見慣れたロウソクの灯る通路まで戻ってくると、気を失ったままのチカを連れてナギとフウ、そしてアンナはチカの私室へ去っていった。
残された小夜、朱里、クロウとキースの4人は大広間へ向かう。
大広間は出ていったときと同じ状態で、小夜たちを迎えてくれた。
小夜は思わずほっと息をつく。
クロウが不機嫌そうに眉を歪めて言った。
「あいつさ、いつまでここにいるつもりだろ。さっさと出てけばいいのに」
それがアンナを指しているのだと気付いて、小夜はクロウを振り返る。
「アンナさんはチカくんのお母さんですから、今は側についていてあげたいんですよ」
「でもさ、今までずっと俺たちにひどいことしてきたんだぜ?今さらそんなのってずるいよ」
唇を突き出してふて腐れるクロウに、小夜は微笑んでみせる。
「きっとアンナさんは変わられたんです」
「変わった?」
「はい。もうアンナさんは大丈夫です。だから、クロウくんたちも大丈夫ですよ」
小夜の言葉に首をかしげるクロウに笑ってみせて、小夜はさっきから立ち尽くしたままの朱里を振り返った。
「朱里さん、お怪我の手当てを…」
だが、その続きは遮られた。
突然朱里に抱き締められたからだ。
「しゅ、朱里さ…」
朱里の胸からなんとか顔を上げる。
朱里の顔は小夜の肩口に押し付けられていて、その表情は見えなかった。
「朱里さん…子どもたちが、見て…」
すぐ側では目を丸くしたクロウとキースが自分たちを見上げている。
小夜は頬が上気するのを感じた。
だが朱里は小夜を解放するわけでもなく、一層腕に力を込めて小夜を抱き寄せると、
「…ごめん。今だけ…」
耳元でそれだけささやいて、押し黙ってしまった。
ますます小夜の顔が火照る。
気を遣ったのか、キースが「おい、クロウ」と小声でクロウの腕を引いて部屋を出ていった後には、静寂が二人を包み込んでいた。
小夜はゆるゆると躊躇いながら朱里の背中に手を添える。
かすかにその背中が震えているのに気付いたとき、朱里が声を発した。
「…俺さ…」
掠れた声がすぐ側で小夜の鼓膜を揺する。
「俺…お前のことが、本当に大事なんだって分かった…」
心臓が大きく跳ねる。
目頭が熱くなるのが自分でも分かった。
朱里の背中の震えは止まらない。
小夜の腰に回されている手も、小さく震えを刻んでいた。
「…もう、会えないかと思った。二度とお前の顔が見れなくなるんじゃないかって…そう思ったら、すごく怖くなって…」
小夜はそっと朱里の背中を撫でる。
朱里の胸元からは煤と汗の混じった匂いがしていた。
「…小夜、俺ずっとお前と一緒にいたい」
思いのたけをぶつけるように強く抱き締めてくる朱里。
背中に回された朱里の腕の力が強くて、息苦しい。
胸の奥から熱いものが込み上げてきて、小夜は必死に朱里にしがみついた。
「はい…」
それだけ答えるのがやっとだった。
潤んで歪んだ視界いっぱいに朱里の顔が映る。
頬も鼻の頭も煤で汚れ、綺麗な銀の髪もすっかり汗と脂で乱れてしまった朱里の顔。
それでも小夜にとっては、何よりも愛しい人の顔だった。
そっと小夜の頬に触れようとして、自分の手が汚れているのに気付いた朱里が、躊躇うように手を戻す。
小夜は小さく微笑むと、代わりに自分の両手で朱里の両頬に触れた。
「よ、汚れるぞ…」
「平気です」
つま先を立てて背伸びをし、朱里に顔を近づける。
鼻先を軽く触れ合わせると、驚いて目を丸くした朱里が小夜の顔を見て笑いをこぼした。
「鼻の頭、煤ついてる」
「朱里さんとお揃いだからいいんですっ」
それを聞いて「なんだそれ」と破顔する朱里に、小夜は涙が溢れそうなほどの幸せを感じて微笑んだ。
──ずっとお前と一緒にいたい。
そう告げた朱里の声が、いつまでも頭の中に鳴り響いているようだった。