「リンゴ買ってきたぞ。俺が切ってやるから食うだろ?」
「あ、はい…。ありがとうございます」
幾分だるそうに小夜が答える。
どうやら熱が上がっているようだ。小夜は額にうっすらと汗を浮かべている。
それでもリンゴをパクパク食べているので、朱里はほっと息をついた。
「このリンゴ、美味しいです…。朱里さんが切ってくださったからでしょうか」
嬉しそうに食べる小夜に、朱里は小さく苦笑して、
「ばーか、んなわけねえだろ。だいたい俺が切ったから形がすげえ歪つじゃねえか。ま、次はもっと上手く切れるよう練習しとくよ」
「あ、それならウサギさんがいいです」
朱里は軽く小夜の頭を小突いた。
「そんなことより早く風邪治せよな。とりあえず食ったら寝る、これが病人の基本だぞ。そら、横になったなった」
小夜をベッドに寝させながら、ふと朱里の頭を先ほどの出来事がよぎった。
このことは小夜に言うべきなのだろうか。
しかし言ってどうなる?
紫音そっくりの人間に外で会ったぞ。
小夜はどんな顔をするだろう。
いや、俺の勘違いだ、そうに決まってる。死んだ人間が生き返るだなんてありえない。
だが、もし死んでなかったのだとしたら――?
「朱里さん…?」
呼ばれて朱里は我に返った。
見ると心配そうな顔でこちらを見つめる小夜がいた。
「どうかなさったんですか…?何か悩み事でも…」
「いや、そうじゃないんだ。ぼーっとしてただけで…。俺ちょっと風邪薬でも買ってくるわ」
小夜の視線を避けるように朱里はそそくさと部屋を出た。小夜が呼び止める暇もない。
閉じられた扉を見つめて小夜は小さくため息をつく。
そのまま朱里に言われたとおり横になると目を閉じた。
(やっぱり迷惑ばかりかけてます、私…。自分でも情けないって思うくらいだから、朱里さんはきっと呆れ果ててますよね。…早く治さないと…)
しかし夜になっても、一向に小夜の熱は下がらなかった。
時刻はもう夜も深い頃。
ベッドに横たわる小夜は息も荒く目を閉じたまま起きる気配もない。その側では朱里が深刻そうに小夜の顔をのぞきこんでいた。
「熱、なかなか下がんねえな。風邪薬は飲ませたけど、解熱剤のがよかったか?けど店はもう閉まってるし…。おい小夜、大丈夫か?」
返事の代わりに、そのわずかに開いた唇から呻き声が漏れる。
小夜の辛そうな様子に、朱里はたまらずその頭を撫でた。
「大丈夫、きっと明日には良くなるから、頑張れ…」
世にも珍しいくらいの朱里の優しい言葉だったが、今の小夜にはそれを聞く余裕はなかった。
彼女は、夢と現の世界をさまよっていたからだ。
…暑い。すごく暑い。
まるで太陽が照りつける砂漠の真ん中に立っているみたい…。
あれ、私は今どこにいるんだっけ…?
「うわ、すげえ汗。えーと、拭くもの…」
タオルを取りに朱里が部屋を出ていったのにも気づかないほど朦朧としていた小夜だったが、突然そのまぶたが開かれた。
だるい体を起こしながら小夜は周りを見回す。
無意識のうちに朱里の姿を探していた。
部屋の中は真っ暗だったが、それでも朱里がいないことは分かる。
誰もいない暗闇に一人でぽつんと座っていることに、小夜は心底恐怖した。
置いていかれたのではないか?
あまりにも役立たずだから、置いて――。
ぶるっと身震いして自分の肩を抱いたまま、小夜は立ち上がった。
ぼんやりする頭で扉を開け、宿の外へ裸足のまま出ていく。
ただ、朱里の後ろ姿だけを探して。
入れ替わりに朱里が部屋に戻ってきたが、お互いに気づくことはなかった。