荷物を抱えてアールが宿に戻ると、小夜はまだベッドの中で眠ったままだった。毛布を抱くようにして目を閉じている。
そのなんともあどけない姿に小さく笑って、アールは小夜の頬をそっと指で撫でてみた。くすぐったそうに小夜は毛布に潜る。
「まるで小さな女の子だね。こんなに綺麗な女性に成長したのに、中身は5歳の頃と同じだ」
暖かい眼差しを眠る小夜に向けながら、アールはその少女が目覚めるのを待った。
目覚めた小夜はしかし、元気がなくうつむいていた。
「小夜様、大丈夫?まだ体がだるいの?」
アールの問いかけにもあまり応じず、せっかく用意した朝食にも手をつけようとしない。
ベッドに上半身だけ起こして、側の窓から外ばかり見ている。
「小夜様…」
さすがに心配になったアールは、何か小夜が興味を持ちそうな話題を必死に探した。
「そういえば今日外を歩いていたら、見知らぬ子が声をかけてきたんだよ。小夜様ぐらいの年の男の子で、『あんた、紫音の親戚?』って。大きくなった紫音を見たことはないけど、どうやら僕に似てきたらしいね。小夜様は紫音に会ったこと、あるよね?」
それまで窓のほうを向いていた小夜は、その言葉にぱっとアールの顔を見た。
「…男の子…?」
「うん。珍しい銀色の髪をした子で、少し口が悪かったかな」
思わぬところに小夜の興味が向いて、戸惑いながらアールは答えた。
てっきり紫音に反応すると思ったのに。
アールを見つめる小夜の瞳に、一気に熱が上がった。
両手で口元を覆った小夜の目元には涙さえ浮かんでいる。
「…もしかして、目の大きな方じゃなかったですか…?」
小夜は胸にこみ上げてくる嬉しさに、全身が熱く火照っていくのが分かった。
まだこの街の中にいてくれている。
私を待ってくれている――。
会いたい、と小夜は思った。
帰りたい。
帰らなくちゃいけない、今すぐに。
まだ熱でだるい体を奮い立たせて、小夜はベッドから体を起こし立ち上がった。
もうアールの姿さえ見えていない。
自分を待っている朱里の元へ戻って、その温かい胸に体を預けよう。
そうすれば何の不安もなくなる。
すべてを朱里に任せて、そして二度と離れないと約束するのだ。
…朱里さんは笑いかけてくれるかな。
どこに行ってたんだって怒られてもいい。側にいられるなら何だって。
そのとき、誰かが小夜の腕を掴んだ。
振り返った小夜の前には、朱里ではなくアールが立っていた。
「どこに行くの?危ないよ」
引き離そうにもアールの手はしっかりと小夜の腕を掴んでいてびくともしない。
「離してください、今すぐ離して…!!」
邪魔されたくない。
叫ぶ小夜にアールは、
「どうしたんだい突然?ちょっと落ち着こうよ、ね?」
引きずられるような形で小夜はベッドに押し戻されてしまった。
そこに座らされた小夜の肩にはがっちりとアールの手が固定されている。
身動きが取れない状態で、それでも小夜はいやいやをするように首を左右に振って続けた。
「朱里さんのところに帰してください、今ならまだ間に合うんですっ!!まだ、私を待ってくださっている今なら…!!お願いです、行かせてください」
「…朱里さん?あの男の子は小夜様の知り合いなの?ちょっと…小夜様落ち着いて。こんなんじゃ分かる話も分からないよ。とりあえず彼との関係を僕に説明してほしいな」
落ち着き払ったアールの笑顔を見て、小夜は抵抗をやめ肩の力を抜いた。
幾分か上がってしまった息を整えるため深呼吸すると、気分も徐々に落ち着いてくるようだった。
小夜は逸る気持ちを抑えて、今の自分の生活をたどたどしいながらも懸命に説明した。
アールに自分の気持ちを分かってもらいたいという一心で。
そんな小夜をアールは子供にするように、膝を床につけて目線を合わせ優しい眼差しで見つめていた。
それは昔と何の変わりもない、二人の姿だった。