朱里とクロウはすかさずそちらに目をやる。
町の奴らが追って来たのか?
すっかり周囲は暗闇に包まれているため、足音の主の姿は全く見ることができない。
「…兄ちゃんっ」
クロウが怖がって、朱里の体にしっかと身を寄せてきた。
そんなクロウを自分の後ろに下がらせながら、朱里は唾を飲み込む。
誰だ?
足音は確実にこちらに向かって近づいてきていた。
早く姿を見せろ。
じっと目を凝らす朱里の前方で、突然足音の主が声を上げた。
「わわっ」
そのすぐ後に、バタッという音が続き、「あてて…」と呟く声が漏れる。
声の主の正体は、すぐに思い当たった。
しかし。
朱里は無言で眉を歪める。
…こんなに早く…。
暗がりの中、こちらに近寄ってくる人物の姿が、徐々に目視できるようになった。
ブーツを履いた足元。
ふわりと揺れるスカートの裾。
見慣れたデザインのカーディガン。
そして、いつも自分の側にある顔。
「はぁ、はぁ…やっと見つけました」
息も絶え絶えにそう呟くと、小夜はこぼれんばかりの笑みを顔じゅうに浮かべて、嬉しそうに朱里を見上げた。
「おかえりなさいっ、朱里さん」
躊躇いながら何と返事しようか困惑する朱里に、小夜は突然腕を伸ばす。
花の香がしたと思ったら、朱里の胸には頭一つ分小さな小夜の体が寄せられていた。
「おかえりなさいっ…」
もう一度繰り返して、子どものようにぎゅうっと朱里の胸に顔を埋める小夜。
朱里は思わず「ただいま」と答えていた。
小夜の顔を見たとたん、やはり決心は揺らいでしまっていた。
早く離れないと、昨日のように小夜が無意味に傷つくことになる。
もう二度と、こいつが血を流す姿なんて見たくない。
なのに。
「…ごめんなさい、待っているように言われましたのに。どうしても心配で、じっとしていられなくて…つい迎えに来てしまいました」
胸の中で朱里を見上げると、小夜ははにかむように笑みをこぼした。
ああ、本当にこいつは。
朱里は小さく息を吐く。
どうしてこう、決心を鈍らせるような顔でこっちを見てくるんだろう。
離れたくない。
本心が自分にそう告げる。
こいつの側にいたい、と。
朱里は頭を垂れて長いため息をついた。
揺らぐ理性と本能に決着をつける時間を与えるために。
そして改めて小夜に顔を向ける。
「…離れて悪かった。でも、もうこんなことしねぇから」
「朱里さん?」
――側にいよう。
これが俺のわがままなのは分かってる。
それでも、俺はこいつの隣を歩いていたい。
朱里が小さく笑いかけると、小夜も同じように柔らかな微笑みを返してくれた。
まるで、朱里の罪も何もかも全てを受け入れてくれるような笑顔だ。
「帰るか」
「はいっ」
小夜が返事をするのと同時に、朱里の後ろに隠れていたクロウもそっと顔をのぞかせた。
小夜の顔を認めると、ホッと頬を緩めて前に出てくる。
小夜はしゃがみ込んで、そんなクロウの頭をそっと撫でてやっていた。
黙って二人を見つめる朱里の背には、預けられたキースの小さな温もりも伝わってくる。
大丈夫だ。
小夜も子どもたちも、絶対傷つけさせたりしない。
俺のせいで傷つくことがないよう、俺が全力で守るから――。
この気持ちを言葉に出すことはない。
だが、朱里は二度と揺らがない強い意志を、そのとき確かに心に刻みつけたのだった。
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