また小夜が怒っているような、悲しんでいるような不思議な顔でじっと朱里を見つめていた。
「…暴力はどんどん繋がっていきます。やって、やり返して、またやって…その繰り返しです。人を殴っても自分が痛いだけです」
朱里の手を両手で包んで口元に持ってくると、まるで祈りを捧げるように小夜はそっと目を閉じた。
「…この手を傷つけないでください…」
祈りにも似たささやき。
朱里は小夜が何を恐れているのか、ようやく気付いた。
小夜はこの場所にいるのが怖いんじゃない。
朱里が町に出てアオの命を奪った男たちと対峙したとき、怒りに任せて暴力を振るうことを恐れているのだ。
いや正しくは、暴力に訴えることで朱里が傷つくことを恐れているに違いなかった。
――馬鹿みたいだ。
真剣に自分の願いが聞き届けられるよう祈っている小夜の姿を見て思う。
いまだにアザの浮かんだ顔、すり傷だらけの細い腕。
こんなにボロボロの状態なのに、まだ人の心配をしているのか。
お前を守ってやれなかった俺を、まだそんな体で守ろうとしているのか。
「ふ……」
口の隙間から笑いを含んだ息がこぼれた。
顔を上げた小夜の大きな瞳が朱里の姿を映す。
そこに映っていたのは、泣き笑いの表情を浮かべた自分の顔だった。
「朱里さん…?」
無垢な顔で自分を見上げてくる小夜。
なんて。
なんて馬鹿なんだろう。
いつも自分より人を優先して。
自分が傷つくのを知ってるくせに、それでも自分のことは二の次で。
自分がボロボロになっているのに、人が傷つかなかったことを心の底から笑って喜べるお前。
「…ほんと、馬鹿だよお前…」
息を吐き出すように呟いて、朱里は先ほど小夜がしていたようにその小さな手を両手で包んで口元に寄せた。
「…約束するよ。絶対この手は傷つけない」
誓うように目を閉じる。
自分の手の中にある小さな温もりを忘れずいよう、そう思った。
朱里が出ていった後、再び大広間は沈黙に包まれた。
小夜がぺたんと座り込んだままどこかあらぬほうを眺めているのに、クロウは首をかしげる。
「姉ちゃん、どうしたの?」
顔を覗き込んだときだった。
予想外の小夜の表情にクロウは目を丸くした。
「…姉ちゃん?」
「えっ、あっはい!なんでしょう!」
小夜の顔が力いっぱいクロウに向けられる。
耳まで真っ赤に染まった小夜は、何を動揺しているのかやたら瞬きを繰り返している。
「熱でもあるの?顔、真っ赤だけど」
「えっ?そ、そうですか?」
慌てて自分の頬を両手で押さえて冷まそうとするが、手が視界に入った途端さらに顔が上気してしまう。
唖然とするクロウに小夜はぶんぶんと首を振ってみせた。
「ちっ、違うんです…!なんだかよく分からないんですが、妙にど、ドキドキしてしまって…」
「兄ちゃんのせいで?」
「えぇっ!?そ、そうなんでしょうか?えと、どうなのでしょう…」
混乱した頭で考えても答えが出てくるわけもない。
ただ、朱里に手を握られて口元に当てられた瞬間、ひどく動揺した覚えはある。
間近に朱里の真剣な顔を見て、急にこの人は男の人なんだと思ったら。
思ったら…。
「姉ちゃん、ほんとに大丈夫なの?見る間にどんどん赤くなってくんだけど」
「だっ、大丈夫です!全然大丈夫ですよ!今日はちょっと暑いですからねっ」
「…そう、かなぁ」
怪訝そうに腕を組むクロウに笑みを返して、小夜は頬を軽く手の平で叩いた。
(落ち着け落ち着けです!私がしっかりしなきゃ、朱里さんと約束したんですからっ)
頬の怪我が痛むがかまわず叩く。
“――約束するよ”
いきなり朱里の顔が至近距離で思い出されて、小夜は一際強く頬を引っぱたいた。
ぱぁんと気持ちのいい音が室内に鳴り響く。
「ね、姉ちゃん?」
(朱里さん、ここはお任せください!私も約束を守りますから)
頬を真っ赤に腫らしながら、小夜は動揺を押し殺すように拳を握り締めて誓うのだった。