「このまま一気に残りの家も片付けちまうか。あいつらがまた他のボロ屋に身を移さないとも限らないからな」
「汚えものは早めに根絶しとくが吉だしな。じゃあさっそく明日からまた再開するか」
グラスに並々と注がれた黄金色の酒を一気にあおると、髭を生やした痩せぎすの男は手の甲で乱暴に口元を拭った。
その男も周りに腰を据えた男たちも、すっかり酒に酔ったのか頬を赤く染めている。
そこまで広くない酒場には、およそ十人ほどの男たちが肩を寄せ合うように詰めていた。
二つしかない丸い木の机には所狭しと酒樽やグラスが置かれ、その間を縫うように足を投げ出している男もいた。
それほど狭い空間であるため、入口の戸が少しでも動けば全員がそちらに視線を向ける。
朱里が夕日を背に戸をくぐったときも、一斉に男たちの視線が彼を好奇の目で捕えた。
「なんだぁ、お前」
男の一人が訝しげに朱里に声をかけると、場の中心に座っていた髭面の男が朱里を見て面白そうに笑みを浮かべた。
「へえ。今さら現れて何のつもりだ?」
「…それはこっちの台詞だ」
自分を睨めつけてくる男たちの群れに自ら近づきながら、朱里はじっと髭面の男を見据えた。
机を挟んで朱里と髭面が対峙する。
朱里からは髭面を見下ろす形、髭面からは朱里を見上げる形で二人はしばし無言のまま視線を交差させた。
「…残念だったよ」
先に沈黙を破ったのは髭面のほうだった。
男は薄い笑いを乾いた口元に貼りつけて、言葉の先を待つ朱里に続けた。
「お前もあそこにいりゃ、俺たちの手で制裁してやったものをさ。一体どこに隠れてたんだ?敵前逃亡するなんてお前にはがっかりだよ」
“制裁“という言葉から傷ついた小夜や子どもたちの姿が脳裏に浮かんで、朱里は思わず拳を握りしめた。
「…あんたたちがやったことは制裁でも何でもない。ただの弱い者いじめじゃねえか!あんな小さい子どもにまで手ぇ出して恥ずかしくないのかよ!」
声を荒げる朱里に男はあっさり言い放つ。
「恥ずかしい?馬鹿言え。むしろ誇らしいくらいさ。なぁ?」
朱里を囲うようにして立っていた男たちから笑いの波が起こった。
下品な笑い声に包まれて、朱里は一人口をわなつかせる。
「教えてくれよ…あいつらが何をした?俺たちが一体何したって言うんだ!!」
机に激しく両手を打ちつけ身を前に乗り出す朱里に対し、男はふんぞり返ったまま涼しげな表情で口を開いた。
「お前らは何もしてねぇよ」
「じゃあなんで…!」
「分からねえか?その存在自体が罪なんだよ。お前らが俺たちと同じ空気吸ってると思うだけで反吐が出る」
朱里を見る男の目があからさまな嫌悪感を露わにした。
今さらながら、自分を取り囲む男たちの目にも同じ色が浮かんでいるのに気付いて、朱里は無意識のうちに昔の記憶を蘇らせていた。
そうだ。
俺たち親なしは、昔から訳もなく忌み嫌われてきたじゃないか。
でも――
「…だからって、人の命を奪う権利がお前らにあるのかよ!!」
「命?何言ってんだお前」
肩をすくめて笑おうとする男を睨みつけて朱里は叫んだ。
「お前たちのせいで子どもが、アオが死んだ!まだあんなに小さかったのに、お前らが殺したんだ!」
瞬間、その場が凍りつくような静けさに襲われた。
男たちは朱里の言葉に戸惑いながら互いに顔を見合わせる。
そうだ。
この男たちのせいでアオは死んだ。
だけど男たちが奪ったのはアオの命だけじゃない。
アオの明日も未来も夢も、これからずっと続くはずだった時間もすべて奪い取ってしまったのだ。
アオにはもう何もない。
笑ったり泣いたりするための心も、大人になって朱里たちと一緒に世界を旅するという約束も、何もかも奪われてしまった。
男たちの輪の中から引きつった笑いが漏れたのは、それからすぐのことだった。
「…さっさとこの街から出てけばよかったんだよ。そうすりゃ死なずに済んだんだ」
小さくささやかれたその言葉を、朱里は聞き逃さなかった。
瞬時にその男に掴みかかり拳を振り上げる。
脳裏にいつかの小夜の声が蘇った。
――駄目です!今怒ってしまったら、何も伝わらなくなってしまいます。
知るか!
こんな奴らに伝えたいことなんてもう何もない!
恐怖に目を見開く男の顔を躊躇いなく殴りつけ、朱里は一喝した。
「お前らみんな最低だ!」
唖然としている男たちを鋭く一瞥すると、朱里はそのまま唇を噛み締めて酒場を後にした。
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