かすれた声は、アールには届いていないようだった。
ゆっくりと立ち上がった彼は、何かを握ってこちら、朱里の背後に近づいてくる。
(…なんだろう…)
目を細めてその手元を見つめたとき、窓から差し込む陽の光を反射してそれが白銀色に光った。
「あっ」
あのときと同じだ、と思った瞬間、アールは朱里の背中めがけて走りこんできた。
小夜の視線からとっさに後ろを振り返った朱里が、すんでのところで刃をかわし床に転がる。
アールは小夜には一瞥もくれずに、起き上がろうとする朱里に上から追い打ちをかけた。
「おわっ」
なんとか自分に容赦なく繰り出される短剣を避けつつも、武器らしい武器を何一つ持っていない朱里が追い詰められるのは時間の問題で。
小夜が反応できずにいる間に朱里は壁際まで追い詰められ、短剣を握るアールの腕を必死に掴んで抵抗している状態だった。
「てっめぇ…冗談にもほどがあるぞ」
少しでも力を抜けば自分の胸を貫くであろう刃に抵抗しつつ、間近に迫ったアールの顔を睨みつける。
「君が…君がいけないんだよ。何もかもめちゃくちゃにするから…僕から小夜様を取ろうとするから…」
「ふざけんな!!小夜がてめぇに薬漬けにされんの放っとけるかよ!!一体どういうつもりだ!?なんで小夜に睡眠薬なんか大量に飲ませる必要がある!?」
朱里の言葉に小夜が息を呑むのが分かった。
「…君に答える必要はない。君は今ここで死ぬんだから」
ぐっ、とさらに短剣が朱里の胸に迫る。
あとほんの数センチでそれは確実に届くだろう。
「くっ…」
今目の前に広がる光景に、小夜は愕然としていた。
ベッドの上で動けない自分。
もみ合う二人。
白銀の光を帯びた刃。
何もかもあの幼い日の記憶と同じだ。
突如部屋に入ってきたアールはお母様の姿を認めると、その刃をお母様に向けた。
お母様はあっという間に壁際まで追いやられたけど、死に物狂いでアールの手を掴んで抵抗していた。
そしてベッドの上で呆然としている私に叫ぶのだ。
『早くその剣でアールを刺しなさい!』
言われて見ると、ベッド側の暖炉の上に飾られていた宝玉のついた大きな剣が目に入った。
だけど私はお母様のものすごい形相にただ震えているばかりで。
『ごめんなさい、ごめんなさい…お母様怒らないで……アール、助けて…』
膝を抱えて震えていると、部屋中に轟くような絶叫が上がった。
顔を上げた私の目に映ったのは、胸から剣を生やして床に崩折れているお母様の姿と、静かにこちらを向こうとしているアールの姿だった。
私はそこで意識を手放した。
まさしく今の状況は昔と同じだった。
このままでは朱里さんがアールに殺されてしまう。
頭に浮かんだ一言が小夜の体を小刻みに震えさせる。
お母様と同じように朱里さんが死んでしまう。
それも私のせいで。
「…い…や…」
ベッドから朱里に向かって懸命に震える手を伸ばすが、それは虚しく空を切るばかりで、二人のいるところには少しも届かない。
「……いや…」
嫌々をするように首を振って、さらに手を前に伸ばした。
だが体は鉛のように重くて、そこからまったく動こうとしない。
そんな彼女とは逆に、刃は確実に朱里に迫りつつある。
母はこのまま胸を貫かれたのだ。
そして冷たくなって自分の前からいなくなった…。
ドクン、と心臓が大きく脈を打った。
一瞬、胸に剣を突き立てられて赤い血の海の中動かない朱里の姿が、小夜の脳裏に浮かんだ。
「……いや」
怖い。
失いたくない。
恐怖で体が震える。
失いたくない絶対に。
私の何よりも大切な人――
「朱里さんを殺さないでぇっ!!」