昨日と同じ夕暮れの空が、今はひどく不安を煽る。
このまま夜になってしまったら、自分たちはどうすればいいのだろう。
朱色に染まった白いベンチに腰かけて、朱里は漆黒が見え隠れする遠くの山間を眺めていた。
確実に夜は迫っている。
隣には同じように小夜が座っていた。
ハンカチを額に当てた横顔を射す斜陽に、朱里はさらに不安を募らせる。
外で夜を迎えるには、今の状態はあまりに厳しい。
二人は今、町の入口付近にある公園に来ていた。
宿を追い出され行く当てもなく、小夜を背負って歩いていた朱里の目に飛び込んできたのが、この公園だったのだ。
昨日から小夜が来たがってはいたが、よりにもよってこんな形で訪れることになろうとは思いもしなかった。
皮肉なもんだ、と朱里は苦笑して前方に設置された大きな噴水を見た。
赤い夕日を受けて噴水から噴き出す水しぶきが、キラキラと宙にルビーをちりばめたかのように輝いている。
その噴水を中心として周りにはいくつもの長いベンチが置かれてあるが、今は朱里たち以外誰の姿も見えなかった。
「……痛むか?」
水の音しかしない茜色の景色の中で、ぽつりと朱里が呟く声が聞こえた。
ハンカチを当てたまま小夜が口を開こうとする前に、朱里が言葉を続ける。
「……ごめん」
地面を見つめたまま静かに発された一言は、小夜の耳朶を打った。
「どうして朱里さんが謝られるんですか…?」
「…俺のせいなんだ。お前が怪我したのも、宿を追い出されたのも全部俺の…」
朱里の膝に置かれた両拳が力を込めて強く握られる。
「ここに来るべきじゃなかった…。二度と来ちゃいけなかったんだ、こんなとこ…」
後悔の念に駆られたような朱里の口調に、小夜はそっと声をかけた。
「でも、故郷なんでしょう?」
「故郷……そうだな。そう思ってた頃もあった。ここが俺の居場所なんだって、両親がいた頃は当たり前のように思ってた…」
わずかに口許に笑みのようなものが浮かんだが、それもすぐに消えてしまう。
「…でも今は違う。こんなとこ、本当は一秒だっていたくないんだ…。辛いことばっか思い出しちまう…」
白くなるほど強く握られた拳をわずかに震えさせて、朱里の目が固く閉じられた。
嫌でも思い浮かぶのは、昔の自分の姿ばかり。
いい思い出なんて何一つない。
もしあったのだとしても、嫌な記憶に侵食されてすべて消え失せたのだろう。
今の朱里を包むのは、ひたすらに絶望的な記憶だけだった。
そう、二度と思い出したくない暗い過去…。
「――ねぇ、ケガしてるの?」
そのとき突然沈黙を破る声が聞こえた。
子ども独特の甲高い声音に、朱里が我に返りまぶたを開く。
声の主を探すと、小夜の向こう側、つまりベンチのすぐ横の地面にしゃがみ込んでいる6歳くらいの幼い少年の姿が視界に入った。
朱里はその少年の格好を見て目を見開く。
秋も終わりだというのに、少年は薄いシャツ一枚に足の出る短いズボンという、なんとも寒々しい格好をしていた。
しかもそのシャツもズボンも、土やほこりで薄汚れボロボロだ。
さっきまで土いじりをしていて汚れてしまった、というわけでは決してない。
また、無造作に肩まで伸びた黒い髪の毛はつやがなく"ボサボサ"と形容するのがぴったりなほどの酷さだった。
そして何よりも目をひくのが、小さな顔の半分を覆うように右目の上に巻かれた包帯の存在で、それも元の白さが想像できないくらい汚れてしまっていた。
少年は心配そうに小夜の額に当てられたハンカチを見上げながら、もう一度尋ねてきた。
「ケガ…痛くない?」
それに小夜が微笑んで答える。
「平気ですよ、これくらい。怪我には慣れてますから。ほら」
言ってスカートの裾をめくり上げ、膝のすり傷を少年に見せた。
朱里が貼った絆創膏の他にも細かいすり傷がけっこうある。
少年はそれを見て驚いていたが、すぐに笑顔をこぼして、
「僕もね、たくさんあるんだよ」
嬉しそうに立ち上がりベンチの前に出てくると、指で体のあちこちを差してみせた。
「これとか、こことか。あっ、これも」
シャツの袖をまくった細い腕には痛々しいほど青く変色したアザが見られた。
ズボンから出た細い足には、アザだけでなく切り傷のようなものまである。
少年の全身を見て、朱里は改めてその格好の惨さに気付いた。