第3章

救いの来ない日





昼前になると急に雲行きが怪しくなってきた。

分厚い雲に覆われた空を、することもなく朱里はただじっと見つめている。

あいつ、屋根のあるところにいればいいけど。

ずっと遠くで雷鳴が聞こえる。いよいよ雨が降り出しそうだった。

宿屋の部屋の中は薄暗く静寂に包まれている。

朱里が身動きひとつ取ろうとしないので、聞こえるのは不気味で陰気な雷の音だけだ。

雷はなんとなく不吉な出来事を予感させる。
音が近づくたびにその予感も強くなっていく。

嫌な感じだ、と思いつつ朱里が窓から目を離したときだった。

沈黙を破るように、部屋の隅のドアがノックされる音が響いた。


****



空は不安で埋め尽くされたような灰色に染まっていた。

まるで私の心の中のようだ、と小夜はベッドから窓を眺めて思う。

そろそろアールが朱里さんのところに着く頃だ。

朱里さんは部屋にいてくれているだろうか。行き違いになどなっていないだろうか。

本当はアールについて自分も一緒に行きたかった。
今すぐにでも朱里さんに会いたかったから。

今からもう、胸がドキドキしている。


****



――小夜!?

ドアに駆け寄りながら、朱里の胸はひどく高鳴っていた。

小夜が帰ってきたんだ。それ以外にここのドアをノックする者などいるはずがない。

あまりの嬉しさに顔がほころぶのが分かったが、朱里はそれを繕おうともせずドアノブに手をやった。

何と言ってやろう。
よく帰ってきたと褒めてやろうか。
それとも心配させるなと叱ってやろうか。

いや、もういい。

とにかく何も言わずに抱き締めてしまおう。

そんなの俺のキャラじゃないけど、どうでもいいや。

力いっぱい抱いて、あいつが苦しいって言ったって離してやるもんか。

一時間でも一日中でも、そうし続けてやる。


思いきりドアを開いた。


「こんにちは」


抱くために広げた腕は、しかし行く当てをなくして固まった。
ドアの向こうにいるのは小夜ではなかったからだ。

見たことのある顔の男が微笑んでこちらを見返していた。


期待で緩んでいた朱里の表情は、見る間に沈んでいく。

小夜じゃなかった…。

頭の中に浮かんだのはそれだけだった。

うつむきかけた朱里に男がすかさず声をかけてきた。

「君が朱里くんだね」

名前を呼ばれて朱里はぼんやりと前を向く。

「今いいかな。小夜様のことで君に話があるんだけど」

翳った瞳が"小夜"という単語を聞いて光を灯した。

「小夜…!?あんた小夜がどこにいるのか知ってるのか!?教えてくれ!!」

掴みかからんばかりの朱里の勢いに、男は落ち着けというように手を前に出して制した。

「とにかく僕の話を聞いてほしい」

二人はドアの敷居を挟んで向かい合っていた。

朱里からは廊下に立つ男の後ろに窓が見える。まだ雨は降り出していないらしい。

男は一呼吸おくと話し始めた。

「君が小夜様と一緒に旅をしてることは聞いているよ。いろんな街を回ってるそうだね。そして君が一番気にしていることだと思うけど、小夜様は今僕の元にいる」

「それじゃあ…!!」

男はそこでゆっくりと首を左右に振った。


「戻りたくないそうだ」


一瞬男が何と言ったのか朱里には分からなかった。

きょとんとした顔で男を見つめる。

「君はトレジャーハンターだそうだね。つまり戻る家がない。ひたすら世界を回るだけだ。それが小夜様には耐えられないんだろうね。君の元には戻りたくないと、一緒にはいたくないと言って僕のところに来たんだ。そして今朝僕が君に会ったことを話したら、事情を説明してきてほしいと頼まれた。申し訳ないけど、君はもう一人で行ってくれるかな」


話を聞く間、ひたすら朱里は男の背後の窓を見つめていた。

なんだかこうして空を眺めていると、すべてが絵空事のように思えてくる。よく動く男の口も、そこから発せられる言葉の数々も夢の中のものみたいだ。

何度かまばたきしたら現実に戻ってこられるんじゃないかなと思ったが、どうやっても目の前の男の姿は消えてくれなかった。

「それじゃ僕は戻るよ」

男は言うことだけ言うと立ち去ろうとした。

朱里は無意識に男を呼び止めたあと、自分の言うべき言葉を探す。

「…あんた、誰だ」

結局思いついた台詞がこれだった。

男はわずかに微笑んで、

「小夜様の婚約者だよ」

そのまま部屋のドアは閉じられた。

ドアの前で立ち尽くす朱里の後ろでは、窓ガラスを打つ雨の音だけが響いていた。



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