「蒼?」

首をかしげてみせる小夜にうなずいて、アオは腕を伸ばして空を指差した。

「あの空の色と同じ名前を、僕のお父さんがつけてくれたんだって。昔町にいた親戚の人から聞いたの。でもまだ僕には書けないから、アオって言ってるんだ」

そう言って空に微笑むアオにつられて、朱里と小夜も空を見上げていた。

晴れ渡った水色の大空には、そこだけ時の流れが遅いかのように淡雲がたゆたっている。


「へえ、なかなかお前の父さんも洒落たこと考えるな」

「素敵な名前です。アオくん…いえ、蒼くんにぴったりですね」

「えへへっ。僕もすごくこの名前気に入ってるんだ」

はにかんで言うアオは、体じゅうのアザも傷も関係なく、何の苦労もない普通の子どものように、幸せそうに笑っていた。

そして、それはアオだけじゃない。


「あっ、クロウ!穴掘っちゃだめって何度も言ってるでしょ!」

「いいじゃん!誰か落ちたらすげぇ楽しいし」

「危ないだけでしょうが!」

「そんなこと言って、人が落ちたの見たら絶対チカも笑うくせにー」


元気に騒ぐ子どもたちの無邪気な声。

ここにいる子どもたちは皆、普通の子どもにはない苦労や痛みを背負って生活している。

それなのに、誰一人として弱音を吐くこともなく笑っているのだ。


生きていることが楽しい。

子どもたちの笑顔はみな、そう言っている。

父親も母親もいない独りぼっちの状態で、淋しくて仕方ないだろうに、懸命に今を生きようとする子どもたちの姿は、朱里には眩しいほどだった。

太陽の下を駆け回る子どもたちは、昔の自分とはかけ離れていることに、朱里はようやく気付いた。


絶望の深い暗闇の中で、何もかも終わったかのように生きていた自分。

いや、あれは生きていたとは言わない。
ただ、呼吸を繰り返していただけだ。

自分の未来など到底見えなかったし、明日すらも自分にはあるのか分からなかった。

そう。
昔の自分は、孤児となった瞬間に時が止まってしまったから。

明日もあさっても10年後も、一人ぼっちの世界が続くのなら、どうして今自分は生きていなきゃいけないんだろう。

何度もそう思った。

生きる意味も喜びも、何の感情も湧かなかった。

ただ、息をしていただけ…。


「…でも、お前らは違うんだな」

ぽつりと呟いた朱里を、アオと小夜が不思議そうに見てきた。

「何がですか、朱里さん?」

「あっいや、独り言。気にすんな」

どうやら声に出ていたようだ、と慌てて朱里は首を振った。

訊かれても上手く説明できないだろうし、この思いは自分の中だけに留めておきたい。

自分と同じ子どもは、今はこの町にはいないのだと。


朱里の顔をじっと見上げていたアオが、ふと首をかしげた。

「どうしてお兄ちゃん、そんなに嬉しそうなの?」

「えっ?」

「あっほんとです。朱里さん笑われてます。何か楽しいことがあったんですか?」

笑ってる?

まさか、とそっと触った口許は確かに緩く持ち上げられていた。

無意識のうちに自分が笑っていたのに、朱里は初めて気づいた。

「あれ、なんで俺…」

自分自身、笑顔の理由ははっきりとは分からない。

ただ、ここにいる子どもたちが昔の自分とは違うと思ったら、いつの間にか…。

「変だな。自分でもよく分かんねぇ」

じっとこちらを見つめる二人の視線がやけにこそばゆくて、朱里は妙に気恥ずかしくなった。

そんな自分を誤魔化すように、勢いよく立ち上がって大きく伸びをする。

体じゅうの筋肉が伸ばした先からほぐれていくようだ。


ちょうどそこにタイミングよくチカの召集の声がかかった。

「さて行くか。晩飯食わせてもらわねぇといけねえし、びしばし働かねえとな」

後ろの二人を振り返り朱里が言う。

そのふざけ混じりの言葉に、小夜とアオも途端に笑顔をこぼすのだった。

「はいっ、いっぱい頑張りましょうね」



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