雨がついに降り始めた。
無遠慮に窓ガラスを叩く雫を見上げながら、小夜はベッドの上に上半身だけ起こしてアールの帰りを待っていた。
熱のためか少し体がふらつくが寝てもいられない。胸の前で手を組んで祈るように小夜は雨空を見上げる。
アールが朱里さんを連れてきてくれたら、朱里さんと離れてみて改めて分かったことがあると言おう。
私は本当にあなたが大好きで、何よりも誰よりもあなたが一番ですって。
朱里さんが呆れて「もういい」って言うまで言い続けよう。
雨の勢いが強まってきた頃、ドアの開く音がした。
小夜はすぐにベッドを下りてよろめきながらそちらへ駆け寄る。
「朱里さんっ」
初めに入ってきたのはアールだった。ずぶ濡れになったコートを脱ぎ、髪を撫でつけて小夜の側に歩み寄る。
だがいくら待っても朱里の姿は見えない。
ドアの前でじっと待つ小夜の肩に冷たくなったアールの手が触れた。
「…小夜様、彼は来ないよ」
アールは悲しそうな瞳で小夜を見つめる。
小夜は呆然とその顔を見上げた。
「ごめんね、僕のせいなんだ、彼をうまく説得できなくて…。彼はきっともうこの街を出てる。小夜様のことは僕に任せるって言って、そのまま宿を出ていったから…ごめんね小夜様、彼を止められなかった。連れてくるって約束したのに…」
小夜の肩に置かれた手は震えていた。
小夜は視線をアールからドアへと移す。
「うそ…」
ぽつりと口から言葉が漏れた。
小夜はドアを見つめたままアールの手を避けて前に歩き出した。
この向こうに実は朱里が立っているのではないかとノブを回す。
だが廊下には誰の姿もなかった。
後ろから自分の名を呼ぶ声がした。しかしそれは朱里の声ではない。
小夜は朱里の姿を求めて廊下に出た。そのまま外に向かってふらつく足で駆け出す。
自分の呼吸する音だけがやけに響く。
嘘に決まってる、街を出たなんて。
朱里さんはいつだって私を待っていてくれる。
少し不機嫌そうな顔で手を伸ばしてくれるもの。
外は大雨で薄暗く見通しが悪い。
それでも小夜は走らなければならなかった。
立ち止まってしまうと、それだけ朱里との距離が遠くなってしまう。本当に置いていかれてしまう。
地面はひどくぬかるんでおり、不安定な走り方をしていた小夜は簡単に足を取られて泥水の中に倒れこんでしまった。
もう体力も尽きてしまい、起き上がることもできない。
雨の中にたった一人で取り残され、小夜の口から嗚咽が混じり始めた。
激しい雨の音にかき消されながらも、ひたすら声を上げ続ける。
「いやです…置いて、かないでくださいっ…朱里さん、朱里さんっ!」
雨は恐ろしいほど冷たいのに、体は熱を持っているのがよく分かる。
どんなに探しても追い求める人の姿は見つからない。どんなに手を伸ばしても届かない。
”なんだよ?俺がここにいちゃ悪いか?”
むっとした顔で自分を見る朱里の姿を思い出して、小夜は地面にうずくまったまま首を振った。
「いいえ、いいえっ…側にいてほしいですっ…お願い戻ってきて…!」
駄々をこねる子供みたいに泣きじゃくる小夜に、笑いかけてくれる者はいない。
彼女にできるのは、雨と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら奇跡を待つことだけだった。
もちろん、奇跡が起こることはない。