小夜はこちらの思いも知らず、手振り身振りを加えて女性に必死に話をしているようだ。

どうせあいつのことだから、また分かりにくい説明してんだろう。

やれやれ補助してやるか、と朱里が小夜のほうへ一歩踏み出したときだった。

「触らないどくれ!!」

ヒステリックな声が響いて、今まで小夜の話を怪訝そうに聞いていた太めの女性が、突然小夜の肩を突き飛ばした。

とっさのことに受身もとれず、小夜はレンガ作りの地面に背中から叩きつけられる。

「……っ」

「小夜っ!!」

朱里は倒れた小夜の元へ駆け寄った。

固いレンガの地面に膝をつき背を支えて抱き起こすと、その顔をのぞき込む。

「大丈夫か?」

頬にこぼれる髪の間から見える表情は、わずかに痛みを伴い歪められていた。
だがそれもすぐ笑顔に塗り替えられてしまう。

「大丈夫です、ちょっとこけてしまっただけですから」

「こけたって、今のどう見ても…」

明らかに、小夜は痛みを我慢して無理に笑っている。

人に突き飛ばされてこんな目に遭ったというのに、自分のせいにしているのだ。

朱里は無償にいら立って、背後に立っているだろう小夜を倒した張本人の女性に鋭い目を向けた。

「おい、あんた…」

言いかけて言葉につまる。
朱里は思わぬものを見たように顔を硬直させた。

その視線の先にはもちろん女性の姿があるが、問題はそこではない。

朱里の目を見開かせたのは、その女性がさも汚らしい不快そうな目でこちらを見下ろしていたからだ。

倒れた小夜に謝りの言葉をかけることもなく、むしろ当然のことのように腕を組んでいる。


自分と小夜に向けられた冷たい目に、朱里は昨日の出来事を思い出した。

自分に絡んできた二人の男とまったく同じ表情をこの女性は浮かべていた。

「…いきなり何すんだよ。こいつがあんたに何かしたのかよ」

喉元まで上がった動揺をなんとか飲み込んで朱里が声を出すと、女性は眉間にこれ以上ないというほどしわを寄せて、

「やっぱり戻ってきたって噂は本当だったんだね。よくもまぁそんな堂々としてられるもんだよ」

ふんと鼻を鳴らしてこちらを睨みつけてきた。

噂、の一言に朱里が周囲に顔を向けると、先ほどまでにぎやかだった大通りが自分たちの辺りだけしんと静まり返っていた。

朱里たちの周りにいる人間はみな一様に、じっとこちらを見つめている。

ここにいる全員が噂を聞いて自分の存在を知っているのだ。

あの薄汚れた小さなガキがまた戻ってきたのだと。

(…一体誰がそんな噂…)

朱里が自分たちを囲む視線を避けるように、地面に目をやったときだった。


「てめぇ、まだいやがったのか」


聞き覚えのある声がして上を見上げると、先ほどの女性の側に一人の痩せた男の姿が見えた。

口の端を持ち上げるようにして笑う男の顔は、まさしく昨日朱里にからんできた男のものだ。

(…またかよ)

じわりと浮かんでくる不安は、抑えようとしても少しずつ胸からこぼれてきてしまう。

そんなとき、地面についた朱里の手の甲に暖かいものが触れた。

見ると白くて小さな手が自分の手の上に重ねられていた。

そのすぐ横にはこちらに微笑みかける小夜の顔。

「朱里さん」

小夜が発したのはただ一言だけだったが、朱里はそれに小さくうなずいて立ち上がった。
続くように小夜も立ち上がる。

どうやら倒れたときに打った痛みは消えたようだ。

改めて周囲を見回してみると、自分たち二人を中心として円を描くように数十人の人だかりができていた。

どの顔も嫌悪感を露わにしてこちらに視線を注いでいる。

それをひととおり確認した朱里の口が笑みの形を作った。

「ここまでくると、恐怖とおり越して呆れるな。たかが俺一人にいい大人が何必死になってちょっかい出してんだよ」


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