「…これを除ければ、なんとかっ」
全力で巨大な瓦礫の破片を動かそうと歯を食いしばる。
あと少しだ。
これさえなんとかすれば、後は小さな破片を取り除くだけですむ。
朱里は残された力をすべて使い切るように、腕に力を込めた。
少しずつ、ゆっくりと破片の塊が動き始める。
「…っいっけえ!」
破片が大きく傾いた、と思った瞬間、上から嫌な音が響いた。
とっさに飛び退く朱里の目前に、新たな瓦礫が崩れ落ちてきたのはその直後だった。
しばらく動くこともできなかった。
朱里の前には、再び大きな瓦礫の山が生まれていた。
つい今しがたまで、朱里が作業をしていた場所だ。
「…なん、だよ」
見上げれば、二階部分の床が崩れて、ぽっかりと穴が開いているのが見えた。
「…なん、なんだよ…」
あと少しで地下へ続く道が見えてくるはずだった。
あと少しでこの場所から逃げ出せるはずだった。
あと少しで。
あと少しで。
「…っなんっなんだよ!ふざけんじゃねえよ!ちくしょぉおお!!」
朱里が発する絶叫を受けて、上からぱらりと小さな塵が落ちてきた。
瓦礫の山の前で座り込んで、朱里は自分の手の平を見つめていた。
もうほとんど力も残っていない、血と煤にまみれた手の平を。
背中で眠るチカは相変わらず目を覚ます気配もない。
できればこのまま深く眠っていてほしかった。
意識を失っていれば、最期のときに苦しまなくてすむ。
「あーあ、色々と足掻いた結果がこれかよ」
小さく笑って、朱里は眼前に聳え立つ瓦礫の城を見上げた。
手をこんなボロ布のようにまでして、結局は何の意味も為さなかったというわけだ。
虚しすぎて笑えてくる。
「こんなことなら初めから、大人しく待ってりゃ良かったよ」
自分に死が訪れるのを――。
はっと笑いをこぼして、朱里は薄汚れた自分の手の平を無造作にシャツの胸で拭った。
すると、固い感触が手に当たった。
「なんだ…?」
シャツの懐を探る。
手の中に収まっていたのは、一つの小さな髪留めだった。
朱里の瞳がわずかに揺らぐ。
「これ…」
それは、朱里が遺跡から唯一持ち帰ってきた戦利品。
「本当に宝物を持って帰らなくていいの?」と心配げに尋ねてくるチカに、「じゃあ、これだけもらっとくわ」と笑って懐に収めた髪留めだった。
「…そういえば、あいつにまだ渡してなかったな…」
あの後あまりにいろいろなことが起こりすぎて、すっかり忘れていた。
「…もう渡す機会もないし、持ってても仕方ないか」
髪留めを軽くもてあそび、握り締める。
そのまま炎の中に投げ入れようと、腕を振り上げ――。
噛み締めた歯が小さく震えていた。
おかしいな。腕が動かない。
そう思って腕を見ると、腕も震えていた。
「…っなん、でだよ…」
口から嗚咽にも似た声が漏れた。
「…んで、こんなことになるんだよ…っ」
まさかこんなことになるなんて。
こんな簡単に会えなくなるなんて…。
ほんの少し前まで、思ってもみなかった。
こんな髪飾りの一つや二つ、いつだって渡せるさ。
あいつは俺の隣にいるし、機会はそれこそ山ほどあるんだから。
ずっと側にいられる保障なんてどこにもなかったのに…。
もっと早く渡していればとか、もっと優しくしてやればとか、後悔ばかりが頭に浮かぶ。
こんなに突然あいつから離れることになるのなら、もっと正直に自分の気持ちを伝えておけばよかった。
もっとしてやれることはたくさんあったはずだ。
だけど後悔してももう遅い。
「…っ嫌だ…」
死ぬのは怖くない、なんて嘘だった。
朱里は震える腕で小さな髪留めを胸に掻き抱く。
「…いやだ…嫌だっ…」
俺は死ぬのが怖い。
このままあいつに会えなくなるのが怖い。
何もせずただ死を待つだけなんて、そんなことできない。
情けなくてもいい。みっともなくてもいい。
足掻いて足掻いて、どんなみすぼらしい格好でもいいから、もう一度あいつに会いたい。
「…小夜っ――」
手の中で握り締めた髪留めが、炎を反射して極彩色に輝いた。
朱里は目元を拭って、もう一度自分の足で地を踏みしめる。
見上げれば圧倒されるばかりの瓦礫の山。それでも朱里の顔にもう恐れはなかった。
もう一度初めからやり直そう。
いつかは必ず終わりが見えてくるはずだから。
「絶対、生きて帰ってやる」
血と汚れにまみれた腕を、朱里は躊躇いなく瓦礫の山に伸ばしていった。
108/117