「…みん、な…」
今なお続く暴力の嵐の中で、小夜は砂埃とアザにまみれた腕を伸ばした。
だが指先はただ空を掻くだけで何も掴めない。
それでも小夜は震える腕を子どもたちに伸ばし続ける。
「…アオ、くん…」
少し先の地面には子どもたちの中でも一際小さな体が、置き去りにされるようにぽつんと転がっていた。
体全体が横向きになっているため、小夜の位置からはその背中しかうかがえない。
「…アオくん…っ」
鳩尾に男の拳がのめりこみ、思わず呻きを漏らしながらも小夜はアオの背中に腕を伸ばした。
これだけ呼んでいるのに、どうしてぴくりとも動いてくれないのだろう。
「アオく…」
伸ばした指の隙間からのぞくのは、驚くくらい細くて小さな背中だけだった。
来た道を引き返してようやく、朱里とチカは地下の大広間まで辿り着いていた。
相当の時間が経ったはずだから誰か戻ってきているかとも思ったのだが、どこにも子どもたちの姿はない。
おそらく時間も忘れて外で遊び回っているに違いない。
保護者の役を務めるのがあの小夜だ。
子どもたちを諌めるどころか、一緒になってはしゃいでいるのだろう。
そういえば先ほど地上のほうからずいぶん大きな音がした気もするし。
「やれやれ…」
呟いて朱里は手持ち無沙汰に手の中の髪留めをもてあそんだ。
他の部屋を見てきたらしいチカも同じように「まったく…」と呟いて広間に入ってくる。
「もうそろそろ夕飯の支度始めなきゃならないのに、みんなどこに行っちゃったんだろ」
呆れたような怒ったような顔で両手を腰に当てて、チカはぐるりと広間を見渡した。
子どもたちがそろっているときはあまり感じなかったが、こうして二人だけで広間に立ち尽くしているとずいぶん広く感じるものだ。
地下中がしんと静まり返っていて、どことなく寒々しい。
「探しに行くか?」
朱里が問いかけると、チカもそのつもりだったのだろう。すぐに頷きを返して部屋の隅にかけてあったハンチング帽を頭に押しつけ朱里を見上げてきた。
帽子の鍔の下から大きな瞳がのぞく。
無邪気そうな雰囲気とは打って変わって、その目は「みんなを叱りつけてやらなきゃ」と訴えかけているようだった。
朱里を先頭に二人は地上へと続く階段を昇っていく。
頂きに蓋をするようにはめられた木製の板をそっと押し上げると、思いがけず風が吹き込んできた。
「あいつら家の扉開けっ放しにしてるみたいだ」
後ろのチカを振り返り告げると、チカは眉を寄せてしかめっ面を朱里に向けてきた。
「あれだけ気をつけるよう言ってるのに」
「こりゃあいつら今晩は晩飯抜きかな」
ふざけて笑う朱里に、チカが真面目に「そうだね。考えとくよ」と返答する。
不機嫌そうなチカに急かされるように地上に顔だけ出した朱里は、それまで浮かべていた笑いを口元に貼りつかせたまま固まった。
「ちょっと?早く上がってくれないと」
下からチカの声がするが、朱里は微動だにしない。
ようやくその口が言葉の存在を思い出したかのように、小さく声を発した。
「…嘘だろ…」
朱里の銀色の髪の毛が風にそよと揺れた。
今朱里の目の前に広がっているのは、無だ。
視界を遮るものは何もない。
つい今朝方まで確かにあったはずの壁も窓も、雨をしのぐための天井も何一つ見つけられなかった。
元はそれらの一部だっただろう木材などが散乱しているばかりだ。
呆然と空を見上げると、日の陰り始めた真っ赤な空が、崩れた廃屋の中心に頭だけぽつんと出した朱里を嘲るように見下ろしていた。