驚いて振り返ると、きょとんとした顔でこちらを見上げる小夜がいた。

「朱里さん?どうなさったんですか?」

「…小夜…」

小夜はわずかに首をかしげている。
そのいつもと変わらぬ無邪気な姿に、朱里は急に安堵感を覚えた。
そうだよ、今は昔とは違う、という安心感が胸を満たしていく。

しかしほっと息をついたのも束の間、すぐ後ろまで迫っていた髭面の男が、今度は小夜の顔をのぞきこんでいた。

「へえ、お前の仲間か?」

ジロジロと無遠慮に小夜を眺める男の横顔に、朱里は眉を寄せる。

事情を何も知らない小夜は、男の視線を素直に受け止め笑顔さえ見せた。

「朱里さんのお知り合いの方ですか?はじめましてっ」

言って深々と頭を下げる。

「なかなかべっぴんじゃねぇか。こんな奴の仲間にしてはよ」

無精髭の生えたあごを撫でつつちらりと朱里のほうに向けられた男の目は、嘲笑の色を浮かべて歪んでいた。
朱里は思わず目をそらす。
小夜がどんな顔でこちらを見ているのか想像すると、地面に注いだ視線を戻せない。


そこにもう一人の体が大きい男が、鼻で笑いながら声をかけた。

「おいおいやめとけよ。この汚えガキの連れだぜ?どうせろくでもねぇに決まってる」

「おっと、そうだな」

うつむいた頭の向こうで男たちの嫌な笑い声が響いた。声音さえ昔と何ら変わってなくて、朱里は体の横に垂らした拳を強く握りしめる。

これ以上はもう、無理だ。


やけに重い体を動かして、なるべく小夜の顔を見ないようその手をとった。

「朱里さん?」

呼びかけられたが、何も答えず小夜の手を引いて道を歩き出す。
男たちも特に声はかけてこないようだった。それに小さく息をついて、朱里は歩を進める。

いつもよりずっと早足で歩いているせいか、後ろにいる小夜が息を上げつつ駆け足でついてくる音が聞こえた。それでも朱里は小夜の手を掴んだまま、歩く速さを決して緩めない。

早く、何よりも早く男たちから遠ざかりたかった。
きっと今もまだ自分の姿を遠くから見て、嘲り笑っていることだろう。

すごく悔しいはずなのに、後ろを振り返って文句すら言えない自分がいる。
ただ、昔のように逃げるだけの自分。


先ほどから、どうしようもない己に対する怒りとともに、こんな情けない姿を小夜に見られてしまったという、絶望にも似た羞恥心が朱里を包んでいた。

後ろを振り向けないのは、男たちのせいばかりではないのだ。
さんざん馬鹿にされたあげく、こうして何もできずに逃げ帰っている自分に対する、小夜の冷めた目を見るのが怖かった。

引いている小さな手の温もりから、どうか自分への軽蔑の念が流れこんでこないことを祈りつつ、朱里は休息を求め宿へ急いだ。


****



小夜は一言も何も言わない。
部屋をとる間も、その部屋へ向かう間も、ずっと黙って朱里の後をついてくるだけだ。

その沈黙が怖くて、朱里はますます後ろを振り向けなかった。



三階の指定された部屋に入る。
小夜の部屋は別にとってあるのだが、なぜか彼女も朱里について入ってきた。

自分の背中を見つめる小夜の視線を嫌でも感じてしまう。

「…なんだよ」

思わずそっけない言葉を吐いていた。
言った後で、居心地の悪さから逃げるように奥の窓際まで移動すると、ガラス越しに茜色に染まったカレストイの町並みが広がっていた。遠くには紅い山々とそれ以上に紅い空が見える。

普通の人間には綺麗に見えるんだろうな。

わずかに苦笑を浮かべて窓の向こうの世界を眺めていると、ガラスに反射して扉の側にいる小夜の姿がそこに薄く映っているのに気付いた。
こっちを見ているのは分かるのだが、どんな顔をしているのかまではさすがに分からない。

しばらく黙って朱里が様子を見ていると、小夜の姿がわずかに動いた。ガラスに映る像はどんどんこちらに近づいてくる。

少し伏せぎみの顔がガラス越しにはっきりと見える頃には、小夜は朱里のすぐ後ろまで来ていた。人一人分ほど離れたところに立っている。


…何て言うつもりなんだろう。やっぱりさっきのこと、聞かれるんだよな。
こいつからしたら意味分かんねえもんな…。

朱里は窓辺に置いた両拳に視線を落とした。

…何もかも話さないといけないんだ、小夜に…。

自然と手に力が入るのが分かる。ぐっと握りしめた手のひらは汗ばんでいた。


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