げてきた。

ぎょっとして目を見開く朱里のコートの胸元を、小夜は強く握りしめる。

「どっ、どうしましょう!一体どうすればっ…どうすればいいんでしょう!!」

同じ言葉を繰り返し、自分に半泣き顔で迫ってくる小夜には、さすがの朱里もたじたじの様子だ。

「ちょ…待て!ちゃんと俺に分かるように説明しろって」

迫り来る小夜の顔の目の前で手を広げて制し、朱里はひと呼吸置いてもう一度尋ねた。

「一体何が起きた?」

ぴたり、と止まった後、再び泣き出しそうになる小夜の顔。

一瞬朱里は小夜が本当に泣いてしまうのではないかとかなり焦ったが、なんとか小夜は涙を耐えて震える口で答えた。

「あ、あのっ、わ、私の…ネ…ネッ…」

動揺のためか言葉に詰まってしまい、なかなかその後が出てこない。

「ネ?なんだよ」

続きをうながす朱里に、小夜はやっとのこと答える。

「わ、私のネックレスがっ…朱里さんから頂いて、いつも着けていたネックレスが、なくなってしまったんですっ…!」

言われて小夜の首に目をやると、確かにいつもそこに揺れていた小さな花びらのネックレスが見当たらなかった。

この世の終わり、とでも言うように、顔を真っ青にして自分の胸元に手をやる小夜に、朱里は軽く言ってやった。

「そんなの、そこまで気にするほどのことじゃねえだろ。どうせ安モンの大したことないやつなんだし…」

「いいえっ!すごく大事な物なんです!!あれがなかったら、私っ…」

朱里の言葉を途中で遮って首を振ると、急に小夜は背後に広がる夕焼けの道を振り返る。

そして意を決したように、

「私、探してきます!」

「はぁ?今から?もうすぐ夜になるぞ」

「構いません!」

「だからってお前、どこで失くしたのかも分かんねぇってのに…」

「それでも探します!あのネックレスは、私にとって何よりも大切な物なんですっ!朱里さんはお先に宿に戻られていてください」

「あ、おいっ!」

朱里が止める間もなく、小夜はそのまま今来た道を駆け出していってしまった。

間を逃し置き去りにされた朱里だけが、ぽつんと夕日を背に受けて立ち尽くす姿は哀愁漂うものがある。


すっかり小夜の姿が見えなくなった道から顔を背けて、朱里は仕方なく予定どおり宿へと歩き出した。
もっとも、まさか一人になるとは予想外のことだったが。

「なんだよ、あんちくしょう…」

悪態をつきつつ、朱里は地面に転がった石を蹴る。

「なにが『何よりも大切』だ。へっ」

思いっきり蹴飛ばした石が、道のずっと遠くのほうで何かに当たってコロコロ転がる音が響いた。




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