頬に残った残酷な仕打ちの数々を、朱里は歯を噛み締めながら見つめた。
きっとクロウは今、恐怖で心が固まってしまっているに違いなかった。
大人たちからの理由のない暴力。
どれだけ心も傷ついたか。
朱里には、そんなクロウを慰めるための言葉が見つからない。
こんなとき、どうすればいい?
昔俺がこういう状態だったとき、俺はどうしてほしかった?
ふと頭に浮かんだのは、小夜がアオを抱きしめている姿だった。
小夜は何も言わずに、そっと傷ついたアオを抱きしめていた。
「………」
朱里は恐る恐るクロウに腕を伸ばすと、そのままその小さな体を自分の胸に抱いた。
クロウの体は不安になるくらい細くてもろい。
「大丈夫だからな」
思わず口をついて出た言葉。
朱里はそう言わずにはいられなかった。
不安なのは自分も同じだ。
これから俺はどうすればいいのか。
はっきりと答えは出たはずなのに、どうしようもない不安に襲われる。
「大丈夫…」
言い聞かせるように何度も繰り返していると、ふいにクロウの口から押し殺した吐息に似た声が漏れた。
小さな手が朱里の背に回され、顔が肩に押し付けられる。
「ふっ…うぅっ…」
涙を耐えるように呻いていたクロウは、朱里がそっと背中を叩いてやると、せきを切ったように大声で泣き始めた。
「うぅっうわあああああ!」
我慢していたものが一気に溢れ出るように、クロウは朱里の服を掴んだまま泣き続けた。
ぼろぼろとこぼれる大粒の涙が、朱里の肩口を濡らしていく。
朱里はそんなクロウの頭をぽんぽん優しく叩いてやりながら、小さく息を吐き出した。
これでクロウは大丈夫だ。
涙がきっと、恐怖や痛みを和らげてくれるはず。
気が済むまで泣かせてやろう、とクロウの細い体を支えつつ空を見上げると、いつの間にか一番星が姿を現していた。
思ったよりずっと時間が経っていたことに、朱里は初めて気づく。
――家に戻らねえと…。
星が瞬く空の下、朱里たち3人は子どもたちが待つ家へと帰っていた。
打撲のひどいキースを後ろに背負い、側にはしゃっくりを上げながら自分のコートの裾を掴んで歩くクロウがいる。
徐々に家に近づく中、朱里は焦る気持ちでいっぱいになっていた。
結論は出た。
あいつを傷つけないためには、俺があいつから離れればいい。
俺の罪が及ばないよう、ずっと遠くに。
だけど、と心のどこかで反論する自分がいる。
どうすればいいのか、実際朱里は迷っていた。
最善策は出たはずなのに、何を迷うことがあるのか。
そうは思うものの、やはり心の中に煮え切らない部分が残っている。
…だが、焦ることはない。
小夜が待つ家に着くまでに、結論を出せばいい。
そう考えて朱里は改めて周囲を見渡した。
まだ、家までは多少の距離がある。
結論を出す猶予は十分あるのだ、大丈夫。
息をついて隣を歩くクロウを見下ろすと、涙はすっかり止まっているものの、しゃっくりが先ほどからずっと続いているようだった。
「腹減ったな、クロウ。今日の晩飯なんだと思う?」
あえてクロウが興味を示しそうな話題を考えて口にする。
するとクロウは朱里の顔を見上げながら、
「ひっく…シチューだったら嬉しい、ひっく」
予想どおりちゃんと答えを返してきた。
それに朱里は笑ってみせる。
「お前シチューが好きなのか。てっきり肉って言うと思ったんだけどな」
「ううん、シチューが一番、っく。母さんが昔いっつも作ってくれてたから、シチュー食べると母さんのこと、思い出せるもん、ひっく」
母さんか…。
朱里が心中で呟いたときだった。
前方から誰かが駆けてくる足音が響いた。
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