ひどい熱に浮かされているためか、小夜の頭はまともな判断ができなくなっていた。

少し考えてみれば分かることだったのだ。小夜が残された部屋の中には、朱里の荷物も置かれていた。誰が自分の荷物をそのまま残して去っていくだろうか。



霞がかった視界の中で、小夜はひたすら前に進んだ。

息は少し歩いただけで切れ、足は左右にふらつく。寝巻きを一枚羽織っただけの肌は、秋を感じさせる冷たい風にぶるぶると震えていた。

自分がどこを歩いているのかも、彼女は把握できていなかった。


もし正気であったならば、気がついたはずだ。

ここが朱里から厳重に注意されていた「女には危険な場所だから、絶対に入っちゃいけない」路地裏だということを。


どんなにきれいで整った街にも、裏の姿はある。それはスラム(貧民窟)だったり、路地裏だったり形は様々だが、そういう所は決まって秩序というものに欠けている。

そこに住む者たちは、たとえば罪を犯して裏でしか暮らしていけない者だったり、親に捨てられた子供だったりする。

つまり路地裏は問題のある者たちの無法地帯なのである。

そんな場所を小夜のような少女が無防備に歩くのはあまりに危険すぎた。


道の端でだらしなく座りこんで酒を飲んでいた男たちが、小夜の姿を認め互いににやにや笑い合ったのも、ここでは不思議なことではない。


朱里の姿を求めて一心に前進する小夜の前に突然大きな壁が現れた。

あれ?と思いながらも小夜はその壁にぶつかって跳ね返された。

重心が傾いて後ろに転びそうになる小夜の二の腕を、誰かががしっと掴む。

「おいおい、気をつけねぇとな」

「げひひひひ」

頭上から声が聞こえて上を見ると、男が二人小夜をにやにやと見下ろしていた。
小夜がぶつかったのは壁ではなく、男の体だったのである。

くらくらする頭で小夜はこれがどういう状況なのか考えようとしたが、それより先に男の一人が顔を近づけてきたので、断念する形となった。

「ほほう。ほーう」

男は小夜の顔をじろじろ観察するように見つめ、何度か嬉しそうに頷いた。

酒のせいか、男の顔は真っ赤に染まっており、笑うたびに黄色い歯がのぞく。

小夜の顔を不躾にのぞきこんでくる目は、曇りの日の空のように濁った色をしていた。

近づけられた口から漂うアルコールの匂いに、小夜の頭はさらに朦朧とした。

「どうだ、どうだ?」

小夜の腕を掴んでいる男が、待ちきれないというように、小夜の顔をのぞきこんでいる男に尋ねる。この男も同じように赤い顔をしていた。

「ほほう。連れていこう、ごちそうだ」

腕を掴んでいる手の力が強くなった。

そのまま横にぐいっと引っ張られて、小夜は足をよろめかせその場に膝をついてしまった。

くらくら揺れる頭の奥に、男たちの下品な笑い声が響く。

「抱えて行けばいいんだよな、そうしよう」

その言葉に小夜が重い頭を上げると、自分に近づいてくる男の手の平がぼやけた視界に入った。

抵抗する理由も方法も見つけられないでいる小夜の視界に、もう一本の腕が入ってきたのはそのときだった。


その腕は素早く動いて男の手を弾き返し、そのまま小夜の体を抱き上げた。

乱暴にではなく、労るように自分の腰に当てられた腕を小夜は見つめる。


――誰…?


「お前らみたいな奴が触れていい人じゃない」

薄れゆく意識の中で、小夜は頭上の顔を見上げた。

ぼんやりとした視界に映ったその顔に小夜は見覚えがあった。

「…朱里、さ…ん…」

――私は置いていかれたんじゃ、なかったんですね…。

力を失って倒れそうになる小夜の体を抱きとめて、その人物はにっこりと微笑んだ。

「この人は、僕の大切なお姫様なんだから――」



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